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8月16日きごさい+報告 「平安時代の菓子とは?」

きごさいBASE 投稿日:2025年8月29日 作成者: dvx223272025年9月24日

                       
 「平安時代の菓子とは?」  講師:虎屋文庫 中山圭子

【講座レポート】
 菓子といえば甘い味をイメージするが、確か平安時代はまだ砂糖はなかったはず。
本日の演題「平安時代の菓子とは?」 の「?」が、レジュメにそって中山さんの明快なお話と画面に映る貴重な画像で解き明かされていった。
平安時代(794~1185)の貴族の食は、米を中心に魚介や山菜、野菜類を用い、調味料は塩、酢、酒、醤(ひしお)。菓子とは主食以外の副食、嗜好品を指し、具体的には①木の実・果物 ②餅類 ③唐菓子があるそうだ。

〇平安時代の菓子 
①  木の実・果物
②  餅類: 餅は稲作や霊魂の象徴
  五穀豊穣・子孫繁栄・除災招福 祈りや願いを込めて神に捧げ、共食した。
  年中行事との結びつき
  三月三日の母子餅(草餅)、五月五日の粽、十月亥の日の亥の子餅は平安時代から今も続いていることにびっくりした。
  正月の餅はそもそも歯固めの餅だったのか。
  人生儀礼
  三日夜の餅:当時は通い婚だったが三日通ったら正式に結婚の祝いとして、三日目の夜、三日夜の餅を用意したという。
  五十日の餅、戴餅: 子どもの成長を祝う。生まれて一年目の子どもの背に一升餅を背負わせる行事が今でもある。
③  唐菓子
遣唐使などが中国より伝えた菓子。多くは米の粉や小麦粉をこねて形作り、油で揚げている。
梅枝、桃枝、餲餬、桂心、黏臍、饆饠、団喜(歓喜団)、結果、餢飳(伏兎)、餛飩、餺飥、粉熟、
餅餤、糫餅、索餅(麦縄)、捻頭(麦形)など
中山さんの解説と図版の画像で、唐菓子の形や名前にそれぞれ意味や願いがあることがわかり興味深かった。「餅」は中国では小麦粉で作った製品を意味する、という説明にもはっとした。飛鳥~平安時代に渡ってきて米粉でも作られるようになったのだろうか。また、図版では唐菓子が器に高く積み上げられていて、平安時代はそのような盛り付け方をしたのか、とちょっと不思議だった。この盛り付け方も中国の影響だろうか。
現在、唐菓子の一部は神饌として受け継がれているという。

  
〇甘味料 甘葛(あまずら) について
唐菓子の甘味にも使われたという甘葛(あまずら)。でも何と言っても『枕草子』の 「あてなるもの~~削り氷(けずりひ)にあまづら入れて、あたらしき金鋺(かなまり)に入れたる。」にあこがれる。何しろ「あてなる」は「貴なる」、まさに平安時代のイメージだ。中山さんは「甘葛再現プロジェクト」に参加したことがあるそうだ。甘葛は冬の間に甘味を増した蔦の樹液を煮詰めたもの。適宜に切り、一方から息を吹き樹液を滴らせ、それを十分の一まで煮詰めて、甘葛を再現したとか。上品な甘さで、蜂蜜のような色合いだった、とのお話にいよいよ想像がふくらむ。甘葛をかけた削り氷が入った金属の一椀、虎屋が再現したレプリカがとても美しく、まさに「あてなるもの」だった。でも蔦の樹液を集めるのも煮詰めるのも相当な手間と時間がかかり、削り氷は氷室の天然の氷を運ばせて、となれば一杯百万円ぐらいする高価なものではないか、とのお話にため息がでた。

 〇古典文学に見える菓子
以下の物語の中で菓子の出る場面が紹介された。当時の人々の暮らしと菓子との関わりがいきいきと描写されており、そして千年も前の菓子が現在に通じることにも驚いた。
『伊勢物語』とかざり粽 :宮中の端午の節句には厄除けとして粽を用意。
『土佐日記』と糫餅 :糫餅を売る店とも解釈されるが、諸説あり。
『和泉式部集』と母子餅 :花のさと心も知らず春の野に いろいろつめるははこもちひぞ
上巳の節句には厄払いのため、香りの強い草餅を食べる風習があった。昔は母子草(春の七草のひとつ、ごぎょう)を用いた。
『枕草子』と青ざし・餅餤 :青ざしは昭和頃まで存在したという青麦の菓子。餅餤は唐菓子の一つ。
『今昔物語集』と麦縄 :麦縄は索餅に同じと考えられる。素麺の原形。
『源氏物語』と亥の子餅(葵)、椿餅(若菜上)、粉熟(宿木)
亥の子餅は時代とともに変化、現在の椿餅は餡入り、粉熟はしんこ餅の一種。
「若菜上」には公達たちが蹴鞠のあと歓談しながら椿餅や木の実などを食べた場面がある。今で言うとスポーツの後のおやつのようなものか、と微笑ましい。そして「葵」の亥の子餅が出る場面で、惟光と源氏のやりとりにくすっとしてしまうのは、先に中山さんの「三日夜の餅」の解説を聞いたからだ。

〇平安時代の美意識の影響
江戸時代に花ひらき、洗練され、現在に至るすばらしい和菓子の文化、それは千年前の平安時代の雅びな美意識を受け継いだものだった。江戸時代の上菓子(白砂糖を使った上等な菓子)の銘や意匠に、平安時代の和歌や物語にでてくる言葉や名前、絵巻に見るような衣装の配色「かさねの色目」などが使われているという。江戸時代の人々の古典の教養の深さにあらためて感じ入った。そして王朝時代の美意識を受け継いだ、菓子の文化、和の文化に日本人として誇りを感じた。
 
***
「中山さんの和菓子の講座も今回で9回目、9年目になります。」と司会から紹介した。それを受けて、本日初めて参加した方から、「9回目とは!このような講座が開かれているのを知らずに残念。今までの講座も聞きたかった。一冊にまとめる予定はありませんか?」と質問があった。残念ながらその予定はないが、そういう方に中山さんのご著書『事典 和菓子の世界 増補改訂版』(岩波書店)をお勧めしたい。写真やイラストが美しく、中山さんの明快で親しみやすい語り口を彷彿とさせる解説が楽しく充実している。コラムも珍しい図版とともに内容が濃い。
中山さんには来年も講座をお願いする予定です。            (葛西美津子記)

参考文献
中村義雄『王朝の風俗と文学』塙書房1962年
山中裕『平安朝の年中行事』塙書房 1972年
‐平安建都1200年記念‐『王朝の雅と和菓子』展 虎屋文庫展示小冊子 1994年

菓子関係展示情報
○とらや東京ミッドタウン店ギャラリー 特別展「夏休み!寒天博士になろう」9月17日(水)まで
○とらや赤坂店地下一階ギャラリー 「和菓子が出会ったパリ」 10月14日(火)まで 
○新潟県立歴史博物館 「飴・糖・あめ展」 9月6日(土)~10月19日(日)

虎屋文庫について
和菓子文化の伝承と創造の一翼を担うことを目的に、昭和48年(1973)に創設された「菓子資料室」。室町時代後期創業の虎屋に伝わる古文書や古器物を収蔵、和菓子に関する資料収集、調査研究を行っている。学術研究誌『和菓子』を年1回発行。
非公開だが、お客様からのご質問にはできるだけお応えしている。
株式会社 虎屋 虎屋文庫 〒107-0052 東京都港区赤坂4-9-17 赤坂第一ビル2階
E-mail bunko@toraya-group.co.jp TEL 03-3408-2402 FAX 03-3408-4561

〇講演のあと、句会が開催されました。 選者: 中山圭子、長谷川櫂
中山圭子 選
【特選】
声だして笑ふ姫君夏氷           森永尚子
古都の菓子食みて秋思をなぐさめん     越智淳子
れもん水飲み干す君の息踊る        狩野恭子
懊悩は底へ預けて水海月          伴
桃と息合はせて桃の皮を引く        金澤道子
京菓子を選ぶに迷ひ秋はじめ        斉藤真知子
【入選】
それぞれの顔はたがひぬ鮎の菓子      村山恭子
朝顔は青空掴むつもりらし         きだりえこ
かき氷削りし音の涼しさよ         谷口正人
水はじくうぶ毛をなでて桃あらふ      金澤道子
かき氷とらやの宇治の山みやび       西川遊歩
名水に水まんぢうのたゆたひぬ       村山恭子
この星に飢うる子ありて豊の秋       鈴木美江子
錦玉の流れに星撒く天の川         西川遊歩
空襲で溶けし羊羹敗戦忌          西川遊歩
つやつやの盆にぼたもち盆の入り      鈴木美江子
長き夜の菓子千年の物語          澤田美那子
水輪ゆれ真中にしんと水羊羹        飛岡光枝

長谷川櫂 選  (推敲例)
【特選】
洗ひたる墓に一切れ芋やうかん       葛西美津子
バラバラでも家族朝顔がひらく       田島博美
水輪ゆれ真中にしんと水饅頭        飛岡光枝
【入選】
白桃と息を合はせて皮を引く        金澤道子
空襲で溶けし羊羹敗戦忌          西川遊歩
握り鋏の音涼しさよ飴細工         飛岡光枝
月影や妻の好みの黒羊羹          花井淳
新盆や志ほせ饅頭乞はれ買ふ        西川遊歩
長き夜の菓子千年の物語          澤田美那子
琥珀羹夏の名残の水の色          澤田美那子

6月21日 第38回きごさい+ 報告

きごさいBASE 投稿日:2025年6月25日 作成者: dvx223272025年9月24日

鮎の話=釣り、味、歴史  講演= 鈴木康友(つり人社会長)
                          レポート=西川遊歩


 鮎は夏の季語ですが、春や秋にも跨る川の王と呼ばれる魚です。しかし、実際には鮎や鮎釣りについて、深く知っている人は多いとは言えません。鈴木康友さんは、つり人社の編集者であると同時に、優れた釣り人としても名を馳せていて、鮎について、多面的な視点から映像と体験に基付くレクチャーは、大好評でした。

☆縄張りに侵入した野鮎を追い払う習性を利用した友釣り“。
 針に付けたエサを食わせる釣りではない友釣りは、鮎の習性を利用したユニークな釣りである。縄張り意識の強い鮎は、侵入してくる鮎に激しくアタックするところを、囮鮎に仕組んだ針に掛ける。その行動のパターンと囮と仕掛けの仕組みの説明がなされ、友釣りの面白さが伝わって来ました。
鮎は清澄な川が生活圏ではなく、石に苔が付く流れを好む、という話題をきっかけに、日本の川についての現状が語られました。友釣り以外の釣り方としては、ドブ釣り、コロガシ釣り、サクリ釣り、ルアー釣りなど。友釣りの人たちは、他の釣人と比較すると長時間川に居る傾向が強いそうです。
友釣りの時代の移り変わりを映像にて説明。竹竿時代から、今は、スペースシャトルにも使用される新素材の鮎竿の時代です。ナイロン、フロロカーボン、金属、ハイブリッド、新素材の開発と釣り人のさらなる工夫が、釣り方をさらに進化させます。
糸は細くて丈夫で結びやすいものが商品化され、ハリ先も薄く鋭く強靭となり、長時間、川に立ち込んでも冷えないウエアも開発されています。日本の釣り具制作技術は世界最高レベルであることを知り、その技術の競い合いも垣間見えました。道具の歴史の場面で、昭和の狩野川の解禁日の写真が出て、釣り人のごった返す数の多さに、竿の乱立する風景にびっくりしました。

