刺身の盛り合わせは、日本人にとって最も身近でしかもご馳走。豪勢な舟盛から懐石料理、家庭の食卓と、日本食の中でも、刺身の盛り合わせは定番中の定番。ことに冬の刺身には、鮪をはじめ鰤、鯖、蛸、鮭、烏賊、ホタテ等々、旨い魚や貝の種類が実に豊か。暖かいご飯のおかずとしても、酒の肴にも、ハレの時もケも誰もが喜ぶ。海の民、日本人を作っている食の根源に感謝。
舟盛へ箸賑やかに年忘れ 越智淳子
欧州の秋冬は羊肉を食べる機会が多くなる。中でも仔羊肉のラムチョップステーキは、ご馳走であり且つごく一般的で、美味しい。さしずめ日本ならお刺身定食か。羊の頭数では日本とはまるで違う英国では野や丘に羊の見ない日はない。一年中緑の草原や丘は、近づいて見ると様々な野の花に満ちている。なぜあれほど野の花が咲いているのかと聞いたら、羊肉を食べるので農薬を使わず自然に任せているからとまさに現実的な答えが返ってきた。
とこしへに喰む羊たち秋の丘 越智淳子
太刀魚は、全長150cm以上にもなる細長い、金属の光沢を持つ姿から、また潮の緩やかところでは立泳ぎで餌をとる習性などから太刀魚と名付けられたという。日本全国どこでも獲れるが、瀬戸内海や大阪湾が豊かで食習慣は関西が長いとか。釣り人には秋の東京湾や相模湾での船釣りも有名。味は白身の淡白さに上品な脂がのって、特に塩焼きが美味しい。丸々とした魚も美味しいが、細長い魚の旨さを昔から見つけてきた海の民は幸運である。
太刀魚を焼くやひらりと銀の皮 越智淳子
秋は茸の季節。椎茸、しめじ、舞茸、松茸、どれも味も香りも個性豊か。西洋種のエリンギ、マッシュルームもお馴染み。今でも茸採りに出かける人もいるが、熊と遭遇するという恐ろしいことも起きかねない。現在食べている茸の多くは、野生というより暗室で育てられている。旨味の元が豊富な茸を、茸汁、スープ、茸ソースと和風洋風、簡単に味わえるのは有難いが、ひょっとして茸は故郷の山を恋しがっているかもしれない。
森林の豊かな国よ茸汁 越智淳子
八月:蛸とトマトのマリネ
連日の猛暑で、人間は夏バテ気味で食欲も落ちるが、海の生き物たちには、夏は食欲増進の季節だそうだ。夏にやはり元気な海老など甲殻類を食べる蛸は、甘みも、蛋白質も増して一層美味しくなるという。夏の野菜の代表のトマトと、酢、オリーブオイルで和える蛸マリネは冷えたビールやワインに合うし、夏バテにも効きそう。蛸壺漁は、もはや過去の話のようだが、まさに夏の海に夢みる蛸は、今なお海の恵みを人にもたらす。
眩しさの浜に真白き蛸を食ぶ 越智淳子
七月:鰻の蒲焼
夏痩せに良いから「鰻捕り喫せ」と家持が詠んだ万葉時代から、鰻は夏バテにしっかり効く。ご飯と蒲焼を一緒に食べるのは江戸時代の観劇から始まり、土用に食べる風習は平賀源内が広めたのは有名な話。蛇笏・龍太の山蘆では、客人へのもてなしに、数日前に鰻を捕り、清流の生け簀で泥を吐かせて供したと聞いた。天然か養殖か、稚魚か孵化かと人間の欲はつづくが、謎多い鰻は今も恵みを授けてくれる。
白木桶うなぎしづかに鰻の日 越智淳子
六月:新馬鈴薯の煮ころがし
じゃがいもは、収穫したものを寝かせて澱粉質が豊かになった秋から冬が美味しいが、この季節の出始めを特に新じゃがと名付けて喜んで食べる。丸く小さく薄色の新じゃが。薄い皮のまま茹でるだけでも、ちょっと青臭いのが実に美味しい。日本人が「新」と名付けるのには誉れと愛着がある。新じゃがの煮ころがし―呼び名も楽しく、料理も浮き浮きしてくる。
