きごさい+「キリシタン版と日本人」レポート
6月2日(日) 第18回「きごさい+」が神奈川近代文学館で開催されました。
講師は東京大学史料編纂所で南蛮貿易、キリシタン史の研究をされている岡美穂子(おか・みほこ)准教授。キリシタン史の新説を交えたお話はとてもエキサイティングでした。
岡先生に講演の概要をまとめていただきました。
キリシタン版と製作に関わった日本人
―天正少年遣欧使節の光と影―
岡 美穂子 (東京大学 史料編纂所 特殊史料部門 准教授)
■はじめに
16~17 世紀のキリスト教布教といえば、ザビエルやヴァリニャーノ、フロイスなどの、
ヨーロッパ人宣教師が想起され、「西洋の宗教」が日本で受容された「エキゾチック」なイ
メージです。実際には、イエズス会(とくにイタリア人のヴァリニャーノ)は、日本人に「日本の在来宗教」との違和感を感じさせないよう、随所に細やかな工夫を施した、いわゆる「適応主義」にもとづく、布教方針を定めました。その中でも重要だったのが、「日本人宣教者の活用」です。もっと率直に言えば、「キリシタン」の伝道や指導の大半は、日本人宣教者(伊留満、同宿、看坊等)によっておこなわれた、と言っても過言ではありません。とりわけ重用されたのが、元仏僧の宣教者であったことを、近年、自説として発表しています。
今日は、これらの日本人宣教者たちが重要な役割を果たした、キリシタン版印刷の話をしたいと思います。キリシタン版は大きく4つの種類に分けることができます。1)日本人にキリシタンを弘めるにあたり、日本人宣教者が学ぶべき教理等を印刷 2)ヨーロッパ人宣教師が日本語を学ぶためのテキストを印刷 3)辞書類 4)信徒が唱えるオラショ(祈祷)や簡易教理書の印刷物、です。
■天正少年遣欧使節と活版印刷
日本に最初の活発印刷機がもたらされたのは、天正少年遣欧使節の帰国の際でした。よく知られている4人の少年(伊東マンショ、千々石ミゲル、原マルチノ、中浦ジュリアン)以外に、印刷技術を学ぶため、三人の少年がヨーロッパへ派遣されました。ジョルジ・デ・ロヨラ(1562?-1589)、コンスタンティーノ・ドウラード(1566?―1620)、アゴスティーノ・ドウラード(コンスタンティーノの兄弟か?)です。中でもドウラードは、ラテン語とポルトガル語に秀でており、父親がポルトガル人商人であったという説もあります。コンスタンティーノは⾧崎の諫早出身で、1570年代にはイエズス会の教育施設に預けられました。そこで「同宿」として勉学に励み、少年使節と共に渡欧、帰国後しばらく経った1595 年、イエズス会に「イルマン」として入会します。つまり20年近く正式なイエズス会士ではなく、宣教師たちを助けるポジションである「同宿」で、正式なイエズス会員としては登録されていませんでした。江戸幕府の禁教令(1614)後、マカオへ渡り、1616 年、ついにマラッカで司祭に叙階されました。マカオに戻った後、イエズス会のセミナリオの院⾧に抜擢されましたが、1620 年死去したと言われています。
■日本イエズス会の組織構造
日本のイエズス会は正式会員であるパードレ(司祭)、イルマン(修道士)の他に、同宿、看坊、小者などと呼ばれる日本人が属していました。宣教者の圧倒的多数を占める同宿、看坊、小者は、基本的には氏名不詳です。看坊はキリシタンに改宗した仏教寺院の僧侶で、「教会化」された寺院に住み、キリシタン(旧檀家)の面倒を見ました。葬儀、日常的な宗教指導などは、同宿、看坊を中心におこなわれました。印刷業務を担ったのは、このような日本人が大半でした。なにゆえ、日本人が宣教に不可欠であるのか、1570年代から1590年代にかけて、東インド巡察師として日本布教区を統括したアレッシャンドロ・ヴァリニャーノは、次のように述べています。