☆友釣りの名人たちと鮎の塩焼き
毎年、鮎釣りの大会が、全国のあちこちの川で開かれます。そこでの優勝者や上位入賞者の常連は、メディアの露出が多くなり、鮎の友釣りの名人として有名になり、釣り道具のテスターなどを依頼されるようになります。しかし、鮎釣りのプロの制度は無く、その魅力にはまり込んで、人生を台無しにする人もいるそうです。名人級の釣り人の川の流れや鮎の動きを見る五感と知見は凄まじく、独自の仕掛けを考案して、短時間に驚くほどの釣果をあげる力は想像以上のものがあります。
鮎の味は、川ごとに異なります。鮎の食べ方で一番おいしのは、塩焼きで、とくに美味しい川は、中部地方です。美濃の民宿の女将さんの塩焼きの写真が映し出され、頭まで柔らかく食べられる極意が語られました。五面焼きとか串の打ち方とか、要はじっくり丁寧に焼くことが、美味しさのポイントです。天然と養殖の違い、食べる部位の順番……塩焼きについては、会場から多数、質問が出ました。川の特徴を語りつつ、環境や外来種の問題に触れられていたことも印象的でした。
      
☆釣りが巧い編集者と釣りキチ三平 
鈴木康友さんは、編集者として鮎だけでなく、他の釣りにも長けていて造詣も深い。バスフィッシングではカリフォルニアの大会で優勝、アラスカのサーモンダービーでも優勝・・・国内だけでなく海外五十か国での活動、取材もされていています。様々な釣りのジャンルの知識と人脈を、「釣りキチ三平」の作者の矢口高雄さんに惜しみなく提供し、いわば三平の影武者的存在です。漫画はモデルが存在しても別名になっていますが、唯一「呪い浮き」の巻は鈴木さんが実名で登場しています。

   ✝

レクチャー終了後、活発な質疑応答で盛り上がりました。鮎釣りは、男の世界ですが、今回、聴衆は女性の方が多かったのが特徴的でした
 最後に、代表が友釣りの起源と球磨川の鮎についての質問をされました。球磨川の鮎は、日本一大きいサイズが特徴で、尺鮎に出会える鮎釣りのメッカの川のひとつだそうです。数年前に、人吉から八代へ向かっている途中、球磨川沿いの食事処に「鮎の塩焼き」の幟を発見、そこで食べた鮎の大きさと黄金色の美しさに驚いた記憶が甦りました。

句会報告
講演の後、句会が開催されました。    選者:鈴木康友 西川遊歩、長谷川櫂
鈴木康友 選
【特選】
旧道や店はおでんと鮎の串         森永尚子
酒一合鮎のこぼせし化粧塩         森永尚子
釣りてすぐ放つや囮鮎として        金澤道子
万物の鼓動のごとき鮎の竿         村山恭子
手の込んだ料理にまさる焼鮎よ       田中益美
【入選】
骨酒の器も鮎のたたずまひ         橘まゆみ
六月の鮎骨まで食ふや美味し        上松美智子
鮎飯の炊きあがるまで夕寝かな       森永尚子
岩床のひかりの綾に鮎遊ぶ         長谷川櫂
きらきらと朝日に鮎の釣られけり      金澤道子
紀の川の御用鮎師の気骨かな        西川遊歩
鮎の肌流れに磨かれ光り生む        佐藤森恵

西川遊歩 選
【特選】
夕あかね鮎一匹も釣れぬ日の        矢野京子
きらきらと朝日に鮎の釣られけり      金澤道子
雲走る大峰山や鮎の竿           玉置陽子
激流に浮かぶ一軒鮎の宿          飛岡光枝
鮎釣の一人一人の静寂かな         飛岡光枝
川の香の馥郁と鮎焼かれけり        長谷川櫂
【入選】
囮鮎あぎとふ水の青さかな         飛岡光枝
力ならどこにも負けぬ土佐の鮎       森永尚子
鮎飯の炊きあがるまで夕寝かな       森永尚子
串鮎の己の香りを知らぬまま        佐藤森恵
四万十は鮎も千草の匂ひかな        イーブン美奈子
語らひて鮎釜めしのほのぼのと       鈴木美江子
鮎食うて明日の泳ぎの達者なる       村山恭子
鮎の宿豊かに濡れる雨の川         上村幸三
吉野芳き川に佳き鮎小ぶりにて       イーブン美奈子
背にふたつ嘴のあと鮎を焼く        服部尚子
岩喰みて尾はそよぎけり上り鮎       越智淳子
ふるさとの川の匂ひぞ鮎合はせ       葛西美津子

長谷川櫂 選  (推敲例あり)
【特選】
激流に浮かぶ一軒鮎の宿          飛岡光枝
鮎釣の一人一人の静寂かな         飛岡光枝
飛び鮎や闘竜灘は雲の中          玉置陽子
【入選】
きらきらと命戯れ囮鮎           上村幸三
篝火に照るや漆の岐阜団扇         服部尚子
力ならどこにも負けぬ土佐の鮎       森永尚子
鮎飯の炊きあがるまで昼寝かな       森永尚子
水中の鮎友づりの火花かな         西川遊歩
鮎釣りて一生あらかた過しけり       園田靖彦
釣られてはあはれ囮となりて鮎       葛西美津子

6月21日 きごさい+は 「鮎の話=釣り、味、歴史」

きごさいBASE 投稿日:2025年3月28日 作成者: dvx223272025年9月24日

さまざまなジャンルから講師をお迎えして季節や文化に関わるお話をお聞きする「きごさい+」
6月のきごさい+の講師は釣り雑誌『つり人社』会長で、鮎と鮎釣りをこよなく愛する釣り人、鈴木康友さん。
どうぞぜひご参加ください。
講演の後、句会もあります。 選者:鈴木康友、西川遊歩、長谷川櫂

日 時 : 2025年6月21日(土) 
13:30~16:00 
演 題 : 「鮎の話=釣り、味、歴史」
講 師 : 鈴木 康友 (すずき・やすとも)                          

プロフィール:  
1949年生まれ。1971年つり人社入社。月刊『つり人』の編集に携わり、後に編集長として幅広いジャンルの釣りを取材する傍ら、バスフィッシュング『Besser』(1886年)、フライフィッシング専門誌『Fly Fisher』などを創刊し、編集長を兼任。また、40年に及ぶ人気別冊シリーズ『鮎釣り』、『鮎マスターズ』などの創刊も手がける。
2014年代表取締役会長就任、(財)日本釣りジャーナリスト協議会会長、公益財団法人 日本釣振興会副会長、日本友釣り同好会会長、日本友釣り会連盟会長、日本渓流釣連盟会長、東京はぜ釣り研究会会長、JKG(ジャパンナイフギルド)会長など。また、釣り人としても高い評価を受けている。

講師からのひと言
 鮎は日本で古来より愛されてきた美しく美味しい魚です。そして簡単には釣れないところが釣り人を夢中にさせます。
 当日はこんな切り口でお話ししたいと思います。
◎鮎は清澄な川で釣る? 
◎エサを食わせない珍しい釣り=友釣り 
◎ドブ釣り、コロガシ釣り、サクリ釣り、ルアー釣り
◎スペースシャトルの完成を早めた鮎竿
◎斧と剃刀の差
◎人生を台無しにするほど魅力的な鮎釣り  
◎川ごとに異なる鮎の味

2025年6月21日(土) 13:30~16:00  (13:15~ Zoom入室開始)
13:30~14:45  講演
14:50~15:20  句会(選句発表)
15:20~16:00  西川遊歩(きごさい理事)との対談、質疑応答

1月18日 第37回きごさい+報告


「一茶に見るわが国の園芸文化~世界最高水準の園芸文化とその庶民性~」

千葉大学大学院園芸学研究科 客員教授
『古志』同人
賀来宏和

 江戸時代、この国には当時の世界で最高水準の園芸文化が花開いていた。幕末にわが国を訪れた外国人は、庶民が園芸を愛好する様子を驚嘆の目で書き残している。
 
往古からわが国にある、植物など森羅万象に神性や精霊の存在を信じる原初的な信仰を土台として、折々に大陸から渡来した花を愛玩する習俗が、やがて観賞という作法をこの国に生む。大陸との交流が盛んな時期には、新しい植物や栽培方法などが渡来し、園芸に新しい光を与え、また、疎遠な時期には、それまでの蓄積を国風に熟成させ、わが国独自のものを作り上げる。そして迎える江戸期、世界の歴史上も珍しい比較的平和な260年余に亘る社会は、わが国独自の園芸を発展させた。
 江戸期の園芸文化は、徳川家康を始めとする将軍による植物愛玩に始まる。参勤交代制度による諸侯の江戸住まいと1657年の「明暦の大火」は数多くの大名庭園を生み出す契機となり、庭園造営の膨大な植物需要は、江戸近郊の農家が植木屋稼業を始める動機となった。
 世情が安定すると花鳥風月を楽しむ嗜好が生まれる。そのような成り行きに拍車をかけたのが、江戸中期の八代将軍徳川吉宗。吉宗は江戸近郊の飛鳥山、御殿山、墨田川などに桜を中心とする花の名所地を造る。これが、庶民を巻き込んだ花見文化を勃興させるとともに、身の回りでの植物の栽培や愛玩の風潮を生み出す。江戸後期には、時節の風俗として花見が定着するとともに、庶民の植物嗜好はやがて、品評会の「菊合せ」などの「花合せ」や見世物娯楽としての「梅屋敷」「朝顔屋敷」などの「花屋敷」、「菊細工」の「菊園」へと発展していく。
 こうして庶民が花見に繰り出し、身近に植物を愛でるようになると、面白くないのはこだわりの数寄者たち。誰でも持っている植物、栽培が容易なものは素人向きと、殊更に珍しい植物や栽培が難しいものを集める数寄者の園芸が一方で生まれる。
 「松葉蘭」と称されるシダ類の仲間。この奇妙奇天烈な植物を園芸化したのは日本人だけとされ、一鉢で家一軒が買える品種も出現、また、マンリョウの仲間である「百両金(カラタチバナ)」では一鉢2300両(今日の1億円以上)ものまで出たというから驚きである。
 また、諸藩では、殖産興業の目的を背景に持ちつつ、武士の精神修養としての園芸が行われるようになる。栽培を怠るとそれまでの努力が無駄となるのが植物との付き合いであり、これが精神修養に適うと捉えられたのであろう。
 江戸期に最高水準に達した園芸文化の特徴と言えば、独特の価値観や美意識による品種の選抜、栽培手法、観賞作法などが挙げられるが、見落としてはならない点は、園芸の庶民への普遍化である。当時の地球上で園芸がかくも広範に庶民化されていたのはわが国だけであったと言って過言ではない。

 小林一茶は生涯に二万句を残したとされ、『一茶全集』(信濃毎日新聞社刊)の第一巻『発句』には18,700余句が掲載されている。「雑の部」の植物に係るものを含め、植物の季題数は209。該当する発句は4,413句で、全発句の凡そ四分の一となる。
 これら発句を植物品目毎に多い順から並べると、「梅」421句、「花」376句、「桜」345句、「菊」 269句、「朝顔」159句、6位以下は、「柳」「竹」「稲」「栗」「紅葉」と続く。「花」は主として「桜」であり、「花」と「桜」を合算すると、多い順から「桜」「梅」「菊」「朝顔」となる。これこそが江戸期の庶民の四大観賞植物と称してよいだろう。
 一茶の特徴の一つが庶民性にあることは良く言われる。であるならば、その作品には、庶民が季節に楽しんでいた植物の様子が描かれているのではとの想像は見事に当たった。江戸後期の一茶の時代はまさに庶民園芸の絶頂期であり、幕末に訪れた外国人を驚かした庶民への広範な園芸の広がりの中心に一茶はいたのである。
 今回は、この四大観賞植物の中から、「桜」と「菊」を取り上げる。桜はわが国の自生種であるが、菊は大陸との交流の中で渡来し、国内で更に多様に品種化されたものである。勿論、わが国自生種のキク科の植物はイソギク、ヨメナなど多数あるが、「菊花展」で見る菊(イエギクとも言う)は渡来種もしくは渡来種を元に国内で更に品種化されたものである。
 まず「桜」。紙数の関係で、講演の中で取り上げた発句の一部を挙げてみた。

