リレーエッセイ020 原爆、原発、風化させない決意 藤 英樹
今年もまた八月六日の広島忌、九日の長崎忌の「原爆忌」がめぐってくる。ただ、今年は様相が異なる。それは三月十一日の東日本大震災があり、いまも終息しない原発放射能汚染の問題があるからだ。両日の平和記念式典には死に体の首相も出席して何か気の利いたことを言うだろう。そんな話はどうでもいいが、われわれ国民一人一人の鎮魂の思いは、例年になく深いものにならざるを得ない。
私が勤めている東京新聞ではもうずいぶん前から、広島忌、長崎忌や八月十五日の敗戦忌に合わせて「語り継ぐ戦争」をテーマに、二十代の若い記者が第二次世界大戦を体験した人々を訪ね、じっくりと話を聞き、その記事を署名入りで社会面に大きく掲載することを続けている。取材相手は、南太平洋や中国の前線へ兵士として送られ、仲間の多くを失いながら辛くも生き残った人々であり、東京大空襲や沖縄戦の地獄をくぐり抜けてきた人々である。もちろん原爆で肉親を失い放射能禍の後遺症に今も苦しむ人々もいる。
なぜこうした取材を続けるかといえば、戦争の体験者が年を追うごとに高齢化し、次々と亡くなっていくからである。時は非情だ、待ってくれない。語られ記憶されるべき貴重な体験談は時のかなたに消え去り、後には戦争を知らない世代だけが残る。そうなれば、また戦争の誘惑にかられるだろう。歴史を見れば明らかだ。人間は愚かであり、無知ほど恐ろしいことはない。
そう考えると、今回の原発放射能汚染も、これから何十年も語られ続けなければならないのである。津波で破壊され、放射能で汚染された町の復興は少しずつ進むだろう。同時に人々の記憶は薄れていく。やがて体験者はいなくなり、津波や原発の恐ろしさも忘れ去られ、新しく誕生する世代によってまた一見まっとうな理屈がつけられ、もとの木阿弥のごとく原発が各地に建設されることになるやもしれない。
今年の原爆忌は、原発放射能汚染の恐ろしさを風化させない決意、そのための未来図を考える機会となるはずだ。(季語歳理事 写真=さるすべり)
