きごさい+ 「大坊珈琲を味わう」レポート
10月28日(日)第16回「きごさい+」が神奈川近代文学館で開催された。
講師は大坊珈琲店主 大坊勝次さん。
南青山にあった大坊珈琲店は、自家焙煎とハンドネルドリップというスタイルを38年間変えずに営業し、著名人を含む多くの人たちから愛されたが、7年前ビルの取り壊しにより惜しまれつつ閉店した。もうお店で飲むことのできない幻の大坊珈琲を味わえる、そして大坊さんが珈琲を淹れる様子を間近で見られる、貴重な機会となった。
コーヒーミルから挽きたての香りが漂い、いよいよ抽出が始まった。つる首のポットからお湯が白糸のように細くゆっくりとネルに注がれる。それはそれはゆっくり丁寧に。7~8分かけて4杯分を淹れるのだが、その間大坊さんはずっとネルのコーヒー豆を見つめ、白糸の湯を滴らせたり止めたり、まるで珈琲の声を聴いているようだ。コーヒーカップを温め、静かに注ぐ。その一連の所作はゆったりと美しい。参加20人だったので4人分ずつ5回繰り返されたのだが、まったく飽きることなく見とれていた。比べて自分は、今までなんと雑にコーヒーを淹れてきたことか。
濃いのに苦くない、やわらかい珈琲だった。口々に、美味しい、という声がもれる。深々とした珈琲の味と香り、そして大坊さんの佇まいに魅了された一時間だった。
後半は、偶然ふらっと大坊珈琲店に立ち寄り、以来いい店だなと通い出した、という長谷川代表と大坊さんの回想を交えたトーク。
分厚く、少し捩れたカウンターは、木場に浮いていた米松を取り寄せたもの。生木なので年月が経つと捩れていくのは覚悟の上だったが、どの辺で捩れが止まってくれるかは賭けだった。数年して一方の端が反ってコップが滑るようになったとき、一度だけなだらかな傾斜になるよう角度をずらして調整した。削れば簡単だが削りたくはなかった。捩れたりごつごつしていく経過を自分も楽しんでいたし、面白がってくださるお客様もあったので、と大坊さんは微笑んだ。
お店で豆を買って自宅で淹れてみるのだがどうしても大坊さんの味にはならない。水のせいか、道具のせいか、と思っていたが、大坊さんの淹れる姿を見てわかった気がする。あのふわっとやわらかい味は、ゆっくり時間をかけて、今日の句にもあった「慈しむように」淹れるからなのですね、と長谷川代表。
今はコーヒー機器の技術開発が進んで、微粉の出ないミル、全自動コンピューター制御のロースターもあるが、自分は微粉があってもいいと思っている。苦味や雑味を微粉のせいにしてはいけない、それより焙煎の工程、抽出の工程が大事、と大坊さんは言い切る。
そこからの焙煎の話が興味深かった。大坊さんは手回しロースターを使って焙煎をしているのだが、温度計がついていないので、自分の目で豆の様子や色を確かめながら、火力の調整をしてゆく。一爆ぜ二爆ぜと焙煎は爆ぜ(はぜ)を目安にするのだが、爆ぜそうになると火を弱めたり火から離したり、できるだけ爆ぜを遅らせるよう、ゆっくり時間をかけて焙煎していく。二爆ぜもゆっくり過ぎ、深煎りからさらに焼き過ぎ直前まで焼くと、やわらかな味になる瞬間があるという。それをちょっとでも過ぎると苦くて飲めなくなる。そのピンポイントを見極めようと愛用のロースターと仲良くしながら、工夫を重ねてきました、と大坊さんは語った。焙煎もゆっくり、抽出もゆっくり、丁寧に時間をかけることによって、あの濃くてやわらかい大坊珈琲になるのだ。
最後に、七年前、閉店を惜しむ声が多い中、違う場所で始めることは考えなかったのでしょうか、の問いに対して。長い年月をかけて作ってきた店で、初めて来た人でもいられる空間になっていたと思う。引っ越して一からそういう空間を作るのに何年かかるか、自分の年齢、急速に変わってゆく時代を考えて、その選択をしなかった、と静かに語った。
大坊さんは、長い年月と時間が作り出すものを何より大事にされている。時間をかけて本物になっていくものを静かに見つめておられる。カウンターしかり、珈琲豆しかり。
現在、大坊さんは全国各地で、手回しロースターを使った焙煎と抽出法をレクチャーしていらっしゃる。大坊珈琲に憧れて、教えを乞うコーヒーショップの店主も多いようだ。
葛西 美津子 記
<句会報告 選者=大坊勝次 長谷川櫂>
◆ 大坊勝次 選
入選
被爆して四人を育て草の花 磯田佐多子
珈琲となる一筋の秋の水 三玉一郎
ゆく秋の苦みなるらん珈琲よ 上村幸三
覗きみる心の奥の返り花 飛岡光枝
妖怪も珈琲ブレイクハロウィーン 清水今日子
蟷螂の見るべきは見し目玉かな 岩﨑ひとみ
◆ 長谷川櫂 選
特選
珈琲の一滴一滴秋深む 上村幸三
珈琲をネルで落として長き夜を 金澤道子
ゆく秋の苦みなるらん珈琲よ 上村幸三
逝く秋へ珈琲一杯献じたり 上村幸三
慈しむやうに珈琲淹れて秋 わたなべかよ
黄金のしづくの珈琲秋深し 西川遊歩
入選
鶏頭はごつと珈琲はブラック わたなべかよ
冬隣珈琲淹るる無心かな わたなべかよ
珈琲の香に満ち満ちて憩ふ秋 中山圭子
珈琲となる一筋の秋の水 三玉一郎
黄落は風格の街コーヒー濃し 鈴木伊豆山
秋深む珈琲の香ははなやかに 上田雅子
珈琲の香りの中や秋昼寝 飛岡光枝
珈琲の宇宙空間冬に入る 葛西美津子
仙人の淹るる珈琲秋の色 わたなべかよ
珈琲に五感めざめて秋深し 中山圭子
早々と珈琲の香に冬ごもり 飛岡光枝
華やかな珈琲といふ秋の暮 葛西美津子
まづ音で味はふ珈琲秋深し 清水今日子
「かなぶん」に大坊珈琲菊日和 上田雅子
階下まで珈琲の香や秋闌ける 金澤道子
これやこの大坊珈琲秋深む わたなべかよ
珈琲と火と気と露と香の一碗 西川遊歩
秋のコーヒー所作美しく淹れらるる 上田雅子
人類に珈琲の秋深みゆく 飛岡光枝
秋天を香らせ大坊珈琲よ 上村幸三
ドリップの一滴に山粧へり 鈴木伊豆山
露の玉一滴づつを珈琲に 金澤道子
珈琲香る秋の館となりにけり 飛岡光枝
身に入むや志野に味はふコーヒー濃く 鈴木伊豆山
色鳥や珈琲の香の流れくる 葛西美津子