■東叡山寛永寺は一茶の頃も「桜」の名所、古田月船(一茶の俳友)と一緒に花見
   月船と登東叡山
  「御山はどこ上つても花の咲」 『文化句帖』(文化元年:一八〇四)
■徳川吉宗によって造られた「桜」の名所は江戸郊外
  「三足(みあし)程江戸を出(いづ)れば桜哉」 『七番日記』(文化七年:一八一〇)
■「花見」は江戸庶民の最大の行楽 
 「けふもまたさくらさくらの噂(うはさ)かな」  『真蹟』(文政三年:一八二〇)
■「桜」の名所は人だかり
 「花の山仏を倒す人も有(あり)」 『文化句帖』(文化四年:一八〇七)

■「花見」に「酒」はつきもの
  「畠縁(べ)りに酒を売(うる)也花盛(ざかり)」 『七番日記』(文化十五年:一八一八)
■やはり下戸組もいる
「下戸衆はさもいんき也花の陰」 『文政句帖』(文政八年:一八二五)
■将軍の御成りもあった「桜」の名所
  「くつろぎて花も咲(さく)也御成過(すぎ)」 『八番日記』(文政四年:一八二一)
■狼藉を働く武士も
  「上下(かみしも)の酔倒(よひだふれ)あり花の陰」  『文政句帖』(文政七年:一八二四)            
■天気予報では「晴」と出たが
  「十人の目利(めきき)はづれて花の雨」 『文政句帖』(文政七年:一八二四)
■仮病で仕事を休んで「花見」
  「二度目には病気をつかふ花見哉」 『文政句帖』(文政七年:一八二四)

 次に「菊」。
■よい仕立てのためには人の手で誘引
 「大菊や責らるゝのもけふ迄ぞ」 『八番日記』(文政二年:一八一九)
■一茶も「菊」を栽培
     菊植
  「山菊に成(なる)とも花を忘るゝな」 『七番日記』(文化十四年:一八一七)
■「菊」は渡来種、何度も大陸から新しい品種群が渡来
「大菊や今度長崎よりなどゝ」 『八番日記』(文政四年:一八二一)
■いよいよ勝負の「菊合せ」(「菊」のコンテスト)
 「うるさしや菊の上にも負かちは」 『七番日記』(文化十四年:一八一七)
■大名も「菊合せ」に参戦
「大名を味方にもつやきくの花」 『七番日記』(文化十四年:一八一七)  
■「菊合せ」の勝ち負け
  「負たとてしたゝか菊をしかりけり」  『八番日記』(文政三年:一八二〇)
■もう一つの庶民による「菊」の楽しみ方「菊細工」、巣鴨が中心
  「六あみだの代(かはり)や巣鴨の菊巡り」 『八番日記』(文政四年:一八二一)
■巣鴨などの植木屋の庭「菊園」はその季節には千客万来
  「菊茶屋のてんでに云(いふ)や一番と」 『八番日記』(文政四年:一八二一)
■「菊園」は飲食で商売、六次産業化
「茶代取(とる)とてならぶ也菊の花」 『八番日記』(文政三年:一八二〇)

ここに挙げた発句は、一茶が作品として残した庶民園芸のごく一部に過ぎない。
幕末の長崎に滞在し、江戸参府も行ったオランダ商館付き医官のシーボルトが帰国後に執筆した著書『日本』の中の小文「花暦」には、次のような一文がある。
曰く、「花好きと詩は日本において分離できぬ車の両輪である。」と。
当時の日本人が自然の中に抱いていた価値観と美意識、そして行動は、シーボルトの心をも確実に捉えていたのである。

<句会報告> 講演の後、句会が開催されました。選者:賀来邊庭、長谷川櫂
賀来邊庭 選
【特選】
侘助をだきて信楽蹲る           服部尚子
隣人に褞袍のままで御慶かな        木下洋子
一生を飛ばぬ梅またほころびぬ       イーブン美奈子
日当たりの方へ転がる朱欒かな       きだりえこ
柿童子おうとこたえる成木責め       服部尚子
【入選】
梵鐘を鳴らして落つる冬椿         きだりえこ
冬ざくら日はまだ高き山にあり       イーブン美奈子
ざんぼあや土佐の白波運び来て       きだりえこ
室の花ありやなしやと江戸をゆく      大平佳余子
梅の香に気づかぬほどに老いたまひ     森永尚子
苗売りの声裏店を曲がり来る        西川遊歩
漉きながす時の流れや冬芒         服部尚子
停電や無言の空に月冴ゆる         橘まゆみ
七種の何に魅かれて小雨かな        奈良握
椿の名つばらに聞かば百椿図        大平佳余子
飛梅のはるかな夢の蕾かな         イーブン美奈子
茶の花や里は三つの母語持ちて       イーブン美奈子
盆梅や鉢に都都逸きざむ粋         西川遊歩
のどけしやゴッホ焦がれし梅屋敷      西川遊歩
蠟梅は中将姫の涙かな           きだりえこ
吉原の桜自ずと奮い立つ          藤岡美恵子
今昔上野は花と人の山           越智淳子
白糸のごとく長らへ菊見酒         村山恭子
万有の引力の間に淑気あり         塚村真美
冬夕焼平野のかなた筑波山         佐藤森恵

長谷川櫂 選  (推敲例あり)
【特選】
タンカーの欠伸してをり春の海       上田雅子
寒木瓜の開きさうなる二輪かな       金澤道子
一茶忌や路地裏に置く植木鉢        谷口正人
【入選】
雪折を待つ一瞬のしじまあり        三玉一郎
初明かりぢつとしている埃にも       塚村真美
富士つくば天秤にかけ冬の月        賀来邊庭
冬ざくら日はまだ高き空にあり       イーブン美奈子
侘助をだきて信楽蹲            服部尚子
お隣へ褞袍のままの御慶かな        木下洋子
キジバトの番がけふも寒の梅        金澤道子
白梅の匂ふに似たり新暦          飛岡光枝
茶の花やヒマラヤは水こんこんと      イーブン美奈子
この年は雪多からん一茶の里        高橋慧
日の当たる方へ転がる朱欒かな       きだりえこ
餅花やぎしぎしと鳴る雪の家        飛岡光枝
盆梅を据ゑて畳の冷たさは         葛西美津子
仮設住宅ペンキ塗立去年今年        橘まゆみ
大寒や一茶生涯二万余句          葛西美津子

2025年1月22日 作成者: kasai3341 カテゴリー: きごさい+

10月 きごさい+報告 李哲宇さんの「麗しき島を詠む」

きごさいBASE 投稿日:2024年10月28日 作成者: kasai33412025年9月24日

10月19日、第36回きごさい+がズームで開催されました。

麗しき島を詠む
――「台北俳句会」と台湾の季語について――
李 哲宇

1. はじめに
1.1. 「台湾文学」と「日本文学」の狭間

戦後の台湾で白色テロ時代に、中国語以外の言語は禁止されていた。その中で、日本語で創作し続けている日本語世代がいる。しかし、次の世代との間に言葉の障壁により、様々な悲しみが生まれた。また、この世代間の断層が原因で、これらの韻文は「台湾文学」として見なされてこなかった。その上、外地人の作品であるため、「日本文学」ではなく、「日本語文芸」として位置付けられてきている。
様々な問題が起きている中、「台北俳句会」の主宰者である黄霊芝は言語を道具として扱い、国籍より文芸に焦点を当てるべきだと主張した。すなわち、ナショナルな連帯の日本語世代がいれば、黄霊芝のようにそれを超越しようとする人もいる。

1.2. 戦後の日台俳壇の交流について
従来の研究は戦後の台湾俳壇について、1970年に誕生した「台北俳句会」を中心として形成されたと指摘されており、終戦後から「台北俳句会」が誕生するまでの間は「空白期」か「伏流期」と呼ばれる(鳥羽田、2016;磯田、2018)。黄霊芝はこの間に『雲母』に投句したことを明言しており、言わばこの期間に日本俳壇と繋がった個人が存在した可能性が高いと考えられる。
また、「台北俳句会」の結成は「七彩俳句会」と主宰者の東早苗と関わっている。1980年に加藤山椒魚によって「春燈台北句会」が結成され、現在も毎月句会が開かれている。さらに、黄霊芝の著作『台湾俳句歳時記』(2003)は「馬酔木燕巣会」と主宰者の羽田岳水と関わっている。これらの日台俳壇の関係性から、日台俳壇の間では密接な関係があると示唆されている。

2. 「台北俳句会」について
2.1. 「台北俳句会」の歴史

「台北俳句会」の歴史は「創成期」、「発展期」、「高原期」、「成熟期」、「転換期」と五つの時期に分けられる(磯田、2017)。
また、「台北俳句会」は次の特徴を持っている(黄、2003)。①師事の問題。②会員構成の複雑さ。③多種多様な参加動機。④結社参加の選択肢の欠如。⑤様々な文事に携わる普遍性と趣味としての位置づけ。⑥会員に対する独立思考の推奨。⑦「台北俳句会」の今後の行方。
「創成期」には、各俳人の個性が作品に反映されていた。「発展期」には、「春燈台北句会」との少し関わりが窺えるほかにも、俳論の掲載や、自由律俳句や多言語での表現といった黄霊芝による俳句の試みが見られる。「成熟期」には、羽田岳水の賛助出詠と黄霊芝の『燕巣』で「台湾歳時記」の連載で両句会の協働関係が目立つ。「高原期」には、黄霊芝が有季定型の作法に戻り、連作を詠む特徴が見られる。「転換期」には、逝去した黄霊芝の代わりに、台湾季語を詠むことは句会運営の方針となり、黄霊芝の意思を受け継ぐ形となった 。

2.2. 日本俳壇との関わりから見る「台北俳句会」の発展
1970年に東早苗の訪台をきっかけに「台北俳句会」は「七彩台北支部」として誕生した。しかし、この関係は一年余りで破綻し、「台北俳句会」は独立した句会となった。両句会の間での破綻は、金銭上のトラブル(磯田、2017)や、主宰者の優位性を維持するために日本語世代への配慮が足りないこと(下岡、2019)などが原因であった。
ただし、黄霊芝と「台北俳句会」はこれによって日本俳壇と絶縁となっていない。例えば、『台北俳句会五十五周年記念集』には、東早苗、羽田岳水、福島せいぎ、吉村馬洗、坊城中子、稲畑広太郎、金子兜太、草間時彦、加藤耕子、園部雨汀、星野高士、長谷川櫂、石寒太等の俳人の訪台が確認できる。
「台北俳句会」と「日本伝統俳句協会」との合同句会では、坊城中子が台湾人が有季定型の作法を守るかどうかに対する危惧と戦前世代への配慮が見受けられる。実際に、国籍が翻弄され、アイデンティティが揺らいでいた「台北俳句会」の会員もいた。しかし、黄霊芝は文芸の主体性を強調し、多元的創作表現の重要性について語った。

2.3. 黄霊芝の芸術観と後継者の不要
芸術至上主義的な考え方の持つ(岡崎、2004)黄霊芝にとって、詩は最も自らの芸術観を表現できる文芸だと考えられる(黄、1979)。なお、2002年にNHKが取材しに来た際、日台間の政治問題に触れることで黄霊芝の不満を招いたため、「台北俳句会」の会報で文芸の主体性を改めて強調した。
また、黄霊芝は2003年に「台北俳句会」は「亡びを前提とした会」と語っており、2010年には全国日本語俳句コンテストへの協力に賛同しながらも、改めて後継者の不要を言及した。黄霊芝が求めているのは後継者ではなく、共に文芸を語り合える相手であろう。
しかし、「台北俳句会」には自らの歴史や記憶を理解してもらう日本語世代がいる。また、俳句会の存続などの問題も浮上してきている。そのため、「台北俳句会」は学生や地方公共団体とのイベントに取り組み、あるいはそれらを後援する姿勢を取っている。