ぱらぱらと雨が新じやが煮ころがし 越智淳子
五月:鯵フライ
鯵は鰯や鯖と同様に青魚で昔からよく獲れる大衆魚。味も濃く、調理法も膾から干物まで伝統的にもさまざま。そして近代以降の調理の傑作といえば鰺フライ。漁村の食堂での獲れたて揚げたてから、スーパーのやや小ぶりのものまで大きさも旨さもいろいろだが、総じて美味しい。鰺フライといえば、なぜか五月の学生食堂で黙々と頬張る男子学生たちの姿がふと浮かんでくる。
青春や黙々と食ぶ鯵フライ 越智淳子
四月:ニラの卵とじ
ニラは、四月が若葉の旬で柔らかく匂も強くない。そもそもニラの名は匂の下が略されニと嫌いの上下が略されてラが付いたものとか。確かに、切った後のニラの強烈な臭いが好きな人はそう多いとは思えない。しかし、餃子にニラは欠かせないし、卵やレバーと料理してニラ玉、レバニラと一種の愛称で呼ばれるほど素材として大事な野菜。主菜より副菜、酒肴に合い、ニラの卵とじの黄と緑はまさに春の色、芽吹きのエネルギーのスタミナをくれる。
失恋の孫慰めんニラの皿 越智淳子
三月:蛤つゆ
蛤、浅利、栄螺など貝類はほぼ春の季語。中でも蛤は味の良さ、大きさで喜ばれる。雛祭りや婚礼の祝い膳など、蛤の汁はご馳走のひとつ。和食では汁物は、脇役では決してない。しかも味噌汁よりすまし汁が、宴の膳に出されるのは、「澄まし」という美的な側面だけでなく、海の民の日本人が好む味が凝縮しているからだろう。蛤に恵まれた縄文時代の人も、食した後は、絵を描いて遊びの道具にした平安貴族たちも、蛤つゆは大好きだったはず。
蛤つゆやかたかた貝の音たてて 越智淳子
二月:ブリしゃぶ
元日の夕刻に起きた能登北陸新潟にわたる大地震。被害の甚大さ、被災者の困難さが日々明らかになる。少しでも早い支援と復興を祈るばかり。いくつもプレートが交差し、火山が集中する日本列島、地震はいつでもどこでも起きうるだろう。自然は人間に恵みを与えると同時に人智を越える脅威にもなる。津波の海から、能登の珠洲や七尾では寒鰤漁が再開したという。脂が乗り肥えた寒鰤を、湯気立つしゃぶしゃぶにして、身も心も温もりたい。
寒鰤やまた活気づけ能登港 越智淳子
一月:雑煮
正月料理はお節と言えるが、さらに日本全国で変わらず受け継がれているのは雑煮だろう。雑煮の「雑」とは和歌や俳句の世界でも馴染みのことば。「入り混じること、純粋でないこと」とはまさに多様性を誇ること。汁も具材もそれぞれ地域ごとに異なるのは当然のこと。多様性の豊かさを寿ぎ、新年に食す習慣は、なかなか意味深い。今ではいつでも食べられる餅も、昔の人々には高カロリーで特別な活力を感じたに違いない。新たな年を健やかに。
海幸彦も山幸彦も雑煮かな 越智淳子
十二月:ポトフ
フランスの家庭料理ポトフは、pot au feu(火の上の鍋)の文字通り、肉と野菜の煮込みスープ。人参、ジャガイモ、玉ねぎなどどれも大ぶりに切り、昔はわざわざ牛すね肉と月桂樹などの香草を入れコトコト長時間煮込んだものだが、今はソーセージやベーコンブロックで簡単に作れ、すっかり日本の食卓のお馴染みになった。寒い冬に温かい汁物が有難いのは、冬のある国の人々にはごく自然なことだろう。
寒いから夕食ポトフと告ぐメール 越智淳子
十一月:鉄火丼
