虚子忌(きょしき) 晩春
【子季語】
椿寿忌、惜春忌
【解説】
俳人高浜虚子の忌日。昭和三十四年(一九五九年)四月八日没。八十五歳。
【実証的見解】
高浜虚子は明治七年(一八七四年)伊予松山に池内政忠の四男として生まれ、九歳のときに祖母の実家高浜家を継ぐ。河東碧梧桐とともに正岡子規に兄事し、子規より虚子の号を受ける。明治三十年(一八九七年)、柳原極堂が松山で創刊した俳誌『ほとゝぎす』に参加。翌年、これを引き継ぎ東京に移転する。子規の没後、一時俳句の創作を辞め小説の創作に没頭したが、その後俳壇に復帰し、「客観写生」、次いでその行きすぎを修正する「花鳥諷詠」の理念を掲げた。門下からは飯田蛇笏、水原秋桜子、山口誓子、中村草田男、川端茅舎、松本たかしなどが世に出ている。著書に『虚子句集』、『五百句』、『五百五十句』、『六百句』、『虚子俳話』、『句日記』など。