3. 台湾季語について
3.1. 「馬酔木燕巣会」との協働

台湾俳壇史上の二冊目の歳時記である『台湾俳句歳時記』は、黄霊芝が1989年から1998年まで『燕巣』で「台湾歳時記」を題にして連載された内容を基づいた出版物である。編纂する経緯について、台湾ゆかりの羽田岳水が黄霊芝に協力を求めたという(岡崎、2004)。一時的な協働関係が成立したが、『台湾俳句歳時記』は最終的に黄霊芝の単著作品となった。この関係性について、羽田岳水と黄霊芝がそれぞれの作品における表現の主体性に対する認識の食い違いから生じた問題だと指摘されている(磯田、2018、阮、2020)。なお、『燕巣』での連載が終わった後、「台北俳句会」の例会では、のちに台湾季語となる兼題を引き続き出されていた。
3.2. 『台湾俳句歳時記』の特徴と独創性
「台湾歳時記」を連載し始める前に、黄霊芝は既に「日本趣味」を批判する文章が残している。また、黄霊芝は台湾季語の創出、を美の追求と位置付けている。
その上で、『台湾俳句歳時記』にはいくつの独自性がある。一つ目は、春夏秋冬を用いずに、暖かい頃、暑い頃、涼しい頃、寒い頃という斬新な分類法を使用したこと。二つ目は、台湾語を表現する振り仮名である。例えば、月来香(グエライヒョン)。三つ目は政治詠である。二二八(リイリイパッ) や光復節(クヮンフウチエ、(中))などが挙げられる。

3.3. 台湾季語の諸問題と台湾季語の現在
黄霊芝によれば、『台湾俳句歳時記』には次のような問題点がある。①寿命と歳時記の編纂期間。②資格の有無。③月刊連載のペース。④季の認定。⑤季語との区分範囲とその方法。⑥台湾における様々地理、民族や言語の問題。⑦地方による同じ言語の違い。⑧台湾語における読み言葉と話し言葉の違い。⑨振り仮名で台湾語表記の困難さ。⑩学問による季語の題名の違い。⑪「日本趣味」と「台湾趣味」の違い。⑫著者のために書くか読者のために書くかの問題。⑬先行研究の欠如。⑭完璧主義。
さらに、台湾季語や台湾俳人が詠む俳句が真に価値を発揮するためには、詠み手に理解力が求められている。

4. おわりに
4.1. 台湾俳壇のビジョン

「台北俳句会」の存続に賛成する理由は三つある。その一、文人のサロンとしてのトポス。その二、歴史を追体験できる空間の保有。その三、次世代の文芸家を育てるための場。

4.2. 日本俳壇の新たな可能性
作風が異なる俳人の興味を引き出す外地の俳壇から、現代日本俳壇の知識を学び合い、互いに刺激し合う可能性がある。

******

講演後、句会が開催されました。

李哲宇 選
【特選】
台灣藍鵲秋の光を曳いて飛ぶ        長谷川櫂
【入選】
戦時下の台湾語る秋灯し          鈴木美江子
海といふ国境深し秋の空          高橋慧
なつかしき我家への道金針花        飛岡光枝
台北の朋も愛でゐる今日の月        長谷川冬虹
言の葉のさきはふ島や小鳥来る       趙栄順
紹興酒おくび香し秋の夜          越智淳子
荻の声近くて遠き国なりき         高橋慧
長き夜や台湾季語を繙けば         葛西美津子
青楓フォルモサの風聴きにけり       村井好子
ボロボロになりし歳時記秋惜しむ      金澤道子

飛岡光枝 選
【特選】
藍鵲か睡蓮の花か水浴びす         長谷川櫂
深けるほど灯りうねるや夏夜市       谷口正人
青楓フォルモサの風聴きにけり       村井好子
流星の闇へ投げ出す頭かな         藤原智子
【入選】
渡らざる鴎と我と遊びをり         イーブン美奈子
昆劇の恋の花咲く月夜かな         西川遊歩
秋灯の星のごとくに夜市かな        趙栄順
台北の朋も愛でゐる今日の月        長谷川冬虹
一本の真白き氷柱黄霊芝          三玉一郎
幻の茶がなるといふ霧の山         趙栄順
茶杯の香ゆつくり聞くや星月夜       村井好子
彗星の見つからぬまま虫の闇        金澤道子
黄さんの田うなぎ料理皿の上        西川遊歩
飛び交うて台灣藍鵲けさの秋        長谷川櫂

長谷川櫂 選  
【特選】
洟垂将軍霊芝少年大あばれ         飛岡光枝
昆劇の恋の花咲く月夜かな         西川遊歩
一本の真白き氷柱黄霊芝          三玉一郎
惜秋や夜毎聴き入るヨーヨー・マ      江藤さち
台湾は台湾なるぞビール干す        長谷川冬虹
【入選】
マオタイ酒きこしめしたかちんちろりん   趙栄順
夜空にも湧く大いなる鰯雲         高橋慧
果たてまで檸檬かつての黍の畑       橘まゆみ
月今宵ダン・ホワン・スーと茉莉花茶    村山恭子
息白しシェンドウジャンを啜り食ふ     村山恭子
茶杯の香ゆつくり聞くや星月夜       村井好子
紹興酒おくび香し秋の夜          越智淳子
大いなる秋月しづか街外れ         越智淳子
黄さんの田うなぎ料理皿の上        西川遊歩
缶の底の手揉みの紅茶秋深し        村井好子
流星の闇へ投げ出す頭かな         藤原智子

7月 きごさい+報告 「硯がひらく世界」 

きごさいBASE 投稿日:2024年7月14日 作成者: dvx223272025年9月24日

7月6日、第35回きごさい+がズームで開催されました。

「硯がひらく世界」       甲斐雨端硯本舗13代目硯匠 雨宮弥太郎

〇雨畑硯の歴史
雨畑硯は山梨県南部早川町雨畑にて産出される石で当家初代雨宮孫右衛門が元禄3年(1690年)身延山参詣の途上黒一色の流石を広い作硯した事に始まると伝えられています。(日蓮上人高弟開祖の伝承もあり。)雨畑は山深い所であるため当時富士川舟運で栄えた鰍沢に多くの職人が集まり硯づくりが盛んになりました。そして、天明4年四代要蔵が将軍家に硯を献上するなどして雨畑硯の名が全国に高まることとなりました。
(※雨畑硯は地場産業としての一般的な表記であり「雨端硯」は八代鈍斎が中村敬宇氏よりいただいた雨宮弥兵衛家の登録商標表記です。)

〇硯造形の流れ
日本は工芸王国です。しかし石の工芸はあまり注目されてきませんでした。硯の歴史を調べてみても 多くは硯箱の意匠の変遷に重きが置かれ硯についてはほとんど触れられていません。硯の意匠について 当家に残る八代鈍斎、十代英斎の作品などをみても中国硯の強い影響が見られます。日本独自の硯の意匠は十一代静軒から始まると言えるかもしれません。 静軒は文房四宝に造詣の深い犬飼木堂翁に教えをいただき東京美術学校で彫刻を また竹内栖鳳より図案を学び 自然の風物を硯に取り入れ芸術としての硯を確立しました。 その〝間〟を重視した造形は 柔らかい硯石の質感を十二分に生かした和様の意匠です。続く十二代弥兵衛・誠の作品は抽象表現主義の影響を受けた斬新なシンプルな造形となり 硯作品にも時代の美意識の変遷を見て取る事ができます。 続く私の作品ですが父の無駄なものを極力省いたシンプルな造形をベースに〝何でもない形でありながら品格の宿るかたち〟を目指して独自のスタイルを模索しているところです。

〇硯の用途とは
硯は墨をするための道具です。 しかし本当にそれだけのものでしょうか。 焼き物で作られていた古代の硯にはどう見ても実用第一に作られたものにはみえない〝円面硯〟〝多足硯〟〝動物硯〟などが見られます。 字を書くという事が特別であった時代の〝権力〟〝祈り〟への想いがあるように感じられます。 また中国に見られる文房飾り。実用以上に文人の理想の境地の表現です。ここでは硯は一番の主役でした。 知的に自分を高めるための存在だったのではないでしょうか。
私は 硯は〝墨を磨るうちに心を鎮め 自分の内面と向き合うための道具〟と捉えています。いわば〝精神の器〟として現代の造形としての可能性を感じています。
では、硯が硯として成立するためにはどんな条件が必要でしょうか。私は良石に平らな面さえあれば充分だと考えています。 そして そこさえ押さえておけば かなり自由度の高い造形が可能です。 さらに墨が溢れにくいように縁が生じ 磨った墨をためる窪みの出現など 現在のスタンダードな硯の形が完成しました。この硯の形の成立には今では当たり前のスティック状の〝墨〟の完成が必須でした。 この硯の形の完成は唐代のことと言われ現在でも〝唐型硯〟というスタイルで定着しています。

〇硯石について
雨畑の石は良質な粘板岩であり岩石が生成される際の圧力によって板状に生成されるはっきりとした石目をもった素材です。 その際に雲母、石英といった硬質な微粒子が均一に発生し、この〝鋒鋩〟と呼ばれる粒子が墨を磨る硯の生命です。 適度な硬度の石質であると長く使用していても最適な〝鋒鋩〟が保持される。これが何よりも大切な硯石の条件です。 しかし自然生成された素材ですので異物が混入していたり 傷が多い石が殆どです。雨畑には粘板岩状の山肌が沢山見られますが硯に適した良材は限られた層から産出される貴重なものです。
この原石を硯にするには まず上下面をタガネ→鑿→砥石を用いて水平とし板状に整えます。 切断機、砥石等を用いてさらに外形を整え、多様な刃先の鑿を用いて墨堂、墨池(陸、海)を掘り進めます。 次に砥石を用いて磨いていきます。 〝磨き〟といっても ただつるつるに磨き上げるのではなく何よりも最適な〝鋒鋩〟に整える事が大切です。 最終的に墨ぬりをへて墨堂墨池以外の硯まわりを拭き漆で炭の微粒子を定着させてブラシで拭き上げて艶を出して仕上げます。

〇私の作品制作について
作品制作においてはまず明確なイメージを持つ事が大事になります。そのイメージの形を頭の中で三次元で回転させて多方向からも形がイメージできるように練り上げます。 大切なのは頭の中で形が周りの空間ごと ひとつの風景として再現できるかという事です。 次にそのイメージが現実化できそうな原石を探します。この時に自分のイメージした形がそのまま実現できる大きさ、プロポーションの原石はほぼ無いのが現実です。なんとか形になりそうな素材を選びイメージと原石をすり合わせながら制作を進めていきます。 はじめから思い通りにいかない状態からイメージだけを頼りに制作を進めます。まるでアドリブを積み重ねるジャズの演奏のように その模索の時間こそが制作の喜びです。その不確定な制作の最中に当初思い描いていなかったようなものがまるで天の啓示のように湧き上がってくることもあります。この天からの啓示を引き寄せる力 柔軟に対応して最終的には自分の形にできるという自信のようなものが 今まで自分の培ってきた造形力(創造性)なのだと私は考えています。
しかし、工芸会の別の素材の作家との会話から創造の過程には別な形がある事も発見しました。その作家は制作当初に厳密な設計図を描きそれが完璧に実現出来る事が素晴らしい制作工程だと話していました。私と全く違う考えですが、その一枚の設計図には深い経験が反映されていると考えられます。私も日々の生活の中で路上の枯葉に新しい造形要素を発見するなど 目にする全てのものを硯造形に引き寄せて見てしまう習慣があります。
そういった観察の蓄積が作品イメージに結実していく。 日々の習慣と経験が創造力の源だという点では同じなのかもしれません。

〇これからの〝硯〟
硯の未来を考えるうえで こんな現実があります。 毎年 小学生50名ほどが伝統文化を学びにやって来るのですが殆どの子ども達が硯が墨を磨る道具である事を知らないのです。 現在の小学生の書道セットに入っている硯は樹脂制でほぼ墨汁をためる為だけに使われています。そのために実際に石の硯で墨を磨った経験のある子は僅かだろうとは思っていましたが そこまでとは驚きでした。そこで現在は実際に硯で墨を磨ってもらうワークショップを積極的に開催しています。墨を磨る時の感触、香などで気持ちが落ち着く時間を体験し、磨った墨で描いてもらうことで墨汁とは違った多彩な色合いを発見してもらいます。墨汁を使った書道の時間も入門として大切ですが 実際に石の硯で墨を磨る豊かさは心に残ってくれると信じています。 〝文化としての硯〟を今後とも伝承していきたいと思います。
硯を現代の造形として広める事も私の夢です。硯に向き合う事は禅の石庭に瞑想することと同義である事 いわば〝ZEN. STONE〟として海外にもアピール出来たらと思っています。硯の存在は地味で小さなものですが日本文化を支える大事な要素として広めていけるよう精進を重ねたいと思っています。

