3月16日、第33回きごさい+がズームで開催されました。講師は、きごさい+ではおなじみの株式会社虎屋・虎屋文庫主席研究員の中山圭子さん。中山さんの講座は今年で8年目、春夏秋冬の和菓子に続いて羊羹、落雁、南蛮菓子と毎回好評です。そして今回のテーマは「心ときめく雛祭りの菓子」でした。
講座 レポート
3月3日の雛祭りが過ぎると、お嫁に行くのが遅れるからと早々にお雛様を片づけられてさびしかった。「旧暦で雛の節句を祝う地域もある」という中山さんのお話の通り、前に訪ねた山国の旧家では3月下旬というのに立派なお雛様が飾ってあって心が華やいだ。ずっと飾ってあればいいのに、と思わないこともないが、節句という節目があることが、一年を過ごしていく上で大切なのだろう。
雛人形も雛菓子も愛らしく美しく、女子限定の楽しいお祭り。中山さんのお話を聞くまではそんな単純なイメージだったが、雛祭りのルーツは中国伝来の厄払いの行事という。そういえば流し雛という儚い行事も今に続いている。そして雛菓子にも深い意味と歴史があった。
レジュメにそって、画面には生き生きとした錦絵や貴重な史料、美しく可愛らしい雛菓子の画像が次々と紹介され、中山さんの明快で楽しいお話が始まった。
〇雛祭りの歴史
もともと雛祭りは上巳(じょうし)の節句と呼ばれ、中国の風習にならい、禊(みそぎ)や穢(けが)れ祓いが行われていた。雛人形の始まりも、身の穢れを移して川に流した「ひとがた」(形代(かたしろ)・後の流し雛)といわれる。人形を飾る女子の節句として定着するのは江戸時代に入ってからで、幕府が五節句の一つとしたことから、全国各地に広まった。
〇雛菓子について
上巳の節句には、厄祓いの意味から、香りの強い草餅を用意する習わしがあった。平安時代には、母子(ははこ)草(ぐさ)(春の七草のひとつ、ごぎょう)を餅に搗き交ぜた母子餅が主流だったが、雛祭りが定着する江戸時代には蓬を使ったものが多くなる(一説に母と子を搗き混ぜるのは縁起が悪いという解釈がある)。雛壇に供える菱餅は、草餅と白い餅を組み合わせた、緑と白の配色が一般的であった。菱餅の意味については諸説あるが、古代中国の陰陽思想の影響が強いのではないかと考えられる。
菱餅の形を不思議に思っていたが陰陽思想の関連とは驚いた。菱の形は女性の象徴、五月の節句の粽は男子の象徴、という解釈もあるのが興味深い。また、現在の菱餅は赤、白、緑の三色三段だが、江戸時代は緑と白の餅を交互に奇数に重ねていたのが文献に見られ、錦絵にも描かれている。何点か紹介された錦絵は雛段の豪華さや雛祭りを楽しむ人の様子が生き生きと描かれて楽しかった。
このほか、雛菓子として紹介されたのは、
〇雛あられ…煎った糯米、はぜ(爆米、葩煎)が原形。 関西の雛あられはあられやおかき類である。
〇あこや(いただき・ひっちぎり)…京都でよく見られる雛菓子。「あこや」とは真珠貝のことで、餡をいただいているので「いただき」、先端をちぎったような形から「ひっちぎり」ともいう。
「あこや」は不思議な形、そして色も可愛くてとても魅力的な菓子だ。江戸時代からあったが、雛菓子として江戸では定着しなかったとのこと。虎屋では京都店限定で雛節句の期間のみ販売しているそうだ。手に取って見てみたい、食べてみたい、東京で買えないとはとても残念。
〇そのほか…生菓子・金花糖・有(ある)平(へい)糖(とう)・落雁など
生菓子は桃の花や果実、蛤、お雛様などをモチーフにしたものが見られる。金花糖は砂糖液を木型などに流し込んで固めたもの。鯛や果物、野菜などさまざまな形があり、一般に中身は空洞である。有平糖は南蛮菓子のひとつで、飴細工である。
『宝暦(ほうりゃく)現来集(げんらいしゅう)』(1831自序)によれば、1770年代頃には、鯛や松竹梅をかたどった安い落雁などの雛菓子を行商するものもいたそうだ。また、幕府の御用学者、屋代(やしろ)弘(ひろ)賢(かた)らによる『諸国風俗問状答』(1813頃)は、各地の行事についてのアンケート調査のようなもので、雛祭りについての項目もある。草餅に母子草を使わない地域が多い中、出羽国秋田領や丹後国(京都府)峯山領などでは蓬同様、使用していること、備後国(広島県)深津郡本庄村では、昔は母子草で今は蓬にかわったことなどがわかるという。