晩秋から冬にかけて鮪が特に美味しくなる。マグロといえば刺身で、赤身、中トロ、大トロの部位の名は、誰にとっても馴染みの呼称。中でも鉄火丼は、酢飯に赤身でなければならない。江戸の町民から好まれた鉄火丼は、当時、今では高級の大トロも、むしろ好まれなかったらしい。この頃では、鉄火丼と言っても中トロが載っていたりするが、赤身でなければ、江戸庶民の美意識らしい鉄火の呼び名に申し訳ない。
東京に冬の銀河や鉄火丼 越智淳子
十月:鯖鮓
鯖はいつでも捕れるが脂がのる秋鯖は旨さの旬で季語。はっきりした味は煮ても焼いても缶詰でも美味しいが、鮮度の低落が早い欠点を、昔から酢や塩でしめ一層の旨さに替えてきた。大阪ではバッテラとも呼ばれる鯖寿司が京の名物にもなっているのは、日本海で捕れた鯖に塩をまぶして若狭から京都まで運んだ鯖街道のおかげ。秋鯖漁の賑わいはまた、日本の秋の海景の一つ。
秋鯖や漁師にぎはふ影長く 越智淳子
九月:秋茄子のしぎ焼
九月は夏と秋が交差しながら変わりゆく月。旬も九月が最後の夏野菜と最初という秋野菜が共存する。あえて秋茄子と呼ばれるものは柔らかく一層美味しくなる。諺の「秋茄子は嫁に喰わすな」は意地悪なのか、いや嫁の健康を思って…と諸説あるが、そもそも諺は、人生の喜怒哀楽、理も不条理も忖度なく突きつけるものに思える。それはともかく、美味しい茄子を甘辛味噌田楽で堪能したい。
秋茄子や季節二つの水の味 越智淳子
八月:カレーライス
洋食の日本化の最たるものは、やはりカレーライスだろう。もはや多くの日本人は和食と思っているかもしれない。明治期、英国海軍を悉く手本とした日本海軍が兵士用の食事までも持ち込んだ。調理も簡単で大勢に供するのに便利だが、極めればその幅も限りなく広い。今年は海や山に出かける人が多い。昔の臨海学校、林間学校では、まずカレーライスが主な献立。泳ぎ終えてあるいは涼しいキャンプ地で食べるカレーライスは格別だった。
海の家シャワーの後はカレーライス 越智淳子
七月:トンカツ
近代以降の和洋混合の食べ物ならアンパン、カレーライス、コロッケと様々だが、トンカツもその代表の一つ。ヒレやロースのトンカツに千切りキャベツ、トンカツソースとめい打った濃いソース、味噌汁、香の物というパターンはすっかり定着している。ヒレを丸ごと揚げるのは、家庭では少々難しいせいか専門店も多い。老いて揚げ物料理も大変になったら、トンカツを食べに出かけるのも悪くない。
冷房やトンカツ卓は黒光り 越智淳子
六月:海老のチリソース煮
日本人にとって最も馴染みのある中華料理といえば青椒肉絲、回鍋肉そしてエビチリの三つだろう。中でもちょっとご馳走度が上がるエビチリは、朱い海老という見た目の華やかさのせいかもしれない。中華料理には円卓がつきもの。日本も昔はちゃぶ台が家庭の象徴だった。アーサー王の円卓の騎士からG7まで、誰もが平等に参加する雰囲気を作り出すのは、国際政治から家庭まで、人間の社会性の一つの表現かもしれない。
円卓の海老チリ回す三世代 越智淳子
五月:ハンバーグ
2011年5月5日の子供の日に日本の全原発が停止した。地震国の日本で、こどもの将来を本当に考えるのが成人の責任だろう。子供の好きな食べ物といえば、1位はカレーライスかハンバーグで分け合っているとか。確かに、ハンバーグは子供にも、そして老人にも食べやすく美味しいお肉のご馳走。ソースもグレービーからとろけるチーズや大根おろしまで多種多様で、食卓は幸福な笑顔に満ちる。
ハンバーグ孫と向き合ふこどもの日 越智淳子
四月:桜エビのかき揚げ
