俳句の虚実 東日本大震災を詠み続けて 照井 翠
11月23日、俳句の未来を考える「HAIKU+」の第2回が、神奈川近代文学館で開催されました。講師は俳人の照井翠さん。テーマは「俳句の虚実 ―東日本大震災を詠み続けて―」。
照井さんは釜石で東日本大震災に遭遇し、極限状況と避難所生活の中で俳句を詠み続けました。震災から2年後に出した句集「龍宮」は俳壇以外でも注目され、多くの人の心を揺さぶりました。
講演では、震災に、自分に、そして俳句に、どう向き合ってきたのか。俳句における「虚」の意味とは。この不条理な時代に俳句(文学)が担う役割とは。具体的かつ大きな視野にたった照井さんのお話は、ずしんと心に響きました。
以下、照井さんに講演の要旨をまとめていただきました。
俳句の虚実 ―東日本大震災を詠み続けて― 照井 翠
1 始めに 北上市「日本現代詩歌文学館」
私の住む北上市にある詩歌文学館の公園の一角に、山本健吉の揮毫による「夢中落花」の碑がある。これは、西行の「春風のはなをちらすと見るゆめは覚めても胸のさはぐなりけり」という歌の詞書きにある言葉で山本が好んで揮毫した言葉である。文学館でこの春「水原秋櫻子展」が開催された。「瀧落ちて群青世界とどろけり」「冬菊のまとふはおのがひかりのみ」。
2 俳句の師 加藤楸邨
俳句初学の頃、「俳句とは何か?」という根源的な問いに対するひとつの答えが加藤楸邨の俳句だった。俳句は、戦争や孤児など社会の様々なことを詠むことができると衝撃を受けた。「火の奥に牡丹崩るるさまを見つ」「明易き欅にしるす生死かな」「一本の鶏頭燃えて戦終る」「飴なめて流離悴むこともなし」「何がここにこの孤児を置く秋の風」「凩や焦土の金庫吹き鳴らす」。
3 震災以前の俳句(戦争、民族弾圧、生と死)
楸邨の影響もあってか、俳句初学の頃から、戦争や民族・宗教弾圧などに関する俳句を詠んでいた。この世の不条理・理不尽に対する自分なりの思いを、俳句にぶつけていたものか。
第一句集『針の峰』より。「影持たぬ冬の雀や爆心地」「どこかで戦乱長く剥かるる梨一つ」
第二句集『水恋宮』より。「ビル倒壊あの日冬日を見たつきり」「十一月嘆きの壁の混みはじむ」
第三句集『翡翠楼』より。「八月の水平線の人柱」「移民とは捨てらるること花ヒース」
第四句集『雪浄土』より。隠れキリシタン殉教の地「大籠」での俳句。「氷板ヲ踏マザル者ハ獄門ニ」「人がひとを獄門に懸け寒卵」「冷まじや死ぬ身に刻む十字紋」「袖に首隠して渡る雪の川」
また、沖縄での俳句。「血で描く日の丸島の頂に」「滴りや空気の薄き壕の底」「毒ミルクぬちぐすいとて飲ませらる」「黍殻と言はれしはみな死体 越ゆ」「死ぬ朝の木綿に包む仏桑花」
4 東日本大震災 釜石を詠む
釜石で東日本大震災に遭遇した。極限状況の中、不安な日々を支えてくれたのが俳句だった。虚の側に身を置き、現実と向き合っていた。生な表現や剥き出しの観念語を用いた俳句が多い。
句集『龍宮』より。「喪へばうしなふほどに降る雪よ」「泥の底繭のごとくに嬰と母」「双子なら同じ死顔桃の花」「春の星こんなに人が死んだのか」「春昼の冷蔵庫より黒き汁」「唇を噛み切りて咲く椿かな」「撫子のしら骨となり帰りけり」「初螢やうやく逢ひに来てくれた」「鰯雲声にならざるこゑのあり」「寒昴たれも誰かのただひとり」「虹の骨泥の中より拾ひけり」
5 震災後の俳句(時の経過、意識の変容、震災体験の捉え直し)
震災体験の内面化・深化を試みている。思索の沈潜化、詩としての昇華が大事だと思う。
『龍宮』以後の俳句より。「三月を喪ひつづく砂時計」「螢や握りしめゐて喪ふ手」「霧がなあ霧が海這ひ魂呼ぶよ」「降りつづくこのしら雪も泥なりき」「別々に流されて逢ふ天の川」「寄するもの容るるが湾よ春の雪」「まだ立ち直れないのか 三月来」「三・一一みちのく今も穢土辺土」
6 俳句の虚実 フィクションの力
松尾芭蕉の言葉に「虚に居て実を行ふべし。実に居て虚を行ふべからず」とある。俳句は虚空が描ける。森澄雄の「ぼうたんの百のゆるるは湯のやうに」は虚構の名句。虚空を描き得た一句。
念願が叶い、アウシュヴィッツを訪れた。戦争や民族虐殺の過酷さを思い知った。そして俳句という器に思いを収めることの難しさも知った。フィクションの力に委ねるより他ないと感じた。
「終着の駅は死の町虎落笛」「一列に連行されてゆく白鳥」「冬の蠅ユダヤ絶滅収容所」「腐れ蕪益無き民へ与へらる」「天狼や民の選びし独裁者」「ガス室の冬天の穴閉ぢきらる」「堆き女の遺髪霜の声」「死の灰の中より生まれ雪螢」「立牢の四人隙間無く凍り」「虐殺の百万人の冬白樺」
7 芸術 永遠のモダン
京都の龍安寺は、枯山水庭園で有名である。水を使わずに水を表す名園で日本を代表する芸術の最高のものだと思う。透徹した美意識に基づき、純度の高い抽象化がなされている。芸術とは「永遠のモダン」を創り出すこと。真の芸術は常に新しく、時代が移り変わっても全く古びない。
8 終わりに 「百年たてば その意味わかる」
北上市役所の裏手に寺山修司の文学碑がある。「百年たったら 帰っておいで 百年たてば その意味わかる」。あの震災にも何らかの意味があったのか、または今後意味をもたらすのか。震災に限らず、世界には苦しんでいる人々がいる。その苦悩を共有し、文学で表現していく。