7月6日、第35回きごさい+がズームで開催されました。
「硯がひらく世界」 甲斐雨端硯本舗13代目硯匠 雨宮弥太郎
〇雨畑硯の歴史
雨畑硯は山梨県南部早川町雨畑にて産出される石で当家初代雨宮孫右衛門が元禄3年(1690年)身延山参詣の途上黒一色の流石を広い作硯した事に始まると伝えられています。(日蓮上人高弟開祖の伝承もあり。)雨畑は山深い所であるため当時富士川舟運で栄えた鰍沢に多くの職人が集まり硯づくりが盛んになりました。そして、天明4年四代要蔵が将軍家に硯を献上するなどして雨畑硯の名が全国に高まることとなりました。
(※雨畑硯は地場産業としての一般的な表記であり「雨端硯」は八代鈍斎が中村敬宇氏よりいただいた雨宮弥兵衛家の登録商標表記です。)
〇硯造形の流れ
日本は工芸王国です。しかし石の工芸はあまり注目されてきませんでした。硯の歴史を調べてみても 多くは硯箱の意匠の変遷に重きが置かれ硯についてはほとんど触れられていません。硯の意匠について 当家に残る八代鈍斎、十代英斎の作品などをみても中国硯の強い影響が見られます。日本独自の硯の意匠は十一代静軒から始まると言えるかもしれません。 静軒は文房四宝に造詣の深い犬飼木堂翁に教えをいただき東京美術学校で彫刻を また竹内栖鳳より図案を学び 自然の風物を硯に取り入れ芸術としての硯を確立しました。 その〝間〟を重視した造形は 柔らかい硯石の質感を十二分に生かした和様の意匠です。続く十二代弥兵衛・誠の作品は抽象表現主義の影響を受けた斬新なシンプルな造形となり 硯作品にも時代の美意識の変遷を見て取る事ができます。 続く私の作品ですが父の無駄なものを極力省いたシンプルな造形をベースに〝何でもない形でありながら品格の宿るかたち〟を目指して独自のスタイルを模索しているところです。
〇硯の用途とは
硯は墨をするための道具です。 しかし本当にそれだけのものでしょうか。 焼き物で作られていた古代の硯にはどう見ても実用第一に作られたものにはみえない〝円面硯〟〝多足硯〟〝動物硯〟などが見られます。 字を書くという事が特別であった時代の〝権力〟〝祈り〟への想いがあるように感じられます。 また中国に見られる文房飾り。実用以上に文人の理想の境地の表現です。ここでは硯は一番の主役でした。 知的に自分を高めるための存在だったのではないでしょうか。
私は 硯は〝墨を磨るうちに心を鎮め 自分の内面と向き合うための道具〟と捉えています。いわば〝精神の器〟として現代の造形としての可能性を感じています。
では、硯が硯として成立するためにはどんな条件が必要でしょうか。私は良石に平らな面さえあれば充分だと考えています。 そして そこさえ押さえておけば かなり自由度の高い造形が可能です。 さらに墨が溢れにくいように縁が生じ 磨った墨をためる窪みの出現など 現在のスタンダードな硯の形が完成しました。この硯の形の成立には今では当たり前のスティック状の〝墨〟の完成が必須でした。 この硯の形の完成は唐代のことと言われ現在でも〝唐型硯〟というスタイルで定着しています。
〇硯石について
雨畑の石は良質な粘板岩であり岩石が生成される際の圧力によって板状に生成されるはっきりとした石目をもった素材です。 その際に雲母、石英といった硬質な微粒子が均一に発生し、この〝鋒鋩〟と呼ばれる粒子が墨を磨る硯の生命です。 適度な硬度の石質であると長く使用していても最適な〝鋒鋩〟が保持される。これが何よりも大切な硯石の条件です。 しかし自然生成された素材ですので異物が混入していたり 傷が多い石が殆どです。雨畑には粘板岩状の山肌が沢山見られますが硯に適した良材は限られた層から産出される貴重なものです。
この原石を硯にするには まず上下面をタガネ→鑿→砥石を用いて水平とし板状に整えます。 切断機、砥石等を用いてさらに外形を整え、多様な刃先の鑿を用いて墨堂、墨池(陸、海)を掘り進めます。 次に砥石を用いて磨いていきます。 〝磨き〟といっても ただつるつるに磨き上げるのではなく何よりも最適な〝鋒鋩〟に整える事が大切です。 最終的に墨ぬりをへて墨堂墨池以外の硯まわりを拭き漆で炭の微粒子を定着させてブラシで拭き上げて艶を出して仕上げます。
〇私の作品制作について