桜エビは、花の季節だけ桜色、というわけではなく、本来、赤い小さな海老。駿河湾だけで漁ができるというまさに駿河専売の名物。富士山を背に浜に干される桜エビ絨毯は絵葉書でもお馴染み。干した桜エビをみると、身は薄いように思えるが、生の桜エビは小さいながら身はぷりぷりと豊か。かき揚げにすれば、海老の旨味がぎゅっと詰まった絶品。
桜えび花の命の跳ねるなり 越智淳子
三月:白魚の卵とじ
春告魚とも呼ばれる白魚は、季語としてよく俳諧に詠まれ、知られている句も多い。白魚はシラス、素魚(しろうお)と混同されがちで、また呼び名も地域によって混在しているらしい。しかし、それぞれ違う魚。白魚がどこでも採れた昔なら江戸湾も白魚舟でさぞ賑わったことだろう。透き通った身は火を通すと白くなり、柔らかい身は料理もしやすい。中でも卵とじは、卵の黄色に白魚の白、それに緑の浅葱でも散らせば、まさに春の色。
白魚や皿にのりたる春の雲 越智淳子
二月:ロールキャベツ
キャベツは、とんかつに添えるなど最も使われる生野菜。だが、キャベツそのものが主役というのは案外少ない。冬キャベツが旬の季節、ロールキャベツはまぎれもなくキャベツが主役。昔は葉を蒸すにも手間がかかったが、今はレンジを活用すれば、ひき肉料理の応用編と、ずいぶん簡単になった。子どもの好きな(そして案外男性も)ケチャップ味、あるいは和風の出汁と味付けも多彩。いつの間にか、料理も暮らしも多様、多彩になっている・・はず。
暖房やパパの得意なロールキャベツ 越智淳子
一月:手巻き寿司
1970年代初頭、銀座四丁目のコアビルの地下に若い女性たちが列をなす寿司店があった。手巻き寿司を見たのはそこが始めてだった。それは鮨が、特別な時の出前あるいはカウンター=高級鮨から大衆化へ、そして現在の回転寿司に至る変遷の端緒だったのかもしれない。今や手巻き寿司は家族のご馳走。新春の集いに、とりどりのネタ、酢飯の量、海苔の大小、巻き方さえも好み次第、子供も老人も手ずから楽しめる。
たくし上げ春着の袖や手巻き寿司 越智淳子
十ニ月:すき焼
幕末頃から日本人が牛肉を食べ始め牛鍋がザンギリ頭と共に開花の象徴となり「すき焼き」となる歴史も百年以上。子供の頃は、すき焼き専用の平たく重い鉄鍋、牛肉は杉の経木ではなく竹の皮に包まれていた、など特別感があった。今では、無数の肉牛とグローバル経済ですき焼き派生の牛丼チェーン店はどこの街角にも。多すぎる牛が温暖化の一因、牛肉に替わり大豆肉をなどという昨今、だが、すき焼きはやはり特別な折のご馳走でいてほしい。
すき焼やサッカー談議花咲いて 越智淳子
十一月:治部煮
金沢の郷土料理、治部煮はすでに全国的に知られるが、元は渡り鳥がくる頃に、鴨肉を使い、葛でとろみをつけ麩を入れた武家料理が始めと言う。加賀百万石という経済的雄藩は、その政治方針を軍事雄藩にはならないと明らかにして徳川幕府との平和的関係を構築した。その産業や文化の遺産は、現在も石川県だけでなく北陸から全国まで豊かにしてくれる。治部煮が藩士全員に振舞われる大饗宴もあったそうだ。
侍は笑みかみころし治部煮かな 越智淳子
十月:鮭とイクラの海鮮親子丼
鮭は生まれた川へ遡る荒々しいエネルギーとその産卵後の死という哀れさをもつ。今では養殖サーモンで生食も可能、スジコの加工法も発達し、サーモンとイクラが綺麗に盛り付けられ我々を満たす。かつては干し鮭、新巻鮭を人々は冬の備えに重用した。新巻鮭の身を使った吉野の柿の葉寿鮨の作り方を『陰翳礼讃』に書いた美食家谷崎の描写は垂涎もの。家で手間暇かけた昔、今、消費者は食材までの長い工程を知らずに済む。人は常に食物に貪欲だ。