江戸時代の雛菓子については、御所御用をつとめた虎屋の雛菓子の記録も紹介された。貞享4年(1687)3月3日には小さな饅頭を3000ばかり納めたそうだ。元禄年間には、模様入りの惣銀の折や杉重箱に菓子を詰め、納めたとのこと。小さい雛菓子を納める専用の雛井籠や重箱なども紹介されたが、なんて豪華で雅なこと! 御用記録の中には、雛菓子の大きさ(1.5~2㎝)がわかる略図を書いたものもあり、そんな小さな雛菓子が作れるの、とため息がでる。美しい入れ物に詰められたたくさんの愛らしい雛菓子、ご覧になった宮中のお姫様の驚きと喜びはいかばかりかと思う。
なお、現在にも伝えられる雛菓子は地方色豊かで、くじ(ぢ)ら餅(山形)、花饅頭・きりせんしょう(岩手)、金花糖(石川ほか)、ひな餅(島根)、からすみ(岐阜・愛知)、桃カステラ(長崎)、三月(さんぐゎち)菓子(ぐゎーし)(沖縄)ほかいろいろあるそうだ。
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中国から伝わった厄を払う行事(形代を流す)が女子の成長を祝う華やかな雛の節句に、強い草の香りで厄を払う母子餅が色とりどりの可愛らしい雛菓子に、と江戸時代中期以降、日本では明るく楽しい雛祭りとして発展・定着してきた。一方中国では雛祭りのような行事は聞かないという。厄払いの食べ物を美しくおいしい菓子に変えていくのも日本人の特性かもしれない。また小さなものを愛でる感性は日本人が一番のような気がする。春のひと日、雛菓子の歴史と美に心ときめき、雛の節句の本来の意味を知る充実したお話だった。(葛西美津子記)
参考図書
亀井千歩子『日本の菓子』東京書籍 1996年
亀井千歩子『縁起菓子・祝い菓子』淡交社 2000年
『聞き書ふるさとの家庭料理 <別巻> 祭りと行事のごちそう』農文協編 2004年
服部比呂美「庄内地方における雛祭りの飾り物‐雛菓子と押絵雛菓子‐」
無形文化遺産研究報告第2号 所載 2008年
溝口政子・中山圭子『福を招くお守り菓子』講談社 2011年
つるおか伝統菓子 令和3年度・令和4年度「鶴岡雛菓子」調査報告書 (ネットで閲覧可)
開催中の虎屋の展示
東京ミッドタウン店ギャラリー(六本木) 6月26日(水)まで
虎屋 赤坂ギャラリー 5月30日(木)まで
虎屋文庫について
和菓子文化の伝承と創造の一翼を担うことを目的に、昭和48年(1973)に創設された「菓子資料室」。室町時代後期創業の虎屋に伝わる古文書や古器物を収蔵、和菓子に関する資料収集、調査研究を行っている。学術研究誌『和菓子』を年1回発行。
非公開だが、お客様からのご質問にはできるだけお応えしている。
株式会社 虎屋 虎屋文庫 〒107-0052 東京都港区赤坂4-9-17 赤坂第一ビル2階
E-mail bunko@toraya-group.co.jp TEL 03-3408-2402 FAX 03-3408-4561
句会報告 選者=中山圭子、長谷川櫂
◆ 中山圭子 選
【特選】
ひとひらの花びら紛れ雛あられ 飛岡光枝
遠山の雪を集めて金花糖 飛岡光枝
見えぬもの見てゐる母よ桃咲いて イーブン美奈子
まだ夢を見てゐる箱の桜もち 飛岡光枝
花時の闇の向かふの戦火かな 宮本みさ子
雛あられこぼれて遠き昔かな 齋藤嘉子
【入選】
畳むとき緋毛氈より雛あられ きだりえこ
祖母が煎る大地の色よ雛あられ 齋藤嘉子
どこぞより一声聞こゆ鶯餅 長谷川冬虹
桃の花けぶれる里に雛の家 葛西美津子
永遠にあれ戦なき世の雛祭 澤田美那子
白は雪淡紅は花雛あられ 長谷川櫂
春愁が色とりどりや雛あられ 三玉一郎
よもぎ餅搗いてみどりの杵と臼 宮本みさ子
雛あられくすくす笑ひだしさうな 葛西美津子
◆ 長谷川櫂 選
【特選】
まだ夢を見てゐる箱の桜もち 飛岡光枝
【入選】
嬰の目に春のつぼみがひらくかな 趙栄順
クレヨンで目鼻もらひぬ紙雛 齋藤嘉子
羊羹の切り口濡れて雛の間 宮本みさ子
草餅を少し温めて分け合うて 奈良握