<句会報告> 講座の後、句会が開催されました。選者:雨宮弥太郎、西川遊歩、長谷川櫂
雨宮弥太郎 選
【特選】
硯より湧くこゑを聞く楸邨忌        西川遊歩
月涼し心はさらに墨磨れば         齋藤嘉子
悠久の時を削りて硯とす          上田雅子
滴りやみるみる目覚め大硯         西川遊歩
空掴む吾子の掌新樹光           丸茂秀子
【入選】
月一つ沈めて深き墨の海          三玉一郎
遠き日の墨磨る父や星祭          鈴木美江子
文鎮と硯の重み夏休み           奈良握
漂泊の硯の寓居月涼し           西川遊歩
魂の涼しと思ふ硯かな           きだりえこ
うち澄まし硯にうつす梅雨の月       足立心一
手のひらにあたたかくある硯かな      高橋慧
星涼し今宵夜空を硯かな          葛西美津子
遺されし硯一片夏の雲           飛岡光枝
墨磨れば香の運びくるはるか夏       越智淳子
墨書てふ虚実のあはひ沙羅の花       長谷川冬虹
青墨の涼一文字や夏座敷          金澤道子

西川遊歩 選
【特選】
月一つ沈めて深き墨の海          三玉一郎
涼しさの甲斐に硯の海ひとつ        イーブン美奈子
青山河研ぎ出したる硯かな         齋藤嘉子
一つ葉に目をやすめては硯彫る       長谷川櫂
山滴るその一滴を硯とす          齋藤嘉子
月涼し墨摩るほどに心澄み         木下洋子
【入選】
滴りの滴一滴と硯磨ぐ           葛西美津子
涼しさや硯の海をわたりゆき        イーブン美奈子
遠き日の墨磨る父や星祭          鈴木美江子
青梅雨の窓に籠りて硯彫る         葛西美津子
ならまちや墨の香のたつ麻のれん      きだりえこ
魂の涼しと思ふ硯かな           きだりえこ
滴りのただ一滴の硯かな          三玉一郎
迸る井戸のポンプに硯洗ふ         越智淳子
手のひらにあたたかくある硯かな      高橋慧
浮葉より硯の海へひと雫          きだりえこ
筆硯濯ぎてよりの夕涼み          きだりえこ
青墨の涼一文字や夏座敷          金澤道子
雄勝石戴く駅舎梅雨曇           足立心一
大いなる硯に山の滴りを          木下洋子

長谷川櫂 選
【特選】推敲例あり
硯より湧くこゑ聞かん楸邨忌        西川遊歩
青山河研ぎ出したる硯かな         齋藤嘉子
滴りやみるみる目覚め大硯         西川遊歩
【入選】
滴りの滴一滴と硯磨ぐ           葛西美津子
初盆やそのままにある硯箱         鈴木美江子
くろぐろと春一文字初硯          三玉一郎
翠巒に対すがごとく硯あり         齋藤嘉子
明易やしんと雨畑硯あり          飛岡光枝
一片の蓮の花びら硯かな          飛岡光枝
墨磨つて今日の一文字夏休み        飛岡光枝

5月 きごさい+報告 「韓国の四季と生活」

きごさいBASE 投稿日:2024年5月26日 作成者: dvx223272025年9月24日

5月12日、第34回きごさい+がズームで開催されました。

     韓国の四季と生活 ― ソウル俳句会の俳句から
                                                              ソウル俳句会顧問 山口禮子

1 はじめに
ソウル俳句会は「俳句を通しての草の根の日韓親善」を掲げ、初代代表、戸津真乎人が在韓の日韓の人々に呼びかけ1993年に発足。以来「師もなく派もない」句会として今年、31年目を迎えた。この間、年に1度の合同句集の発行、そして2000年からの日本の俳人を招請しての講演、句会を催してきた。稲畑汀子、金子兜太、有馬朗人、黒田杏子、坪内稔典、長谷川櫂、夏井いつき、星野椿、神野紗希、本井英、岸本尚毅、高田正子ほか、諸先生方の直接のご指導は、陸の孤島のソウル俳句会にとっては刺激的、かつ素晴らしい学びの経験となった。
また500回を迎えようとしている月2回の定例句会(勉強会と吟行句会)ではたくさんの句が詠まれてきた。そこには韓国ならではの風景、韓国ならではの感慨が詠まれている。ソウル俳句会版「韓国俳句歳時記」の目安はついているんではないかと思う。
昨年7月からは、ソウル大学で日本の古典文学を講ずる齊藤歩五代目主宰、石川桃瑪副主宰、ソウル本部、なにわ支部、東京支部の会員、合わせて80余名の新体制になったが、これからも韓国で、日本で、韓国の四季と生活を、ソウル俳句会ならではの句を大いに詠んで、充実した「韓国俳句歳時記」が編纂されることに大いに期待している。

2 ソウルの気候
ソウルは温帯性、大陸性気候に属し、四季がはっきりしている。夏は高温多湿で、冬は寒冷で乾燥し、春と秋はからっとした晴れの日が多い。寒暖の差が大きく気温の年較差、日較差が大きい。2022年で見ると降水量は年間1478mmだが、雨は7、8月に年間の55%に当たる817mm(東京は388mm 24%)と集中して降る。
ソウルの顕著な気候現象の例として黄砂と氷板(ピンパン)キルについて見てみたい。
a黄砂【春】
中国、モンゴルと地続きのため、そして春の乾燥気候のため、、数メートル先が見えないほどの黄砂に見舞われる。
黄砂にもなほ白光の夕日かな  延与紀舟
楼閣の黄砂を洗う雨優し  神野有楽
b氷板(ピンパン)キル【冬】
厳寒のソウルでは道が凍ることはしばしば。
ピンパンキル滑って転んで空青し  孫可楽(ソンカラク)
千鳥足行く手にキラリ氷板道(ピンパンキル)  中田悟空

3 花が彩る韓国の四季
日本と同じ温帯に属するソウルでは植生は似ているが、興味深いのは植物の持つ意味合い、イメージが異なっていることがあることだ。
a桜【春】
韓国では植民地時代に各地に植えられたが、1945年の独立後には「日本の残滓」として伐採運動が起こった。その後、1974年に朴正煕大統領が「もともと韓国に自生していた」と植林を勧めたこと、さらに「ソメイヨシノの原産地は済州島である」という風説が広まり、全国各地に盛んに植えられ、現在では国民的な花になった。
日本人が古来、桜に「あはれ」を見てきたのに対し、韓国の桜は春を謳歌する花として愛でられているようだ。
半島をバスは南へ初桜  文茶影(ムンチャカゲ)
花冷やけふ閉店の骨董屋  那須川結香
bアカシアの花【夏】
韓国各地の緑化をめざして1960、70年代に、成長の早い樹木として韓国各地にニセアカシアが植えられた。
アカシアの花眠たげに午後のお茶  田中穂積
山裾のアカシア白き白き雨  村松玄歩
c無窮花(ムグンファ) 木槿【秋】
「槿花一日の栄え」と日本では栄華のはかなさに例えられるが、韓国では次々に蕾をつけ夏から秋、3か月にわたり花を咲かせるたくましさ、健気さを愛で、国花に指定されている。
燃えるもの芯にこめたる無窮花かな  畔柳海村
d茶の花【冬】
李朝の儒教政策により寺の専売だった茶文化は衰退。現在は日本のようにポピュラーではなく、趣味的な飲料として一部に好まれている。
茶の花や南道(ナムド)の寺のをんな坂  山口禮子

4 ソウル俳句会のテーマBEST5
ソウル俳句会で多く詠まれているテーマ5題を挙げる。
a連翹・ケナリ【春】
日本では里山など連翹は鄙びたところの花というイメージだが、ソウルでは街中に、河川敷に、高速道路の路肩に、あらゆるところに奔放に咲き、春を告げる。
行く処連翹の花瀧をなす  長谷川櫂
地より湧き崖よりふりてケナリかな  石川桃瑪
館まで道明くしてケナリ垣   呉花梨(オカリン)
ケナリ咲く図書館裏のかくれんぼ   雨宮白路
b市場・露店
南大門、東大門の大型市場をはじめ、昔ながらの在来市場、水産市場、韓方薬市場、そしてさまざまな露店では韓国のエネルギーが全開している。

山をなす古物市の夏衣  原浩朗
着ぶくれの店番大蒜剥きながら  池端さち
鮟鱇の生肝白くはみ出たる   湊月呻
冬晴や薬令門の香を潜る    金和園(キムファオン)
寒月と別れ屋台の人となる  山口嵩史

c王宮
李朝の都、ソウルには五つの王宮があり、それぞれが悲喜交々の歴史の舞台であり、往時を偲ぶだよすがになっている。住民にとっては大都会にありながら木々を蓄えたオアシスでもある。
衛兵の眉の緩みぬ春隣  安藤脩壱
交泰殿妃なき御苑の春しぐれ    康順子(カンスンジャ)
徳寿宮鳥戯れる茂りかな  吉田鎭雄
宮殿の森の夏蝶見てしまふ   荻野ゆ佑子
d漢江(ハンガン)
韓半島江原道南部からソウル市中央を流れ、黄海に注ぐ全長514kmの大河。河川敷にはグランド、遊歩道などが設けられ、市民の憩いの場になっている。
朝もやに漢江抱きしめられる春   江上一郎
漢江の太き橋脚大西日    堀妙子
秋澄むや向ふの橋の名は知らず   杉山杉久
漢江を龍に変えむと秋の雨   平松かつみ
eDMZ 非武装地帯
1953年、朝鮮戦争休戦協定朝鮮戦争の休戦ラインとして北緯38度付近に南北軍事境界線が発効し、DMZは韓国、北朝鮮のそれぞれ幅2kmの非武装地帯韓のこと。
鳥雲に臨津江の負のあたり  神山洋
冬空や視界の先まで分断線   横山全徳
駅頭の迷彩服に冬尖る  澤田俊樹

5 韓国の生活 食べる・着る・住む
a旧正月と秋夕【新年・秋】
韓国の二大名節。陰暦1月1日、8月15日で、その前後を合わせ3日間が公休日となる。多くの人が宗家に出向き、親族がともに過ごし、祖先の祭祀、墓参をする。目上の人にする新年の挨拶が歳拝(セベ)。
歳拝する子親より高き背を伏して  李秀珉(イシュウミン)
秋夕や帰省の列に吾子探す  黄玉(コウギョク)
bパッピンス 氷小豆
氷小豆だが、一人では食べきれないボリューム。
パッピンスただ自堕落に刻過ぎぬ   畔柳その子
c冷麺 ネンミョン【夏】
冷麺に鉄鋏入り冷え増せり    前原正嗣
e蔘鷄湯(サムゲタン)・補身湯(ポシンタン)【夏】
三伏の日に暑さに負けぬよう食する滋養食。補身湯は犬肉の鍋料理。
蔘鷄湯おもてに顔出す鶏の脚  川合鉢
ポシンタンうちのポチには秘密です  牛嶋竹志
fキムヂ(ジ)ャン【冬】
本格的な冬に入る前に越冬用のキムチを漬ける。一家、近隣の女性が集まり、大量の白菜を漬ける。
キムジャンのキムチの軸の未だ硬き  齊藤歩
キムジャンのたらいを洗うばかりなり 柿嶋慧
fトゥルマギ【冬】
韓国の伝統的な外套。
綿入れの嫁入りトゥルマギ猶今も  沈丁花
g温突(オンドル)【冬】
床暖房。かつては薪、練炭の煙を床下に通して床を温めたが、現在は床の中に這わせたパイプにボイラーで沸かした湯を通して温めるスタイルが一般的。
オンドルの床で微睡む猫となる  伊牟田真紀
g 竹夫人【夏】
日本ではほとんど見られなくなったが、韓国では市場、トラックの移動販売などで今も売られている。
竹婦人連れて帰るか故郷へ   木村順平    ※竹婦人は作者の造語