荒鮭をこぼれしイクラ掬ひけり 越智淳子
九月:鱸のムニエル
ようやく暑さも収まる初秋の旬の魚といえば鱸。季語の鱸は、その大口や跳ぶ様、膾などが詠まれ、平家物語では、熊野詣の清盛の舟に鱸が飛び込んだのを平家興隆の瑞兆と喜ぶ話がある。出雲の奉書焼など、大昔から日本人に親しまれてきたその淡白な白身は、和風は無論、洋風の味付けにも合う。小麦粉を薄くまぶしバターで焼き上げるムニエルは、皮も香ばしく美味しい。彩り野菜を付け合わせ和風にも洋風にも・・。日本の料理の幅は実に広い。
ムニエルの銀焦がしたる鱸かな 越智淳子
八月:ゴーヤチャンプル
気候変動の結果はいよいよ明らか。今、北半球は猛暑に喘いでいる。ゴーヤは沖縄をはじめ、鹿児島、宮崎、長崎など暖かい地域の産物。外観の疣と味の苦みが特徴だが、食用にするのは未熟な果実なのだから青臭い苦さは当然。ゴーヤチャンプルは、豚肉、木綿豆腐、卵とゴーヤという抜群の組み合わせ。暑い地域の料理は、暑さに負けない活力を人に恵む。
けふもまた猛暑ゴーヤの力得ん 越智淳子
七月:冷しゃぶ
あっけなく梅雨明け。この時期からの猛暑では大地はますます熱くなる。まだ日のある夏の夕餉にはキンと冷えた料理が有難い。夏バテに効くという豚肉の冷しゃぶは美味しい。薄切り肉を熱湯に軽くくぐらせ脂肪を落として冷やし、胡瓜やレタス、トマト、スライス玉ねぎなど豊富な野菜や若布などの海藻と一緒に頬張る。タレはさっぱりのポン酢あるいはコクの胡麻ダレなど好み次第。ざくざくむしゃむしゃと食み音高く食べれば、酷暑も乗り切れる。
冷しやぶに野菜ざくざく夕餉とす 越智淳子
六月:パエリア
スペイン料理の中心メニューといえばパエリア。玉葱、ニンジン、セロリ、野菜の旨味の上に夏の旬の烏賊や海老、ムール貝など魚介のスープに生米を入れて煮立て軽く焦げ目がつくまで水分を飛ばす。サフランが入れば本格的。今では家庭でフライパンでも作れるが、どうも魚介炊き込みご飯になりがちと指摘もされる。が、生米感よりもふっくらご飯に親しむ日本人にはスペイン風魚介炊き込みご飯も、それはそれでやはり美味しい。
半島の海のパエリア大南風 越智淳子
五月:豆ごはん
グリーンピースが出てくると豆ごはん-は母の定番料理。ほのかな塩味と甘さ、そして何より白いご飯に緑の豆が目にも美味しい。また豆を別に甘く煮て、酢飯に入れた俵型のおにぎりは、初夏のピクニック弁当にぴったりだった。ほっくりと豆ごはんを頬張るのも、豆をちょこちょこ摘まむのもどちらも美味しい。夕餉の豆ごはん、そのおかずには、鰹のたたき、筍の若竹煮、それに分葱のヌタとくれば、まさに緑あふれる初夏のご馳走。
親も子も箸かろやかに豆ごはん 越智淳子
四月:鰆の焼物
椿が春の木なら、鰆は春の魚。もっとも鰆は日本では北海道以南で一年中とれる出世魚。寒鰆は脂がのっていて西京焼きにはぴったり。春に関西周辺、瀬戸内海に来る頃には体長1メートルほどになるという。脂は少なくなるが、むしろさっぱりして旨味は増す。春の京料理の焼き物には欠かせない。骨が少なくて食べやすいのも嬉しい。焼く匂で何の魚かと判るほど魚はそれぞれの味が違う。魚を食す人々は味覚が発達するらしいが、それも頷ける。
鰆焼く香や昼近き京の露地 越智淳子
三月:スパゲッティボンゴレ
