「母の日」は子どもが母への感謝をこめてカーネーションなどを贈る日。日本では五月の第二日曜がその日となっている。戦後、米国にならったもので、ややバタ臭い感じがしなくもないが、世界中の多くの国々に母の日はあるそうだ。日はさまざまだが、母を思う子の思いは国や民族、宗教を問わずということなのだろう。
私は数年前に母を亡くした。母が健在だったころは母の日に洋服などプレゼントを贈っていたが、亡くした後は母の日をほとんど意識しない。父はまだ健在だから父の日(六月の第三日曜)にはプレゼントを贈っている。してみると母の日というのは、母が健在でいる子どものための日なのではあるまいか。
いま私が母を強く意識するのは、母の日でもなければ母の忌日でもない。人生のさまざまな困難にぶつかり自分が苦しいときだ。人生を投げ出したくなったとき、決まって母が夢に現れる。そして「もう少し頑張ってみたら。見守っているから」と声をかけてくれる。すると勇気が湧いてくる。状況は何ら好転していなくても「何とかなるさ」という気になるのだ。不思議なものだ。
母と子のきずなは娘より息子のほうが強いのではないだろうか。自分が長男だからとくにそう思うのかもしれないが、歌人の石川啄木と母との関係などを見てもそうだし、あるいは能の『隅田川』や『三井寺』のような〈狂女物〉などを見ても、母の狂乱は息子ゆえと思うのだ。
たはむれに母を背負ひてそのあまり軽きに泣きて三歩あゆまず 啄木
こういう思い丈の深さは、偏見かもしれないが、啄木や私のように母に愛された長男のものだという気がする。啄木の母カツは明治四十五年三月に亡くなるが、そのわずか一ヶ月余り後には、啄木も世を去っている。その三年前に朝日新聞の校正の仕事を得て、妻子と母を北海道から東京に呼び寄せたばかりだった。母を身近に置き、最期を看取り、啄木は安心したのだろうか。(季語歳理事 写真=カーネーション)
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龍の年である今年の正月、中国の国宝「清明上河図」をこの目で拝もうと東京国立博物館に向かったが、朝から溢れかえる人波に退散。日を改めて、予め前売り券を購入し開館前から列に並び、それでも長ーい待ち時間の末、神品といわれる絵巻物に辿り着いた。「清明上河図」は、北宋の都、開封の清明節の情景を描いたものである。都の春の一日、約600人の人々が思い思いの表情で往来や川や船や橋で、絵巻をはみ出すごとくさざめいている。
高校生のときボート部に入っていた。練習の場は、荒川沿いにある競技用ボートコースだ。草の上でウォーミングアップをしてから、ボートを出す。春は水の上に浮かぶだけでやわらかい風を感じた。岸では八重桜がぽんぽんと弾むように咲いていた。