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<句会報告> 選者:山口禮子、趙栄順、長谷川櫂
山口禮子 選
【特選】
ふるさとを行つたり来たりハンモック    三玉一郎
オボイナル連なる家譜といふ重み      金和園
カチ鴉鳴き交はしけり五月闇        飛岡光枝
先生の日は先生の本を読み         三玉一郎
月涼しマッコリ注ぐ大薬缶         西川遊歩
明易や朝なほ灯す東大門          趙栄順
半べそに五月連休終りけり         鈴木美江子
初夏や満天星丸く丸く刈り         原浩朗
ほととぎす蒼い夜明けを連れてくる     西夏
【入選】
あの頃はいつもこの席パッピンス      延与紀舟
ゆふぐれの人を待つ人みずすまし      鈴木沙恵子
木浦までなんじゃもんじゃの道案内     高瀬澪
新調の靴は弾くよ新樹光          士道
韓国の四季知るうれしさ立夏かな      谷口正人
田水張るど真ん中行く予讃線        小川裕司
顕忠日硝煙しむる木の十字         金和園
ブラックデー一世を笑ひ飛ばしけり     三玉一郎
薫風や一升餅を負ふて立つ         齋藤嘉子
糊代のずれたる口や鯉のぼり        士道
山と積む金真桑の夏来たりけり       葛西美津子
りうりうと風従へて楠若葉         きだりえこ
この橋を渡れば俺も山桜          西夏
篠の子の剥かれて皮の堆し         石川桃瑪
亀の子や大器のへんりん蔵したる      園田靖彦
筑波嶺と空分かち合ふほととぎす      きだりえこ

趙栄順 選
【特選】
月光の肌ひやひやと竹夫人         長谷川櫂
おろされて肩で息する鯉幟         園田靖彦
悠久の漢江とゆくヨットかな        吉田静生
黒揚羽離宮に影を濃く淡く         金澤道子
月涼しマッコリ注ぐ大薬缶         西川遊歩
山と積む金真桑の夏来たりけり       葛西美津子
鵲に自由自在の夏来る           イーブン美奈子
大盥ぶつかり合うて金真桑         飛岡光枝
短夜や甕にマッコリ香りたつ        葛西美津子
短夜をましろき韓の酒酌みて        山口禮子
【入選】
ふるさとを行つたり来たりハンモック    三玉一郎
冷麺に銀のはさみを入れにけり       飛岡光枝
母の日や故郷へ贈る杖一本         雨宮白路
更衣愛することの難しさ          原山のび太
カチ鴉鳴き交はしけり五月闇        飛岡光枝
参鶏湯滾れ夏負け吹き飛ばせ        西川遊歩

長谷川櫂 選
【特選】
冷麺に銀のはさみを入れにけり       飛岡光枝
母の日や故郷へ贈る杖一本         雨宮白路
悠久の漢江をゆくヨットかな        吉田静生
月涼しマッコリ注ぐ大薬缶         西川遊歩
山と積む金真桑の夏来たりけり       葛西美津子
【入選】
母の日や母とならんとする人と       藤岡美恵子
夏きざす鎌倉は山高からず         金澤道子
縁いま国境を越え青あらし         三玉一郎
明易や朝なほ灯す東大門          趙栄順
草餅や娶り娶られ五十年          園田靖彦
金真桑ぶつかり合うて大盥         飛岡光枝
明易の空鳴き渡るカチ鴉          葛西美津子
短夜や甕にマッコリ香りたつ        葛西美津子
ゴスペルの手打ち足踏み聖五月       鈴木美江子
母の日や羽田の沖で散骨す         新名隆
鳳仙花近くて近き国であれ         藤岡美恵子
父母の日や光州ははるか手を合はす     奈良握
ほととぎす蒼い夜明けを連れてくる     西夏

3月きごさい+報告「心ときめく雛祭りの菓子」

きごさいBASE 投稿日:2024年4月9日 作成者: kasai33412025年9月25日

3月16日、第33回きごさい+がズームで開催されました。講師は、きごさい+ではおなじみの株式会社虎屋・虎屋文庫主席研究員の中山圭子さん。中山さんの講座は今年で8年目、春夏秋冬の和菓子に続いて羊羹、落雁、南蛮菓子と毎回好評です。そして今回のテーマは「心ときめく雛祭りの菓子」でした。

講座 レポート 

3月3日の雛祭りが過ぎると、お嫁に行くのが遅れるからと早々にお雛様を片づけられてさびしかった。「旧暦で雛の節句を祝う地域もある」という中山さんのお話の通り、前に訪ねた山国の旧家では3月下旬というのに立派なお雛様が飾ってあって心が華やいだ。ずっと飾ってあればいいのに、と思わないこともないが、節句という節目があることが、一年を過ごしていく上で大切なのだろう。

雛人形も雛菓子も愛らしく美しく、女子限定の楽しいお祭り。中山さんのお話を聞くまではそんな単純なイメージだったが、雛祭りのルーツは中国伝来の厄払いの行事という。そういえば流し雛という儚い行事も今に続いている。そして雛菓子にも深い意味と歴史があった。

レジュメにそって、画面には生き生きとした錦絵や貴重な史料、美しく可愛らしい雛菓子の画像が次々と紹介され、中山さんの明快で楽しいお話が始まった。

〇雛祭りの歴史

 もともと雛祭りは上巳(じょうし)の節句と呼ばれ、中国の風習にならい、禊(みそぎ)や穢(けが)れ祓いが行われていた。雛人形の始まりも、身の穢れを移して川に流した「ひとがた」(形代(かたしろ)・後の流し雛)といわれる。人形を飾る女子の節句として定着するのは江戸時代に入ってからで、幕府が五節句の一つとしたことから、全国各地に広まった。

〇雛菓子について

上巳の節句には、厄祓いの意味から、香りの強い草餅を用意する習わしがあった。平安時代には、母子(ははこ)草(ぐさ)(春の七草のひとつ、ごぎょう)を餅に搗き交ぜた母子餅が主流だったが、雛祭りが定着する江戸時代には蓬を使ったものが多くなる(一説に母と子を搗き混ぜるのは縁起が悪いという解釈がある)。雛壇に供える菱餅は、草餅と白い餅を組み合わせた、緑と白の配色が一般的であった。菱餅の意味については諸説あるが、古代中国の陰陽思想の影響が強いのではないかと考えられる。

菱餅の形を不思議に思っていたが陰陽思想の関連とは驚いた。菱の形は女性の象徴、五月の節句の粽は男子の象徴、という解釈もあるのが興味深い。また、現在の菱餅は赤、白、緑の三色三段だが、江戸時代は緑と白の餅を交互に奇数に重ねていたのが文献に見られ、錦絵にも描かれている。何点か紹介された錦絵は雛段の豪華さや雛祭りを楽しむ人の様子が生き生きと描かれて楽しかった。

このほか、雛菓子として紹介されたのは、

〇雛あられ…煎った糯米、はぜ(爆米、葩煎)が原形。 関西の雛あられはあられやおかき類である。

〇あこや(いただき・ひっちぎり)…京都でよく見られる雛菓子。「あこや」とは真珠貝のことで、餡をいただいているので「いただき」、先端をちぎったような形から「ひっちぎり」ともいう。

「あこや」は不思議な形、そして色も可愛くてとても魅力的な菓子だ。江戸時代からあったが、雛菓子として江戸では定着しなかったとのこと。虎屋では京都店限定で雛節句の期間のみ販売しているそうだ。手に取って見てみたい、食べてみたい、東京で買えないとはとても残念。

〇そのほか…生菓子・金花糖・有(ある)平(へい)糖(とう)・落雁など

生菓子は桃の花や果実、蛤、お雛様などをモチーフにしたものが見られる。金花糖は砂糖液を木型などに流し込んで固めたもの。鯛や果物、野菜などさまざまな形があり、一般に中身は空洞である。有平糖は南蛮菓子のひとつで、飴細工である。

『宝暦(ほうりゃく)現来集(げんらいしゅう)』(1831自序)によれば、1770年代頃には、鯛や松竹梅をかたどった安い落雁などの雛菓子を行商するものもいたそうだ。また、幕府の御用学者、屋代(やしろ)弘(ひろ)賢(かた)らによる『諸国風俗問状答』(1813頃)は、各地の行事についてのアンケート調査のようなもので、雛祭りについての項目もある。草餅に母子草を使わない地域が多い中、出羽国秋田領や丹後国(京都府)峯山領などでは蓬同様、使用していること、備後国(広島県)深津郡本庄村では、昔は母子草で今は蓬にかわったことなどがわかるという。

江戸時代の雛菓子については、御所御用をつとめた虎屋の雛菓子の記録も紹介された。貞享4年(1687)3月3日には小さな饅頭を3000ばかり納めたそうだ。元禄年間には、模様入りの惣銀の折や杉重箱に菓子を詰め、納めたとのこと。小さい雛菓子を納める専用の雛井籠や重箱なども紹介されたが、なんて豪華で雅なこと! 御用記録の中には、雛菓子の大きさ(1.5~2㎝)がわかる略図を書いたものもあり、そんな小さな雛菓子が作れるの、とため息がでる。美しい入れ物に詰められたたくさんの愛らしい雛菓子、ご覧になった宮中のお姫様の驚きと喜びはいかばかりかと思う。

なお、現在にも伝えられる雛菓子は地方色豊かで、くじ(ぢ)ら餅(山形)、花饅頭・きりせんしょう(岩手)、金花糖(石川ほか)、ひな餅(島根)、からすみ(岐阜・愛知)、桃カステラ(長崎)、三月(さんぐゎち)菓子(ぐゎーし)(沖縄)ほかいろいろあるそうだ。

***

中国から伝わった厄を払う行事(形代を流す)が女子の成長を祝う華やかな雛の節句に、強い草の香りで厄を払う母子餅が色とりどりの可愛らしい雛菓子に、と江戸時代中期以降、日本では明るく楽しい雛祭りとして発展・定着してきた。一方中国では雛祭りのような行事は聞かないという。厄払いの食べ物を美しくおいしい菓子に変えていくのも日本人の特性かもしれない。また小さなものを愛でる感性は日本人が一番のような気がする。春のひと日、雛菓子の歴史と美に心ときめき、雛の節句の本来の意味を知る充実したお話だった。(葛西美津子記)

 

参考図書

亀井千歩子『日本の菓子』東京書籍 1996年
亀井千歩子『縁起菓子・祝い菓子』淡交社 2000年
『聞き書ふるさとの家庭料理 <別巻> 祭りと行事のごちそう』農文協編 2004年
服部比呂美「庄内地方における雛祭りの飾り物‐雛菓子と押絵雛菓子‐」
無形文化遺産研究報告第2号 所載 2008年
溝口政子・中山圭子『福を招くお守り菓子』講談社 2011年
つるおか伝統菓子 令和3年度・令和4年度「鶴岡雛菓子」調査報告書 (ネットで閲覧可)

開催中の虎屋の展示

  • 和菓子とマンガ

東京ミッドタウン店ギャラリー(六本木) 6月26日(水)まで

  • 家紋と和菓子のデザイン展

  虎屋 赤坂ギャラリー   5月30日(木)まで

 

虎屋文庫について

和菓子文化の伝承と創造の一翼を担うことを目的に、昭和48年(1973)に創設された「菓子資料室」。室町時代後期創業の虎屋に伝わる古文書や古器物を収蔵、和菓子に関する資料収集、調査研究を行っている。学術研究誌『和菓子』を年1回発行。

非公開だが、お客様からのご質問にはできるだけお応えしている。

株式会社 虎屋 虎屋文庫 〒107-0052 東京都港区赤坂4-9-17 赤坂第一ビル2階

E-mail  bunko@toraya-group.co.jp TEL 03-3408-2402   FAX 03-3408-4561

 

句会報告   選者=中山圭子、長谷川櫂

◆ 中山圭子 選

【特選】
ひとひらの花びら紛れ雛あられ     飛岡光枝
遠山の雪を集めて金花糖        飛岡光枝
見えぬもの見てゐる母よ桃咲いて    イーブン美奈子
まだ夢を見てゐる箱の桜もち      飛岡光枝
花時の闇の向かふの戦火かな      宮本みさ子
雛あられこぼれて遠き昔かな      齋藤嘉子