アサリ(ボンゴレ)は、最近、産地偽装の残念なニュースが出たが、3月が旬の、味の濃い、多くの人に好まれる二枚貝。アサリをガーリック、塩、白ワインで仕上げたスパゲッティボンゴレは、日本人が最も好むイタリアンの定番。アサリの身を細かくしたものや貝の殻ごと入れるものなどタイプはいろいろだが、殻に溜まったソースに浸かったアサリの旨味は格別。食べた殻を別の皿に積み上げるのは、野趣もあり、ちょっと豪勢。
磯の香の殻ごと浅蜊スパゲッティ 越智淳子
二月は立春だが寒さは一段と深い。温かい鍋は、なによりご馳走。おでんが、他の鍋物と違うのは、その時間の流れ。のんびりと時間に揺蕩いながら、おでんは美味しくなる。がんもどき、大根、薩摩揚げ、つみれ、蒟蒻、はんぺん、ちくわ、ゆで卵、等々具材は限りなく、それぞれが互いに作用し合い味を作り出す。好みの具を人に尋ね、自分の好みも宣言してみると良い。驚くほど、一番好みの具は各人それぞれ。その違いこそが、おでんの醍醐味。
語り合ふ大根つみれおでん鍋 越智淳子
一月:七草粥
七草粥は芹、薺、御形、はこべら、仏の座、すずな、すずしろの若菜を入れた正月七日に食べる粥。お節に雑煮、酒、肴と食べ過ぎた正月もやや落ち着いた頃、大根の若菜などで胃を休め、生命力を頂くのも理に適う。前の晩、俎板たたき「七草なずな 唐土の鳥が 日本の国に 渡らぬ先に ストトントン」と囃し朝粥にする。この歌母から聞いた。昔から人々は鳥インフルなど経験的に知っていたのかもしれない。今年こそ、疫病去って健やかに!
健やかに老も児もみな若菜粥 越智淳子
十二月:湯豆腐
凩が吹くようになると、暖かい鍋物はご馳走。豆腐はたいていの鍋に入る素材だが、豆腐一品、昆布だけで成り立つのが湯豆腐。大勢で囲んで具を競り合って楽しいのが大方の鍋だが、湯豆腐はごく少人数、あるいはひとりで向かうのも悪くない。湯を沸騰させず、しかし豆腐の芯まで温まるのをゆっくりと待つ。待っているその時間は、いつしか、忙しない師走を遠く離れ、心も体もゆったりと温まる。
湯豆腐や思ひ出ゆるる小さき泡 越智淳子
十一月:猪鍋(牡丹鍋)
ニホンオオカミがご神体の神社は武州近辺には多いらしい。狼が食物連鎖で頂点に立つため、猪や鹿、鳥獣による作物被害に困った人間が狼を頼りにした故とか。現代の狩猟解禁日は本州以南では11月15日。仏教から日本人は、猪肉を牡丹や山鯨と言い換え、薬喰など、どこか言いわけがましいのも面白い。季語は昔を語る。ドイツで肉料理を食べた鴎外は「粗なりといへど滋養に富む」と日記に記した。昔の日本人に猪はまさに滋養の源だったろう。
山駆ける勢のまま牡丹鍋 越智淳子
十月:栗ご飯
栗は縄文時代から食べられ、なんと栽培の跡もあるそう。栗はその成長過程が面白い。目立たない花から青い毬、そして茶色へと。地面に落ち弾けた毬からは艶やかな栗の実が現れる。形も色も元気溌剌。栗飯には栗おこわや栗ご飯といろいろ。母は昔包丁で一つ一つ皮を剥いていた。今は剥き栗を買えば簡単に炊ける。ほんのり甘い栗ご飯におかずは秋鯖の煮付け、茸の澄まし汁とくれば、まさに秋の味覚満載。
ほこほこと甘みほのかに栗ご飯 越智淳子
九月:秋刀魚の塩焼き
秋刀魚は文字通り、刀の形と光を持つまさに秋を告げる魚だったが、最近は不漁とのこと。気候変動の故か海流の変化か、理由ははっきりしないとか。自然はやはり人知を超える。もうもうと煙を立てて焼く秋刀魚は庶民の代表的な魚だったはずが、いつのまにか高値となった。冷凍技術のおかげか、食卓には冷凍秋刀魚も上る。ともあれ、脂の炎に焦げた秋刀魚に大根おろし、スダチあるいはレモン、醤油を滴らせれば、秋の海の恵みは広がる。