「第一、当初から今日に至るまで、日本人修道士の数は不足しており、言語や風習は我
等にとって、はなはだ困難、かつ新奇であるから、これらの同宿がいなければ、我等は日本で何事もなし得なかったであろう。今まで説教を行い、教理を説き、実行された司牧の大部分は、彼等の手になるものであり、教会の世話をし、司祭たちのための交渉の文書を取り扱い、先に述べた茶の湯の世話をするのも彼等である。…彼等はまた、埋葬やミサ聖祭、聖体行列、および盃や肴をもって客を接待するのを手伝う。」(アレッサンドロ・ヴァリニャーノ著『日本諸事要録』1582 年より)
■琵琶法師とキリシタン布教の密接な関係
天草版と呼ばれる、初期のキリシタン版に、ローマ字で書かれた『平家物語』があります。『平家物語』といえば、室町時代初期から盲目の琵琶法師たちが語り継いできた物語で、日本人の死生観に、非常に大きな影響を与えている、と言われます。ほとんど知られていないことですが、イエズス会の日本布教では、上で述べたような仏僧のほかに、これら琵琶法師たちも活用されていました。よく知られている例では、平戸出身のロウレンソ了斎(1526~1592)、山口出身のトビアスがいます。ロウレンソは宣教師が織田信⾧や豊臣秀吉などの為政者や武将等と面会する際には、必ず付き添いました。仏教諸宗派との宗論もロウレンソが主体的におこなっていた(フロイス『日本史』)と言われます。もともと琵琶法師という職業特性上、語りを得意とし、大名や武将との交流に必要な礼儀・所作を体得していた、と言われ高山父子の入信はロウレンソの功績によるものです。16世紀後半、「検校」と呼ばれる朝廷から特殊な許可を得た京都の盲人50人のうち、5人がキリシタンの布教に携わりました。
仏教の知識が豊富な寺院勤めの元仏僧のほか、「語り」を得意とする琵琶法師も、大いに活用されていたのです。天草版の『平家物語』は、外国人宣教師が容易な日本語を学ぶためだけではなく、この物語に込められた日本的な「哲学」を、学習者が体得するのにも有益であると判断されたのではないでしょうか。
■不干斎ファビアン
不干斎ファビアンは、天草版『平家物語』『伊曽保物語』の編者、『妙貞問答』の著者として知られています。キリシタンになる前は京都の大徳寺もしくは南禅寺(臨済宗)の仏僧であったと言われています。大変明晰な頭脳の持ち主で、キリシタンに入信後、かなり短い期間で「イルマン」に採用され、日本人の若者がキリスト教を学ぶコレジオで教鞭を執りました。ファビアンが教える天草のコレジオでは、天正少年遣欧使節のうち、伊東マンショ、中浦ジュリアン、千々石ミゲルの三人が、勉学に励んでおり、有能な原マルチノだけが別格扱いで、準管区⾧ペドロ・ゴメスの秘書をしていました。1603 年以降は、京都の下京教会で「イルマン」として働き、主に徳川家康や諸大名との交渉で中心的な役割を果たしました。
1607 年頃、京都の下京教会には、「イルマン」としてファビアンの他、かつてファビアンの徒弟であった中浦ジュリアン、原マルチノらが所属していました。おそらくその中でも為政者たちと繋がりの深いファビアンが、中心的な人物だったでしょう。しかしながら翌年、ファビアンを絶望のどん底に突き落とすような事態が発生します。1608 年、ともに日本人イルマンとして活動していた原マルチノと中浦ジュリアンの司祭叙階が決定したのです。当時、日本人が司祭に叙階される例は僅少でしたが、留学エリートで、イエズス会の日本布教のシンボル的存在であった天正使節の彼等は、語学にも秀で、ヨーロッパ人宣教師との繋がりも深かったのでしょう。ほぼ同年齢で、かつては自分の学生であった後進のマルチノやジュリアンが司祭に叙階されるという事実が、どれほどファビアンを傷つけたかは、想像に難くありません。ファビアンは脱会にあたり、上⾧のペドロ・モレホンに対して、イエズス会内部の様々な問題点を論った書状を送ったと言われています。その後ファビアンの脱会の原因は、尼僧との性的な関係によるものであったとイエズス会史料では片づけられてしまい、それまでのファビアンの功績も「背教者」として抹殺されてしまうのです。