作品制作においてはまず明確なイメージを持つ事が大事になります。そのイメージの形を頭の中で三次元で回転させて多方向からも形がイメージできるように練り上げます。 大切なのは頭の中で形が周りの空間ごと ひとつの風景として再現できるかという事です。 次にそのイメージが現実化できそうな原石を探します。この時に自分のイメージした形がそのまま実現できる大きさ、プロポーションの原石はほぼ無いのが現実です。なんとか形になりそうな素材を選びイメージと原石をすり合わせながら制作を進めていきます。 はじめから思い通りにいかない状態からイメージだけを頼りに制作を進めます。まるでアドリブを積み重ねるジャズの演奏のように その模索の時間こそが制作の喜びです。その不確定な制作の最中に当初思い描いていなかったようなものがまるで天の啓示のように湧き上がってくることもあります。この天からの啓示を引き寄せる力 柔軟に対応して最終的には自分の形にできるという自信のようなものが 今まで自分の培ってきた造形力(創造性)なのだと私は考えています。
しかし、工芸会の別の素材の作家との会話から創造の過程には別な形がある事も発見しました。その作家は制作当初に厳密な設計図を描きそれが完璧に実現出来る事が素晴らしい制作工程だと話していました。私と全く違う考えですが、その一枚の設計図には深い経験が反映されていると考えられます。私も日々の生活の中で路上の枯葉に新しい造形要素を発見するなど 目にする全てのものを硯造形に引き寄せて見てしまう習慣があります。
そういった観察の蓄積が作品イメージに結実していく。 日々の習慣と経験が創造力の源だという点では同じなのかもしれません。
〇これからの〝硯〟
硯の未来を考えるうえで こんな現実があります。 毎年 小学生50名ほどが伝統文化を学びにやって来るのですが殆どの子ども達が硯が墨を磨る道具である事を知らないのです。 現在の小学生の書道セットに入っている硯は樹脂制でほぼ墨汁をためる為だけに使われています。そのために実際に石の硯で墨を磨った経験のある子は僅かだろうとは思っていましたが そこまでとは驚きでした。そこで現在は実際に硯で墨を磨ってもらうワークショップを積極的に開催しています。墨を磨る時の感触、香などで気持ちが落ち着く時間を体験し、磨った墨で描いてもらうことで墨汁とは違った多彩な色合いを発見してもらいます。墨汁を使った書道の時間も入門として大切ですが 実際に石の硯で墨を磨る豊かさは心に残ってくれると信じています。 〝文化としての硯〟を今後とも伝承していきたいと思います。
硯を現代の造形として広める事も私の夢です。硯に向き合う事は禅の石庭に瞑想することと同義である事 いわば〝ZEN. STONE〟として海外にもアピール出来たらと思っています。硯の存在は地味で小さなものですが日本文化を支える大事な要素として広めていけるよう精進を重ねたいと思っています。
<句会報告> 講座の後、句会が開催されました。選者:雨宮弥太郎、西川遊歩、長谷川櫂
雨宮弥太郎 選
【特選】
硯より湧くこゑを聞く楸邨忌 西川遊歩
月涼し心はさらに墨磨れば 齋藤嘉子
悠久の時を削りて硯とす 上田雅子
滴りやみるみる目覚め大硯 西川遊歩
空掴む吾子の掌新樹光 丸茂秀子
【入選】
月一つ沈めて深き墨の海 三玉一郎
遠き日の墨磨る父や星祭 鈴木美江子
文鎮と硯の重み夏休み 奈良握
漂泊の硯の寓居月涼し 西川遊歩
魂の涼しと思ふ硯かな きだりえこ
うち澄まし硯にうつす梅雨の月 足立心一
手のひらにあたたかくある硯かな 高橋慧
星涼し今宵夜空を硯かな 葛西美津子
遺されし硯一片夏の雲 飛岡光枝
墨磨れば香の運びくるはるか夏 越智淳子
墨書てふ虚実のあはひ沙羅の花 長谷川冬虹
青墨の涼一文字や夏座敷 金澤道子
西川遊歩 選
【特選】
月一つ沈めて深き墨の海 三玉一郎
涼しさの甲斐に硯の海ひとつ イーブン美奈子
青山河研ぎ出したる硯かな 齋藤嘉子
一つ葉に目をやすめては硯彫る 長谷川櫂
山滴るその一滴を硯とす 齋藤嘉子
月涼し墨摩るほどに心澄み 木下洋子
【入選】
滴りの滴一滴と硯磨ぐ 葛西美津子
涼しさや硯の海をわたりゆき イーブン美奈子
遠き日の墨磨る父や星祭 鈴木美江子
青梅雨の窓に籠りて硯彫る 葛西美津子
ならまちや墨の香のたつ麻のれん きだりえこ
魂の涼しと思ふ硯かな きだりえこ
滴りのただ一滴の硯かな 三玉一郎
迸る井戸のポンプに硯洗ふ 越智淳子
手のひらにあたたかくある硯かな 高橋慧
浮葉より硯の海へひと雫 きだりえこ
筆硯濯ぎてよりの夕涼み きだりえこ
青墨の涼一文字や夏座敷 金澤道子
雄勝石戴く駅舎梅雨曇 足立心一
大いなる硯に山の滴りを 木下洋子
長谷川櫂 選
【特選】推敲例あり
硯より湧くこゑ聞かん楸邨忌 西川遊歩
青山河研ぎ出したる硯かな 齋藤嘉子
滴りやみるみる目覚め大硯 西川遊歩
【入選】
滴りの滴一滴と硯磨ぐ 葛西美津子
初盆やそのままにある硯箱 鈴木美江子
くろぐろと春一文字初硯 三玉一郎
翠巒に対すがごとく硯あり 齋藤嘉子
明易やしんと雨畑硯あり 飛岡光枝
一片の蓮の花びら硯かな 飛岡光枝
墨磨つて今日の一文字夏休み 飛岡光枝