皮ぱりと箸に破るる焼き秋刀魚 越智淳子
八月:精進揚げ
和食は、仏教に根差す精進料理から発展したともいわれる。八月は、旧盆の季節、死者の魂を迎え、また送り返す鎮魂の月。お寺で供されていた精進料理も、料理屋や家庭に入り、ご馳走となれば、精進揚げとなる。魚肉は使わずとも、茄子、シイタケ、人参、かぼちゃ、サツマイモ、舞茸等々、野菜のどれもこれもが、何故にこれほど、と思うほど美味しくなる。まるで陶磁器が灼熱の窯の中で思いがけない変容を遂げる窯変のように。
窯変の茄子や茸や精進揚げ 越智淳子
七月:鱧料理
魚篇にいかにも良い字が当てられているのが鱧。大阪の天神祭、京都の祇園祭では欠かせない魚だが、関西と関東で消費量に大きな差があるとか。ただし、最近では関東のスーパーでも鱧の湯引きが売られ、料理アプリでは骨切り済みを使って家で作れる湯引きや洋風など多様なレシピが見られる。特別な包丁で骨切りの技が広まっての鱧料理。真っ白な身に真紅の梅肉は美しく、ふわりとした天ぷらは、淡白のようで後から豊かな旨味がじわり広がる。まさに字の通り。
食べなはれ鱧は元気の天こ盛り 越智淳子
六月:鮎料理
人々が散策やスポーツする広々とした河川敷の真ん中に一筋の水面がキラキラ光る。この穏やかな川風景も、ひとたび豪雨や台風となれば、河川敷を覆いつくし橋げたに迫る濁流となるのが日本の河川。この変化の激しさは急峻な山が連なる日本独自の地形によるのだろう。その分、河川の恵みもまた豊。川魚の代表の鮎は、その眼付、口付に野生の精悍さを見せる。夏、日本人はこの恵をありがたく頂く。塩焼き、鮎膾、甘露煮、どれも美味。
河童くれし鮎山川の香りかな 越智淳子
五月:アスパラガスとオランデーズソース
日本だけでなくどの国も旬の味を楽しむ習慣は古くからある。アスパラガスは、日本では晩春の季語だが、ヨーロッパでの旬は初夏になる。これを食べるためにアスパラガスを模した特製の皿に載せるほど、日本人顔負けの礼儀作法で旬を賞味。ホワイトあるいはグリーンアスパラガスを柔らかく茹でた上にバター、卵黄、レモンの酸味が絶妙に融合したオランデーズソースは、アスパラガスのほのかな若草の匂いと相まってまさに旬の味。
アスパラガスオランデーズをまとひ初夏 越智淳子
四月:鯛めし
桜鯛とは、まさに桜の季節に体が朱くなる鯛を呼び、季語ともなる。生態的には、繁殖期特有とのことだが、この色、かなり繊細で、ストレスがかかると失せるので、漁師は、船内の大きな生け簀にすぐに納めて、朱色を保つという。鯛めしは、焼鯛をお米と一緒に炊くものから、刺身あるいは鯛そぼろをご飯にのせるものと地域によっていろいろ。流線形が魚の普通の形なら、丸みを帯びた鯛は尾頭ともに立派、味が良くて、その上、朱いとなれば、やはりめでたい魚、ありがたい海の幸だ。
ほろほろと土鍋にほぐすさくら鯛 越智淳子
三月:ちらし寿司
3月3日の雛祭りにちらし寿司、というのがいつの間にかスーパーに浸透している。確かにちらし寿司は見た目も華やかで美味しい。江戸前の握りずしが日本全国いや世界に浸透したのは、つい半世紀前ぐらいから。それまでは祝いの寿司はちらし寿司、という土地も多いはず。瀬戸内の海老を桃色のそぼろにして載せたちらし寿司の美味しさは、今も記憶にはっきりと残っている。魚貝、筍、青いんげん、シイタケなど具いっぱいに海苔や錦糸たまごのちらし寿司は、日本の色に満ちている。