■まとめ
最後に、今日の話をまとめます。キリシタン版の制作には、1)日本語が堪能なヨーロッパ人、2)ヨーロッパ言語(ポルトガル語・ラテン語)が堪能な日本人、3)日本文化の教養レベルが高い日本人、4)印刷業に専従する同宿たちの4つの立場の人々が主に関わっていたと考えられます。代表者として名前が残りやすいのは第3の「教養レベルが高い日本人」でした。「教養レベルの高い日本人」は、日本人が元来有する宗教観、宗教的フレームワークに、キリスト教を融合させる機能を果たしたと考えられます。その結果、生まれたのが「キリシタン」という新種の宗教(シンクレティズム=混交宗教)であったと言えます。『平家物語』が、日本語を学ぶ初学者のためのテキストとして選択された背景には、その物語に込められた日本人の死生観を代表とする「哲学」を、テキスト学習を通して体得することも意識されていたのではなかったでしょうか。
<句会報告>
◆岡美穂子選
【特選】
干十字刻まれし墓碑南風 百田登起枝
わが前にしんとおかるる踏絵かな 長谷川櫂
島の果数百年の毒だみの花の闇 井上じろ
薔薇の字のかたち崩れて花の散る 片山ひろし
涼しさの石をなぞれば十字あり 三玉一郎
イエス来て仏と歩む薔薇の園 上村幸三
墨まみれ刷る少年ら夏の寺 越智淳子
少年のおるがんいまもミサ五月 鈴木伊豆山
棄教また諸行無常の道涼し 上村幸三
雨あがりマリアの窟の夏蛙 前田麻里子
ファビアンの日本名いづこ京の夏 越智淳子
【入選】
信心と妄想の中薔薇ひらく 川村玲子
伊留満となりし僧侶や麦の秋 百田登起枝
薔薇の丘出船の汽笛響きけり 片山ひろし
香りたつ活字の薔薇や読み進む 飛岡光枝
海渡る活版印刷大南風 飛岡光枝
ファビアンの汚名をそそぐ夏衣 三玉一郎
遠白くマリア観音明易し 葛西美津子
キリシタン寺にそよぐや青芭蕉 飛岡光枝
キリストと平氏の並ぶ夏の午後 佐藤森恵
◆長谷川櫂選
【特選】
伊留満となりし僧侶や麦の秋 百田登起枝
信心に巣くふ真黒き蛇ならん 飛岡光枝
海渡る活版印刷大南風 飛岡光枝
【入選】
刷りあがる伊曽保物語風薫る 飛岡光枝
砕け散る夢や野望や明易し 葛西美津子
干十字刻まれし墓碑南風 百田登起枝
名も知らぬ同宿たちの夢の跡 岡美穂子
怨嗟と不安よ紅き薔薇白き薔薇 川村玲子
滴れる一語一語の布教かな 葛西美津子
薔薇園の薔薇に呆けし句会かな 上村幸三
遠白くマリア観音明易し 葛西美津子
涼しさの石をなぞれば十字あり 三玉一郎
夢の中夢と知りつつ田を植うる 園田靖彦
捨てし神捨てし仏や紅薔薇 川村玲子
キリシタン寺にそよぐや青芭蕉 飛岡光枝
琵琶法師語れば山の滴れり 葛西美津子
墨まみれ刷る少年ら夏の寺 越智淳子
少年のおるがんいまもミサ五月 鈴木伊豆山
漱石の書入れ研究避暑の宿 佐藤森恵
僧侶また司祭となるや梅雨深し 上田雅子
棄教また諸行無常の道涼し 上村幸三
ファビアンの失意を思ふ皐月かな 百田登起枝
天草のキリシタン版涼しかり 片山ひろし
少年の讃美歌あはれ夏の月 越智淳子
オルガンを弾きて少年青葉潮 鈴木伊豆山
夏草やファビアンの夢辿る道 吉安とも子
キリシタン版一本の月の道 三玉一郎