【入選】
畳むとき緋毛氈より雛あられ      きだりえこ
祖母が煎る大地の色よ雛あられ     齋藤嘉子
どこぞより一声聞こゆ鶯餅       長谷川冬虹
桃の花けぶれる里に雛の家       葛西美津子
永遠にあれ戦なき世の雛祭       澤田美那子
白は雪淡紅は花雛あられ        長谷川櫂
春愁が色とりどりや雛あられ      三玉一郎
よもぎ餅搗いてみどりの杵と臼     宮本みさ子
雛あられくすくす笑ひだしさうな    葛西美津子

◆ 長谷川櫂 選
【特選】
まだ夢を見てゐる箱の桜もち      飛岡光枝
【入選】
嬰の目に春のつぼみがひらくかな    趙栄順
クレヨンで目鼻もらひぬ紙雛      齋藤嘉子
羊羹の切り口濡れて雛の間       宮本みさ子
草餅を少し温めて分け合うて      奈良握

1月 きごさい+報告 「文化交流と相互理解」

きごさいBASE 投稿日:2024年1月8日 作成者: dvx223272025年9月24日

1月6日、第32回きごさい+がズームで開催されました。講師は董振華さん。中国北京のご出身で、現在は東京を拠点に俳人として、翻訳家として活躍されています。董さんよりご講演の概要をいただきました。

文化交流と相互理解     董 振華

新年早々、「きごさい+」のズーム交流会に参加出来て、真にありがとうございました。いつの時代でも文化交流は人と人、ひいては国と国との間の相互理解のための大事な手段です。
幼少時代、日本の映画、ドラマ、漫画、アニメの影響で日本に興味を持ち、大学では日本語を専攻し、就職後は日中交流の仕事に携わってきました。今回は文化交流の中で特に印象深かった二つのことについてお話しします。
Ⅰ 俳句と漢俳
一つは私を俳句の世界に導いてくださった金子兜太師との出会い。「董君は日中両国の言語が出来る。俳句を通して、将来、両国の文化交流と相互理解に役立つ人になるんだ。君にはそれができる。俺は信じる。」と力強く言っていただいたことは忘れない。
一九八〇年、大野林火を団長に日本の俳人訪中団(兜太も参加)が北京を訪れた。北海公園の?膳飯店で開かれた歓迎会で、当時の中国仏教協会の趙朴初会長が俳句に倣って三首の三行詩を詠んで、歓迎の意を表わした。そのうちの一首は下記のとおり。
緑蔭今雨来    緑陰に今雨来たり
山花枝接海花開 山花、枝接ぎて海花が開く
和風起漢俳    和風 漢俳を起こさん
五・七・五の形と中国語の漢字で綴られたこの三行詩は、後に漢俳の誕生を意味する。
翌年の四月に、林林、袁鷹が俳人協会のお招きにより訪日し、漢俳の形式、特色及び俳句との関り等について、山口誓子、大野林火、鷹羽狩行等の俳人の方々と意見を交換した。同時に「俳句と漢俳の架け橋に」を題とする文を『俳句』誌に発表。同年六月号の『詩刊』に趙朴初、林林、袁鷹三氏の「漢俳試作」十五首を掲載。これが漢俳の初めての公開的デビューである。「詩刊」の編集者も専ら「漢俳は中国詩人が日本の俳句詩人との交流の中で生まれた新詩体で、俳句の十七音(五、七、五)の形式と、押韻を加えた三行十七文字の短詩で、絶句、小令、或いは民謡に似ており、短くて凝縮した表現、文語、口語、抒情、写景どちらでもよい」と説明を付け加えた。続いて同年八月八日の「人民日報」に趙朴初、林林、袁鷹等の「漢俳試作」を掲載。これをきっかけに、「漢俳」は急速に中国全土に広がり、各界各層の人々が試作を始めた。一九八二年日本の『文芸用語基礎知識』、一九八八年の『中国新文学大系・詩歌』にはどちらも漢俳作品が収録されており、漢俳が新詩体としての文学的地位を確立した。
それからまもなく日本では一九八九年、国際俳句交流協会が創立した。それに呼応するかのように九〇年杭州で「和歌俳句研究会」、九三年上海で「上海俳句漢俳研究交流協会」、九五年北京で「中国歌俳研究中心」等が次々と発足。特に二〇〇五年北京で「中国漢俳学会」創立に際し、兜太を団長に三十五名が日本から祝賀に参会した。これにより漢俳は一層発展を遂げ、現在、漢俳の人口は一万人にものぼる。

Ⅱ 日本の物差しと中国の物差し
二つ目は交流の中で、相互理解を図るためには、相手国の文化や風俗習慣を知るのが大事であることを説明した。
〇「一衣帯水」共通した風俗
両国は二千年に及ぶ交流の中で、全く同じか或いは似通って風俗習慣を持つに至った。昔、日本が中国文化を吸収した際、習俗も一緒に日本に伝えられた。後に中国では変化が生じてからも、日本ではそれがずっと保存されてきた。
まず、古代中国から日本に伝わったものを言うと、羽根を揺らし、ひからびた籾米を吹き飛ばす唐箕、米を篩い分ける竹製の篩、穀物を掃く箒、土地を均すための熊手等があるが、これは皆江蘇省や浙江省から伝わってきたものである。
衣食住においても、両国には似通う部分が多く見られる。例えば、和服のゆったりした振袖は古代中国の服装の特徴である。また、日本の伝統的な居間には畳があって、そこには履物を脱いで入り、じかに座るが、これも中国古代の風習。一七〇〇年前、晋代の「管寧、席を分ける」という物語がある。菅寧と華歆は元々同窓生だったが、華歆は金と権力に目が眩んだため、菅寧は彼と席を分ける、つまり袂を分かつことになった。この物語は当時地面に直に座る習慣があったことを示している。
そして、暖簾といえば、日本ではこれを「暖簾」と書くが、もとは禅家が寒さを凌いだところから、その名が付いた。日本では、家に暖簾を掛けて、日の光を遮り、埃を防ぎ、外部の耳目を遮り、お店では暖簾を宣伝広告の代わりに使う等して、中国より用途が広範に渡る。
なお両国間には、お正月、端午の節句、お盆、重陽の節句等の多くの共通する祝日がある。日本では、端午の節句があり、男の子のいる家では子供の幸運と健康を祈って、庭に鯉幟を立てるが、中国でも鯉崇拝の風習がある。二千年余り前に、孔子に息子ができ、魯国の王様が鯉を送って祝福したため、孔子は息子を孔鯉と名づけた。現在中国では、春節(旧正月)を過ごす時に、子供が鯉を抱く絵を室内に貼ったり、大晦日に鯉の料理が出て、「年々有余」(年と共により多くのゆとりがもてるよう」と祈る。中国語のゆとりの意味を持つ「余」と「魚」との発音が同じだからである。
〇「求道存異」小異を認め、郷に入れば郷に従え
中国と日本の民俗習慣の共通点は枚挙に暇はないが、相違点も多くある。
話し方について:中国人は喋るにしろ、何かをするにしろ、単刀直入に意志を表現することを好むが、日本人の喋り方は相手に探りを入れつつ、遠まわしを表現します。かくして、中国人は日本人のことを回りくどくてはっきりしないと思い、日本人は中国人のことを単純でぶっきらぼうだと見なす。
持て成し方について:中国人が客をもてなすと、テーブルを埋め尽くすぐらいに肉や魚を振る舞い、置く場所がなくて皿を重ねることもある。日本人の場合は食器の美しさ、料理の種類の豊富さ、色の鮮やかさが重んじられ、量そのものは適度が好まれる。日本人は中国人のことを見栄え張りで無駄が多いと見なし、中国人は日本人をけちだと見なす。
数字好みの相違について:中国人は贈り物をする時に、偶数を贈るのが重視しており、日本人は奇数が好きだ。しかし奇数でも九は例外がある。九は単数の中で一番大きく、吉数として広く使われる。例えば、古代の中国の領土は「九州」と呼ばれ、天の高い所を「九天」「九宵」などと言った。紫禁城の部屋数は九九九九間とされ、宮殿の門にも横も縦も九つの釘が打たれ、表門と二番目の門の間にある目隠し塀には、九匹の龍が彫られ九龍壁と呼ぶ。日本ではこれと相反して、九には「苦」と同じ発音があり、九階のないホテルや九番の座席がなかったりする。
色彩好みの相違について:中国では鮮やかな色彩が好まれる。黄色は皇帝専用の色で、平民は使ってはならない。赤は縁起のいい色で、一番広く使われる。例えば、旧正月に紅い紙に対句を書いたり、子供が生まれて満一ヶ月の時には赤く染めた卵を食べ、結婚式で新郎は胸元に赤くて大きい花を付け、新婦は赤い服か赤い花柄の付いた服を着用する。一方、葬式では、白い麻布の喪服を着て、白い花を付け、白い靴を履くため、不吉な色と見なされてきた。これとは相反して、日本人は淡い色合いが好きで、特に白は高貴さや神聖さといったイメージがあるので、新婦は白いウェティングドレスに身を包み、新郎は黒い燕尾服(えんびふく)を着て、白いネクタイをしめる。

両国間の風俗習慣については枚挙に暇がありませんが、以上を持って両国の民俗の共通点、相違点そして交流について簡単に紹介させていただきました。

「俳句と漢俳」の話にしても、「日本の物差しと中国の物差し」の話にしても、文化交流は人々の意志疎通や国家間の相互理解にとって必要不可欠なことです。今日の話が少しでも相互理解のきっかけとなり、皆様の役に立てれば幸いに思います。ご清聴ありがとうございました。

講座の後、句会が開かれました。
句会報告   選者=董振華、長谷川櫂
◆ 董振華 選
【特選】
金の箔浮いてくるお茶お元日     森永尚子
三が日ただ月だけの青白し      奈良握
【入選】
破魔矢いま鈴を鳴らして落ちにけり  三玉一郎
揚げたての油条一本七日粥      森永尚子
初山河見たくて街の天辺へ      宮本みさ子
駅見ゆる席でコーヒー四日かな    金澤道子
元日や能登揺れて国みな揺るる    長谷川櫂
悴みてますます星と近くゐる     三玉一郎
能登揺れて荒海揺れて海鼠揺る    長谷川櫂
牛曳きし犂曽祖父の冬田打      石川桃瑪
暁天に若水汲みき桶の音       石川桃瑪
しんかんと星ひとつある二日かな   三玉一郎
お降りが濡らす襷や箱根路へ     奈良握

◆ 長谷川櫂 選
【特選】
揚げたての油条一本七日粥      森永尚子
【入選】
天地玄黄火鍋に年を惜しみけり    葛西美津子
手ぬぐひにいろはにほへと花の春   飛岡光枝
轟きて龍寝返るや冬の海       飛岡光枝
新年のいきなり揺らぐ秋津洲     葛西美津子

10月 きごさい+報告 「季節をめぐる鳥の世界」

きごさいBASE 投稿日:2023年10月19日 作成者: dvx223272025年9月25日

10月9日、第31回きごさい+がズームで開催されました。自然の中の様々な鳥の画像、渡り鳥の経路のアニメーションなども紹介され、興味深く充実した樋口先生のご講演でした。
「季節をめぐる鳥の世界」    東京大学名誉教授、慶應義塾大学訪問教授 樋口 広芳
鳥の世界は四季折々に変化する。それは単に、そこにいるものが色や姿を変える、といったことではない。すんでいる鳥そのものの種類が変わっていくのだ。その点が植物や昆虫、哺乳類の世界とは大きく異なっている。春には南から、秋には北からさまざまな鳥が訪れ、鳥をめぐる世界、「鳥景色」は大きく変化するのである。

もちろん、すむものすべてが変わるわけではない。一年を通じて同じところ、あるいは近隣にすんでいるものもいる。が、それらは、四季の移り変わりの中で異なる生活の様相を見せる。おおまかにいえば、鳥たちは春から初夏にかけて子育てに励む。秋には、すみかを移動させたり、なわばりの位置を変えたりする。冬には、厳しい気候条件の中、限りある食物を見つけ出し、命をつなぐ。