春色をちらし節句の寿司とせん 越智淳子
二月:寄鍋
日脚は日に日に伸びているが、寒さは一段と厳しい二月。寒く冷え切った晩には、やはり鍋が一番。水炊き、しゃぶしゃぶとさまざまあるが、魚貝の入る寄鍋は、だしの旨味で湯気の香りまで味わい深い。親は子に、子は老親に、あるいは若者同士、美味しい具材をにぎやかに教え合うおしゃべりも寄鍋の良さ。湯気でくもる窓の外の寒さは遠い。
寄鍋やこの貝旨しと箸で寄せ 越智淳子
一月:お節料理
お正月のお節、重箱に綺麗に詰められたもろもろの料理。紅白かまぼこ、ごまめ、黒豆、栗きんとん、伊達巻、酢の物、焼き魚、海老、煮しめ、叩きごぼう、昆布巻き、酢蓮根等々。お節のそれぞれ品の由来は、「よろ昆布」や「豆に生きる」など、駄洒落のように聞こえるが、ひょっとして、これは後付けではなく、それこそ遥か遠い昔、人類が食べ物を手に入れた時の喜びの叫びがそのまま糧の名前になったのではないか?ふとそんなことを考える。
よろこびの言の葉つどふお節かな 越智淳子
十二月:ローストチキンレッグ
クリスマス料理-欧米各国にはそれぞれの伝統料理があるが、戦後日本が取り入れたのはアメリカ文化。ならクリスマスには七面鳥となるはずが、それは無理と、替わりに鶏のもも肉ローストが店頭に見え始めたのは昭和30年代後半。味は照り焼き風で、骨の部分を銀紙で包めばご馳走感に溢れた。その後のブロイラー鶏、そしてその味に満足しなくなると地鶏を謳い、今では全国にブランド鶏があるようだ。そんな歴史の変遷も子供の笑顔の食卓には遠い話。
鶏の腿ほほばる子どもイヴの卓 越智淳子
十一月:牡蠣フライ
季節が寒さに向かうにつれ、牡蠣が美味しくなる。牡蠣の賞味期間は、月の文字にRが入る九月(September)から四月(April)というのは日本でもよく知られた話だが、養殖が当たり前の今では昔の話となりつつある。殻付きの生牡蠣にレモンを滴らせ啜るのは、旬を楽しむ優雅な習わしというのはモーパッサンの「ジュール叔父」からもお馴染み。生も良いが、火を入れた牡蠣は安心で一層美味しい。ご飯と味噌汁に牡蠣フライ、サクと齧れば、その美味しさは口いっぱいに広がる。
潮の香熱く放つや牡蠣フライ 越智淳子
十月:松茸飯、土瓶蒸し、焼き松茸
松茸は希少価値の食材の代表格。その香りは独特で、しかも採れにくい。昔人々は、里山で燃料とする松葉掻きをしていたが、化石燃料となり松葉掻きが絶えると、土地は落葉で富栄養化し、その結果生育しにくくなったとか。アカマツも樹齢30年ぐらいなどいろいろと条件もあり、人工的に栽培できないのは確かに希少価値。ということは、松茸はまぎれもない「旬」という季節の、秋のご馳走。松茸を焼き、ご飯に炊き込み、はたまた吸物にと松茸を料るのもまた誇らしげ。
松茸籠下げて高下駄板前は 越智淳子
九月 子芋の煮物
今月から「今夜はご馳走」がテーマ。美味しいもので心が満たされれば、どんなものでもそれが「ご馳走」。俳句では芋は里芋。八ツ頭、海老芋と形もいろいろ。親芋から子芋たくさんというのも縁起が良い。煮ればもろもろの味が沁みこみ、噛み心地のある柔らかさは美味しさのもと。「衣被」や「芋の煮ころがし」あるいは「お芋さん」、里芋をめぐる言葉は、丸く愛らしい形と深い味への有難みの故だろう。里芋は、家庭の味から京の料亭、各地の芋煮会までおそらく日本人の味の原点のひとつに違いない。
山の味海の味沁む子芋かな 越智淳子