八月 コーヒーゼリー

コーヒーゼリーはゼリー類の定番でコンビニの棚にも見かける。が、このコーヒーゼリー、我が世代にはほろ苦くどこかノスタルジックな匂いがからむ。青春時代、たわいないおしゃべりや時に読書会の場だった喫茶店。コーヒーゼリーの周りにはシロップ、ミルク、そして店の名入りの小さなマッチと灰皿。喫煙が当たり前の時代。副流煙に咳き込んでも、煙草をやめてと言うなど考えもしなかった。時代はこうして変わり、コーヒーゼリーは生き残る。

コーヒーゼリー記憶の紫煙はるかなり 越智淳子


七月 ところてん

透き通る…というだけで、何か美しく涼しげだ。衣通姫のように、「透き通る」のは内なる艶色が表までほのかに現れてくる…のであって、全き透明とは違う。夏には「透き通る」和菓子が多い。葛切り、葛饅頭、蜜豆等。素材は、葛や天草とそれぞれ違うが、どれもそこはかとなく透き通り、そして喉越しが良い。まさに涼しさの表現。なかでも、形まで滝のように涼しくしたのが、ところてん。

涼しさを目にも見せてやところてん 越智淳子


六月 苺のショートケーキ

輸入が多い果物で、苺はほぼ国産とか、しかも全国で開発した種類は200以上に上るという。世界は仲良く協力すべきだが、地球規模で流通が滞れば、食べ物の自給率は大事な課題。日本で洋菓子の代表ともいえるショートケーキ、その姿は日本独特らしい。苺の酸味とクリームの甘さという味の組み合わせもさることながら、白いホイップクリームに真赤な苺の色彩、紅白が大好きな日本人が生み出した形、というのも肯ける。

クリームにまどろむ苺ケーキかな 越智淳子


五月 粽

五月は端午の節句。新緑の季節は男子の節句にふさわしい。邪気を払うため、菖蒲を飾り、柏餅や粽を食べる。この粽、中の餅にたどり着くには、長いイグサの紐をぐるぐるほどき、幾重にも重なった笹の葉をとってようやく出てくる。やや過剰包装、でもこの葉は、山や海を汚すことはない。疫病退散の後に始まった祇園祭では粽がまかれる。人々は粽包む葉の一枚一枚に祈りを重ねたのかもしれない。

粽解く疾くとはいかず笑ひけり 越智淳子


四月 蓬餅
 
春愁という季語、他の季節に愁いがないわけでないのに、なぜ春だけ?今春はまた、新型コロナ感染症で春愁もグローバル、人類的になっている。春は、特に日本人にとって別れと出会いの季節。別れの悲しみも、出会いの期待や喜びも、生きていればこそ。そして全てが芽ぐむ春はまた命ひしめく。道端や土手に生き生きと伸びるヨモギから力をもらって、旅立つ人の元気を願い、来る人を明るく迎えたい。

若返る力つけんや蓬餅 越智淳子


三月 菱餅
 
雛祭りの遠い祖先は、形代で身体をぬぐって穢れや病を移して川に流す祓だったとか。この頃の新型の病をみれば、その習わしが遠い出来事とも思えない。女の子の健やかな成長を願って美しい人形を飾る雛祭り。捧げられる菱餅の三色は、きっと心にも身体にも良い食べ物の色。よく食べ、よく眠り、心落ち着いてと雛は告げているかのよう。

菱餅を召されし笑みの清らかな 越智淳子


二月 バレンタインチョコレート


2月14日バレンタインデー、かつて、その課で年長女子だった責任感か?課内の男性たちにチョコレートを配ると、「ああ、これで家に帰れる!」と喜ばれた。義理でも本気でもチョコレートはやはり美味しい。最近では、自分自身に贈る人も少なくないらしい。店頭に並ぶ美麗、美味なチョコの数々。自分にも…と思うのは自然な流れ…かもしれない。

バレンタインデー自愛のチョコの苦甘し 越智淳子


一月 花びら餅
 
お正月、お年賀の熨斗をかけた手土産で年始回りの人も多いだろう。熨斗、奉書、懐紙、袱紗、風呂敷・・日本人が「包む」ことにとりわけこだわる、あるいは心をこめるのは、和紙や織物の豊かな伝統の故もあるだろうが、おそらく「包み」を開ける時の相手を想うときめき故でもあろうか。そして、ときめきはひそかでありたい。茶道の初釜のお菓子「花びら餅」もまた、新しい年へのいろいろな祈り、願いをひそかに包んでいる。

めでたさをかさねてつつみ花びら餅 越智淳子


十二月 クリスマスケーキ
 
長崎出島のクリスマスはオランダ冬至と呼ばれたそうだ。夜が最も長い冬至、でもその翌日からは日が、光が刻々と伸びてくる。キリスト教国とは言えない日本で、クリスマスの祝い方は一頃に比べだいぶ落ち着いてきたが、クリスマスケーキは、これからも一番待たれる物。誰が誰のために作るかあるいは買うか?目を輝かせる子供たち。寒い冬に心温もるクリスマス。

着ぶくれの車内でかばふケーキ箱 越智淳子


十一月 もみじ饅頭
 
もみじは、日本の意匠に実に頻繁に使われる。着物、小物、陶磁器、漆器等々、儀式から日常まで、もみじが描かれるのは、その葉の繊細な美しさゆえ。錦秋といえば紅葉が主役。もみじのような手といえば、愛らしい赤ちゃんの手だが、これは新緑のもみじだろう。写真の箸置きは緑と紅紫で季節を問わず使えるというのも、もみじデザインの強み。もみじが饅頭の形になれば、繊細さはやや減るものの、ほっこりと美味しい。

もみじ饅頭つかむ嬰の手お茶の刻  越智淳子


十月 モンブラン

 アルプス最高峰(4810m)のモンブラン、その名にちなんだ元のフランス菓子は「栗のモンブラン」だったらしいが、1930年初頭、日本でも創られ始め、今では全国的に定着。手ごろなサツマイモもわるくないが、やはり栗!最近では姿もいろいろ、とはいえ、山に見立てた形は不滅。長い歳月と各地のモンブランにまつわる話を積み上げれば、優に山の高さを越えるかもしれない。

向き合ひて思ひ出語らんモンブラン 越智淳子


九月 お月見団子


まんまるい、まんまるな・・このことば、発するだけで自然に笑みがこぼれてくる。まんまるい‥対象に既に愛らしさを感じているからだ。まんまるな十五夜月に、さらにまんまるな団子や衣被を供える人の心もまた、愛らしい。

お月見や団子見惚れるこどもたち  越智淳子