1月 きごさい+(講座と句会)報告
1月30日(土) 第21回「きごさい+」がズームで開催されました。
講師は総合地球環境学研究所所長の安成哲三先生。日本の豊かな四季や風土の多様性は、世界でも類を見ない地理的条件下にあったから。日本列島の気候と風土、文化を地球全体から俯瞰的に見たお話に魅了されました。
俳句とアジアモンスーン気候、そして日本の風土
安成哲三(大学共同利用機関法人 人間文化研究機構 総合地球環境学研究所 所長)
多様で豊かな日本列島の自然
日本列島は、米国カリフォルニア州よりも狭い面積ながら、北は北海道から南は琉球列島まで、気候的には亜寒帯・温帯:亜熱帯をカバーし、生物相(生態系)も海岸から高山帯を含む地形要因もあり、非常に多様である。とくにユーラシア大陸の東岸に位置し、アジアモンスーン気候下にあるため、夏冬の季節変化も大きい。大陸から離れた列島であり、黒潮・対馬暖流と親潮に囲まれた地理的条件は、列島内の気候や生物相の地域的分布を、アジアモンスーンの影響下にあるアジアの他の地域には見られない、豊かさと多様さ、そして複雑さがある。
夏も冬もアジアモンスーン
アジアモンスーンは、ユーラシア大陸の東部から南部にかけての広大な地域で卓越する季節風である。夏はインド洋から大陸に向けて湿った風が吹きつけ、インド亜大陸から東南アジア、そして中国を含む東アジアに雨季をもたらす。亜熱帯の緯度に位置するチベット高原とヒマラヤ山脈は、その地形の効果により、アジアモンスーンを世界でも類を見ない強い季節風と雨季をもたらしている。東アジアでは、チベット高原の北側に吹く乾いた空気とのあいだに梅雨前線を形成して雨をもたらす。
冬は、チベット高原が北極地域からシベリアで形成される寒気団を堰き止める役割を果たすため、シベリアからの寒気は、東アジアの日本列島に吹き付け、さらに南下して、東南アジアからインド亜大陸の広い地域に乾季をもたらす。しかし、日本列島では、日本海を北上する対馬暖流のために、冷たく乾いたシベリアからの北西季節風は、水蒸気をもらって湿潤で不安定な大気へと変質し、雪雲を発達させて日本海側に大量の雪を降らせるいっぽう、太平洋側は、山を越えて空っ風となるという、極めて対照的な気候をもたらしている(安成、2018)。
照葉樹林文化とブナ林文化-日本列島の風土の二つの基層
夏には西南日本を中心に蒸し暑さと雨をもたらし、冬には東北日本を中心に寒さと雪をもたらすアジアモンスーンは、日本列島の植生(森林)分布を決めている。それが常緑広葉樹を中心とする照葉樹林(暖温帯林)であり、ブナ・ナラなどの落葉広葉樹に代表される冷温帯林である。照葉樹林は、ヒマラヤの麓から中国南部に拡がる湿潤亜熱帯のモンスーン気候帯に分布し、ブナ林は、冬の積雪の多いところに分布しており、冷涼な気候だけでなく冬季の積雪が十分な生育には必要とされている。
照葉樹林帯では、山地では焼畑農業がおこなわれ、平地では水田稲作が拡大した地域とも重なり、茶の栽培やウルシの利用なども含めた照葉樹林文化といわれる自然と文化の複合が形成された(上山編、1969)。山地では焼畑農業がおこなわれ、平地では水田稲作が拡大した地域とも重なっている。一方、氷期が終わった(完新世といわれる)1万年以降に、列島に大陸から移動して定住した縄文人はまず東北地方から中部地方のブナ・ナラ林帯に住みつき、狩猟や漁労と共に、クリやクルミ、トチなどの木の実の採集と、後期には、稗やアワを中心とする畑田の開墾をしつつ、縄文文化を拡げていった(市川、1987)。5~6千年前の気候温暖期には、日本列島の人口は、中部から関東および東北地方が西南日本よりはるかに多かったと推定されている(Koyama, 1978)。
弥生文化は、完新世の温暖な気候の下で、南西日本での水田稲作の発展とともに列島を北上するが、縄文時代から弥生時代の気候の寒冷化などで、これらふたつの自然・文化複合の地域分布は行きつ戻りつしつつ、あるいは中部日本で混ざり合い、古代日本人の風土を形成していくことになる。
水田稲作が西南日本から広がっていくと、収量のはるかに多い稲作が、収量の小さい畑ビエなどを圧迫していくことになり、弥生時代以降、西日本の人口が急激に増加していくことになる。やがて山城盆地を中心に、奈良・平安の都が築かれる頃には、ブナ・ナラ林文化は、東北・中部地方に限られた文化となっていった。
季語の起源と歴史
『古今集』などでみられる和歌に始まったとされる「季語」は、山城盆地に住む王朝貴族が平安以来約400年間の詩歌の歴史の中で培ってきた自然への感性のあり方から「本意」として示されてきた(宮坂、2009)。俳諧連歌から発句の季語は、その後、江戸時代の京・大坂・江戸などでの武家・町人文化の中でさらに広大な裾野をもつ「季語のピラミッド」を形成してきた。その頂点には、「花」「ほととぎす」「月」「紅葉」「雪」 などである。ただ、いずれも、(「月」を除いては)、山城盆地周辺の照葉樹林を中心といた景観にもとづいており、「雪」にしても、盆地周辺での少ない雪の美であり、決して日本海側の大雪ではなかった。シラネ・ハルオ氏によると、その結果、近代になると、季節をめぐる連想、調和、優雅さに重きを置く、和歌を基盤とする世界観だけが「日本人」の唯一の自然観とみなされ、自然環境を再創造しようとしたその他の多彩な視点は見逃されてしまった、と指摘する(シラネ、2001)。