種類が入れ替わるのも、同じ種が異なるくらしを見せるのも、とても興味深い。ここでは、日本人の心の原風景とも言える「里山」を対象に、四季折々の鳥景色をながめていく(樋口2014『日本の鳥の世界』第4章より)。里山とは、水田、畑、小川、雑木林、丘陵などがモザイク状に連なるところで、 人のくらしが自然と調和を保ちながら維持されてきた環境だ。

里山の四季
2月から3月、庭や道ばたでウメの花が咲くころ、ウグイスのさえずりが響きわたる。ホーホケキョ、日本人ならだれもが知っている声だ。ウメの花に頻繁に訪れるのは、ウグイスではなくメジロだ。が、「梅に鶯」とは、とり合わせのよい二つのもの、美しく調和するもの、のたとえである。このころ、林の中ではエナガが巣づくりを始める。コケを集め、羽毛を探し出し、ふんわりとした温かな巣をつくる。草木の上でホオジロが、木々の上でシジュウカラやヤマガラがさえずる。やがてサクラの季節が訪れる。野山がヤマザクラやオオシマザクラ、ソメイヨシノの白やピンクの花でにぎわう。花にはメジロやヒヨドリがやってきて、さかんに蜜を吸う。上空では、ヒバリがにぎやかにさえずる。

春の訪れとともに、南の国からツバメがやってくる。ビチビチッと鳴きながら、草地や雑木林の上を飛ぶ。サクラの花が終わり、野山が新緑に彩られるころ、タカ類の1種、サシバがピックイー、ピックイーという声とともにやってくる。水田の両側に広がる雑木林の梢にとまり、周囲をうかがう。続いて、オオルリ、キビタキ、サンコウチョウなど、色とりどりの小鳥が訪れ、さえずりが響きわたるようになる。春まっさかり、里山の景観も音風景も一変する。

田植えの季節。田んぼではカエルがにぎやかに鳴き、小川ではカワトンボの姿が目につくようになる。5月なかば、多くの夏鳥に少し遅れて、カッコウやホトトギスがやってくる。カッコウはそのままの声で、ホトトギスは「テッペンカケタカ」と鳴く。夕刻、人家付近のケヤキやイチョウの大木で、アオバズクがホッホッ、ホッホッと鳴く。6月、ヤマボウシの白い花が輝いている。この時期、カッコウやホトトギスは小鳥の巣に托卵する。托卵相手によく似た色や模様の卵を産みこみ、その後の世話を小鳥にまかせてしまうのだ。7月に入り、巣立ちしたツバメの若鳥が、川や沼のほとりのヨシ原に集まることがある。ヨシの葉や茎に何羽もがとまり、そよ風にゆられる光景が目に入る。
ヒガンバナが赤い花をつける9月から10月、モズの高鳴きが聞かれるようになる。静かな野山に、キィーキィー、キチキチキチの声が響きわたる。モズはこの時期、雄と雌が別々になわばりをかまえ、それぞれにこのけたたましい声でなわばり宣言をしているのだ。高鳴きは、俳句の秋の季語にもなっている。この時期、昆虫やカエル、小魚などの小動物を小枝やとげに突き刺す「はやにえ」がよく見られる。
季節が少し進むと、北からツグミやジョウビタキなどの冬鳥が訪れる。ツグミは畑や草地に、ジョウビタキは明るい林や人家の庭先にやってくる。ツグミのケケッ、ジョウビタキのヒッヒッ、カタカタという声が耳に入るようになる。ジョウビタキはモズ同様、雄と雌が分かれてなわばりをかまえる。ヒッヒッ、カタカタという声は、なわばり宣言としての役目を果たす。
木々が紅葉に彩られるころ、ヒレンジャクやキレンジャクが現れることもある。レンジャク類は群れになり、ヤドリギやネズミモチなどの柔らかい木の実を食べる。赤く染まる夕焼け空を背景に、ムクドリの群れがねぐらに向かう。近隣から集まってきた何百、何千もの鳥たちが、黒い雲のようなかたまりになり、形や大きさを変えながら飛びまわる。

冬の沼や池には、マガモやオナガガモ、あるいはオシドリやヒドリガモなどのカモ類が渡ってきている。渡来当初は、雄の羽色も雌同様に地味だが、やがて目も覚めるような美しい姿に変身する。その美しさをきわだたせるような求愛行動が見られることもある。しばらく姿を消していたカイツブリも見られるようになり、さかんに潜っては小魚をとっている。棒くいの上では、カワセミが水面をじっとながめている。

やがて季節がめぐり、ウメの花が咲く。メジロが集まり、蜜を吸う。暖かな日差しの中で、ウグイスのホーホケキョの声が響きわたる。冬を越したツグミやジョウビタキ、いろいろなカモたちは、北へと旅立つ。代わりに、南の方からいろいろな夏鳥が渡来する。里山の新しい一年がまた始まる。

世界の自然と自然、人と人をつなぐ渡り鳥

いろいろな渡り鳥、この鳥たちはどこからやってくるのだろうか。最近の研究の成果により、限られた種ではあるが、渡りの様子がよくわかってきている。夏鳥のサシバは、南西諸島方面から直線的に北上して本州にやってくる。同じくタカ類のハチクマは、インドネシア方面からマレー半島、中国南部を北上し、朝鮮半島を南下して九州に入る。冬鳥のカモ類の多くは、カムチャツカをふくむシベリア中~北部から南下してくる。コハクチョウは、ロシアの北極圏からアムール川河口やサハリンを経て南下してくる。オオハクチョウは、コハクチョウよりも少し南側のロシア東北部から渡来する(くわしくは樋口2005『鳥たちの旅』(NHK出版)や樋口2016『鳥ってすごい!』(山と渓谷社)を参照)。
渡り鳥は、こうした長距離移動をしていく先々で、異なる国や地域の自然と自然をつないでいる。その意味で、日本の自然は渡り鳥を介して、ロシア、中国、朝鮮半島の自然とも、また東南アジアのいろいろな国の自然ともつながっている。
渡り鳥は同時に、遠く離れた国や地域の人と人をもつないでいる。渡り鳥の移動する先々では、数多くの人が鳥たちの渡る様子を見ている。サシバやハチクマなどのタカ類が渡る長野県の白樺峠、愛知県の伊良湖岬、長崎県の福江島などには、一日に数百、数千もの人が訪れる。この中には、一般市民も多数ふくまれている。秋の青空を背景にタカの渡る様子を見ながら、自然の醍醐味や、渡りという現象への夢とロマンを感じているのだ。そして同じ楽しみを、渡りゆく国や地域でやはり数多くの人たちが味わっている。日本で私たちが見た同じ鳥の群れを、タイやマレーシア、インドネシアの人々が見て楽しんでいることもある。
数ある生きものの中でも、このような役割を果たしているものは数少ない。その意味で、渡り鳥はすばらしく特異な存在である。インターネットなどの情報伝達が進んでいる今日、渡りゆく先々の地域の人々が、観察した鳥や渡りの様子を伝え合い、情報を共有していることも珍しくない。そうした情報は、鳥たちの現状を知り、かかわりのある保全上の問題を明らかにし、対策を考える上で重要なものともなっている。その過程で、人々は喜びや楽しみを共有し、人と人との結びつきのたいせつさをも感じとっている。

講座の後、句会が開かれました。
句会報告   選者=樋口広芳、藤英樹、長谷川櫂
◆ 樋口広芳 選
【特選】
木もれ日と遊ぶ小鳥や山の道     飛岡光枝
天地のふところ深く鷹渡る      村松二本
遠き灯の又ひとつ消ゆ木葉木菟    高橋慧
初雁の声を越後の土産とす      長谷川櫂
此の国も旅寝の一つ鳥渡る      吉安とも子
籾殻焼くいぶせき空を雁渡る     長谷川櫂
両腕に雀遊ばせ案山子かな      趙栄順
【入選】
小鳥来て影をひそめし庭雀      澤田美那子
一面の刈田佇む白鷺         高橋慧
鶴来たる非武装地帯経由して     西川遊歩
その胸に星を宿して鶲来る      飛岡光枝
わつと来て天を囃すや稲雀      きだりえこ
わが庭に虹のかけらや小鳥来る    稲垣雄二
ふわり来て別れを告げる秋の蝶    松平敦子
鵙鳴くやおのが領土を高らかに    越智淳子

◆ 藤英樹 選
【特選】
はなやぎて鷹の渡りの金華山     村山恭子
黒々と椋鳥の一樹や息づけり     飛岡光枝
戦なき国に帰れよつばくらめ     中丸佳音
わつと来て天を囃すや稲雀      きだりえこ
今日よりは此処がふる里鳥渡る    吉安とも子
髪切つて頭軽しや小鳥来る      趙栄順
欄干の鴉動じぬ柿日和        木下洋子
色鳥や必死に生きて番なる      澤田美那子
鵙鳴くやおのが領土を高らかに    越智淳子
【入選】
小鳥来て影をひそめし庭雀      澤田美那子
元の声とうに忘れし懸巣かな     イーブン美奈子
神宮の森しんかんと小鳥来る     飛岡光枝
吊し柿父の楷書の如くなり      二見京兎
遠き灯の又ひとつ消ゆ木葉木菟    高橋慧
椋鳥の声が容となる木立       吉安とも子
鳥渡る国境のなき世を渡る      奈良握
美帆路峠朝日にのつて白鳥来     ももたなおよ
鳴き交はす雁がねやみな胴間声    長谷川櫂
色鳥や箱根八里の唄聞こゆ      奈良握
目覚まし時計要らぬ齢や小鳥くる   葛西美津子
燕帰る見たことのない空を見に    三玉一郎
園児らは昼寝の時間小鳥来る     木下洋子
鶺鴒の渚どこまで走るらん      越智淳子
両腕に雀遊ばせ案山子かな      趙栄順
ふわり来て別れを告げる秋の蝶    松平敦子

◆ 長谷川櫂 選
【特選】
木もれ日と遊ぶ小鳥や山の道     飛岡光枝
神宮の森しんかんと小鳥来る     飛岡光枝
色鳥の散りてこぼれて万華鏡     趙栄順
【入選】
かりがねや蓬莱山を越えて来し    木下洋子
天地のふところ深く鷹渡る      村松二本
きりもなく稲を飛び出す雀かな    藤英樹
わつと来て天を囃すや稲雀      きだりえこ
思ひきやかりがね寒き朝の風     足立心一
わが庭に虹のかけらや小鳥来る    稲垣雄二
雨の日の次は風の日鷹柱       村松二本
目覚まし時計要らぬ齢や小鳥くる   葛西美津子
園児らは昼寝の時間小鳥来る     木下洋子
両腕に雀遊ばせ案山子かな      趙栄順

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2026年のはじめに  長谷川櫂

新年明けましておめでとうございます。

 NPO法人「季語と歳時記の会(きごさい)」は2008年の発足から今年で19年目を迎えました。年会誌「歳時記学」は「きごさい」と名称を変更して号を重ね、今年2月発行予定の号で第18号になります。この第18号を会誌の最終号とし、今年からこのサイト「きごさいBASE」に全面移行します。

 新企画「四季のエッセイ」には歌舞伎俳優の松本幸四郎さんに新春を寿ぐ素晴らしいエッセイを寄稿していただきました。また恒例の「日本の暦」も掲載しています。今後はデジタルの特性を生かしてスピィーディー発信してまいります。皆さまの更なる積極的なご協力、ご支援をお願いいたします。

最後に今年も皆さまの一層のご多幸を祈念いたします。(季語と歳時記の会代表)

きごさい歳時記


「日本の暦」2026年版


今夜はご馳走

季節文化を発信

NPO法人「きごさい」(季語と歳時記の会)は、ネット歳時記「きごさい」を中心に季節文化を発信する仕事をしています。その活動はボランティアのみなさんの力で運営されています。賛同される方はご参加ください。

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『花のテラスで』
福島光加
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