きごさい+「ほっぺたにキス」
2月1日(土) 第20回「きごさい+」が神奈川近代文学館で開催されました。
講師は東海大学教育学部国際学科の小貫大輔(おぬきだいすけ)教授。日本とブラジルの国民性や文化の違いなど、具体的でユーモアたっぷりのお話に魅了されました。
キッスとハグと 小貫大輔(おぬきだいすけ)
初めて句会なるものに参加させていただいて、とても楽しかったです。素晴らしい句がたくさんあって、選にも困りました。そして、私の句は一つも選ばれなかったことにも、感動。皆さん、(当然ですが)見る目をもっておられるなあ、と。
句会が終わってからスタッフの皆さんとお茶をいただいているとき、「今日はキッスの練習をするのかと思ってきちんと髭を剃ってきたんですよ」と言われました。
そうなんです。
いつもならドイツの握手とブラジルのキッスを会場の皆さんに体験していただいて、それをしているときの自分を、日本式のお辞儀をしているときの自分と比較していただくのですが、今回は時間がなくてできませんでした。(私が風邪気味で、しかも新型コロナウィルス関連のニュースが蔓延している中、申し訳なくて遠慮したところもあります。)
キッスの挨拶とは言っても、ほっぺたを寄せてチュッと音を出すだけの儀礼的な「まねごと」に過ぎませんが、これが意外と感情を高ぶらせるものです。
私の普段の授業で大学生にやってもらうのですが、彼らにはなかなかできません。「えーっ」と叫んで、動揺してしまう人もいます。無理やり挑戦しても、全身ガチゴチで耳と耳がボカンと音を立ててぶつかることもあります。私のお話の中でも話したのですが、20歳は人生で一番「日本人そのもの」なときなのかもしれません。「地球人」として生まれてきた赤ちゃんが、20年かけてこの国の言語と価値観、マナーとを学んできた成果なんだと思います。だからこそ、これから旅立つ人生に向けて「脱構築」してあげようと思ってこういう授業をするわけです。
しかしおもしろいことに、ドイツの握手とブラジルのキッスでは「キッスの方がいい」という学生が大半です。ドイツの握手は、手を握り合うばかりでなく、目と目の激しいコンタクトを要求します。自分が自分であること、相手が相手であること、天から始まって地球の真ん中まで通る太い線が2本、それこそガチンと出会います。日本人にもアイコンタクトが当たり前の時代がやってきたとはいえ、やはり緊張を呼ぶ挨拶です。
その点、日本の挨拶はいかがでしょう。ブラジル人のように肉体で相手の懐の中に飛び込むわけではありませんが、全身で交わすホーリスティックな挨拶であることに変わりがないのでは。目、とか、手のひら、とか、自分の身体の一点の、特に感受能力の高いところから「自分」を引きはらって、奥の奥まで引きさがった上で、頭長の大泉門のようなところから外界に出ていくような挨拶ではありませんか。体の外で他者と出会い、空気となって抱擁しあうような。
私は、この不思議な感覚が日本人の特徴だと思っています。
ものごとをはっきり言葉にするのではなく、心で感じる力。人の気持ちを思いやり、慮り、気遣い、按じ…(ついでに言うと忖度も)。これはなかなか海外では体験できないものです。超能力そのもの。
その能力を、私たちは毎日毎日、一日に何回も、お辞儀という形で練習していると思うのです。ちょうどドイツの人たちが、自分をしっかりと持ち、相手を敬い尊ぶ態度を、毎日握手を通じて練習しているように。ブラジルの人たちが、ブラジルで最も大切にされる能力をハグとキッスで練習しているように。ちなみに、ブラジルでは「シンパチコ」というのが、人間への最大級の褒め言葉です。説明するなら、「開いた心の持ち主」、「他者と感応しあうことのできる人」ぐらいの意味かな。
文化とは不思議なものです。それは私であって、私でない。こんなにも自分にとって大切であたり前なことなのに、自分の中から生まれたものではない。だって、他の文化に生まれていたら、自分はきっとその文化の言うとおりに育っていただろうから。それなのに、こんなにも自分の一部になっているのは、それが脳の中のどこか一か所に宿るのではないからだと思うのです。文化は、所作となって、流れとなって、回路となって、私たちの存在を導きます。
では、私たちは文化の所産でしかないのでしょうか。お辞儀で育ったら、キッスはできるようにならないものでしょうか。
もちろん、そんなはずはありません。
「文化的アイデンティティ」とはよく言いますが、私は「アイデンティティ」は文化より深いところにあると感じています。あるいは、文化的アイデンティティのさらに奥深いところに自分の「核」があると。私の場合は、その「核」が、初めて「キッス」と出会ったときに震えました。24歳のときのことです。そのバイブレーションが自分を海外へといざない、やがてブラジルへと導いてきました。20年ほどの海外生活の末に、運命のいたずら(必然)で日本に戻ったときに、自分のミッションは日本の社会にキッスを伝えることだと確信しました。
私のミッションはうまくいっているのでしょうか。さあ、どうでしょう。少なくとも、学生たちはどんどん変わっていきます。10数年前、私のキッスの授業は「1勝1敗1引き分けならよし」と思っていました。今は、ほとんどの学生がそれなりにチャレンジしてくれます。私の授業が上手になったから、ではない。明らかに若者の魂が変わってきています。文化は流れるものであるから、意外と急速に変化していくのかもしれないと思っています。
講座のあと、句会が開かれました。
・小貫大輔選
【特選】
春の日がふくらんでゆくほつぺかな 三玉一郎
ひややかな鼻ふれてくる子馬かな 長谷川櫂
風光る丘の上なる遠会釈 趙栄順
【入選】
春立つやチャドルの母の頬にキス 鈴木伊豆山
春近し懐に入る地球人 吉安友子
ダイスケはダイスキに似て梅真白 飛岡光枝
カステラのざらめを噛めば梅ひらく 片山ひろし
春空に鋏を入れて薔薇整枝 神谷宣行
・長谷川櫂選
【特選】
どの国の子どもも笑へ山笑ふ 趙栄順
抱かれていのちの育つ日永かな 趙栄順
おんぶ好き抱つこ大好き日脚伸ぶ 葛西美津子
春風やいろんな声のこんにちは 葛西美津子
蜜蜂のキッス上手や花めぐり 飛岡光枝
【入選】
人間の氷とけゆくキッスかな 飛岡光枝
人類の春いろいろやペンキ塗る 飛岡光枝
夕日にキスを凍て星におやすみを 石川桃瑪
くれなゐの薔薇の芽吹きやこんにちは 石川桃瑪
タンカーの船足重し春の海 上田雅子
目の中にあなたを探す春の月 三玉一郎
寒椿外人墓地にある日向 吉安友子
ラガー等のトライ決めたりハグ弾む 鈴木伊豆山
キスをせん春色をしたほつぺたに 井上じろ
手袋を脱ぎて握手の長かりし 中丸佳音
初蝶や地球のほつぺにキッスせん 神谷宣行