近世の俳句を確立した松尾芭蕉は、このような都あるいは町を中心にした自然観に飽き足らず、「日々旅にして、旅を栖とす。」として旅を愛した。芭蕉にとって旅が意味したのは、まさに、新たな領域と言語を探求すべく不断に努力すること、そして詩的・文化的記憶の媒介者である自然や季節、風景に対するあらたな視点を常に探し求めることであった。
芭蕉は「おくのほそ道」で何を感じたのか
では芭蕉は「おくのほそ道」の旅では何を求めていたのか。さまざまな論考があるが、ここは、たとえば長谷川櫂氏の「芭蕉の風雅」(2015)を参照されたい。ただ、長谷川氏も指摘しているように、松島から平泉の旅で、芭蕉には、西行的な中世の「歌枕」を追う姿勢は消え、東北の荒々しい自然と文化そのものを感じ取る姿勢へのかなり大きな変化が見られた。 平泉で訪れた中尊寺は奥州藤原氏三代の栄華の史跡のなごりのあるところで、三代の遺体がミイラとして残されている。実は、これらの棺の中から、数多くの穀物が見つかっており、特にヒエが最も多かった。支配階級であったかれら自らがヒエを主食とした「ブナ帯文化」での生き方をしていることがわかっている。
「五月雨の降りのこしてや光堂」と、ここで詠んだが、芭蕉がそのことを感じたかどうかは、もちろんわからない。 ただ、「夏草や兵どもが夢の跡」は、松島まで追い求めてきた「風雅」の気風を転換させた句ともいえる。(宮坂静生、2009)。
これ以降、日本海側に続く「おくのほそ道」の旅には、西日本の照葉樹林文化にはない、もうひとつの日本の風土の基層である「ブナ帯文化」の世界を、芭蕉は感じとっていたのではないだろうか。
参考文献:
安成哲三「地球気候学」(2018)東京大学出版会 208頁
上山春平編「照葉樹林文化-日本文化の深層」(1969) 中公新書 208頁
市川健夫「ブナ帯と日本人」(1987) 講談社現代新書 204頁
宮坂静生「季語の誕生」(2009) 岩波新書 208頁
萩原恭男校注「芭蕉 おくのほそ道」(1979) 岩波文庫 290頁
ハルオ・シラネ「芭蕉の風景 文化の記憶」(2001) 角川書店 214頁
長谷川 櫂「芭蕉の風雅」(2015) 筑摩書房 237頁
句会報告 選者=長谷川櫂、安成哲三
◆ 長谷川櫂 選
【特選】
大寒や遥かに響く星のこゑ ももたなおよ
春田打つアジアの米を継ぐひとり 西川遊歩
大寒の夜を香らせて大吟醸 北側松太
冬帽子山に生まれて山に死す 趙栄順
等圧線崩れ崩れて春そこに 葛西美津子
【入選】
ものの芽や雨の匂ひの吉野ヶ里 川辺酸模
春遠からじあんぱんをはんぶんこ 葛西美津子
子となりて転げてみたし春の雪 上田雅子
寒の餅丸むや夫と競ひつつ 宮本みさ子
幻の卑弥呼の国か黄砂降る 川辺酸模
腰強きアジアの風や麦を踏む 葛西美津子
とくとくと紅の水冬木の芽 飛岡光枝
煮凝やジュラ期の何ぞ沈むやも 吉安友子
つちふるやアジア大陸一跨ぎ 川辺酸模
重なりて水に沈みぬ寒の餅 宮本みさ子
雪解風北極星が濡れてゐる 趙栄順
色の無き庭の片隅冬薔薇 手塚清子
ばらばらと白き霰や夢の中 上松美智子
モンスーン鶯笛を鳴らしけり 村松二本
衛星ひまはり春月をよぎりけり 葛西美津子
色の無い夢を見るのか寒鴉 湯川晶月
打ち寄せる波より白き白魚かな 上田忠雄
荒東風や船底叩く波の音 川辺酸模
大寒の渚を濡れぬやうにゆく 宮本みさ子
春近しすぐに汚るるガラス窓 金澤道子
校正の赤ペン起こす寒気かな 西川遊歩
甘噛みの猫と暮らすや毛糸玉 遠藤みや子
米を撒く老人来たり寒雀 田中益美
春近し波すれすれを鳥の群 金澤道子
◆ 安成哲三 選
【特選】
春田打つアジアの米を継ぐひとり 西川遊歩
日向ぼこ留守居頼むと猫に言う 遠藤みや子
寒天干す蒼穹更に深めけり 吉安友子
雪重たし雪重たしと越の春 葛西美津子
春夕焼消えて重力地に戻る 中丸佳音
【入選】
赤道のひかり纏いて小鳥来る 金丸由美子
有明の海の濁りも春隣 上田忠雄
この国の湿気豊潤おぼろ月 西川遊歩
しんしんと音を閉じ込め滝凍る 吉安友子
腰強きアジアの風や麦を踏む 葛西美津子
大寒や剃り跡青き僧の列 湯川晶月
オリオンの恋しき地球青きかな 越智淳子
雪を漕ぐ深閑とした森の中 高橋慧
縁側に春待つこころ置いて来し 北側松太
初鰤の半額を買ふ夕餉かな 森川ヨシ子
荒東風や欠航告げる掲示板 川辺酸模
麦の芽に除染袋の影届く 宮本みさ子
雪の原貴婦人のごと一樹立つ 高橋慧