リレーエッセイ023 秋彼岸 中野津久夫
雲高く風の香も変わり、蝉の鳴き声も物悲しく感じられる気持よい日であった。
ポニーテールの大柄な少女が仔犬を抱えて歩いてくる。Y村行きの乗合バスは駅前停車場からもう出発の時刻で、バスの運転手は水呑場から顔を洗って戻ってきた。
「駄目だよ、犬なんて」運転手が振りかえりざまに言った。運転席のすぐ後ろにいた私は、少女の翳りのある大きな目を見ていた。少女はバスのタラップに立ったまま踏みとどまっている。仔犬は少女の胸の中で鼻を鳴らしていた。運転手は大袈裟に身を乗り出して「他人に迷惑でしょ」と言った。「しっかり抱いていますから」臆して少女は言った。十人ばかりの乗客たちは黙っている。少女は降りようとはせず運転手の顔を見ている。「どこまで行くの」。「Y村です」。Y村と聞いて運転手は顔を前方に向けて自動ドアを閉めた。そして身体を左右に振らしてハンドルを大きく廻した。バスはゆっくり出発した。少女はよろめきながら、私の真向かいの座席に腰をおろした。Y村には日に二便しかバスが通らない。このバスを逃すと途中下車して、四キロの峠道を歩かなければならない限界集落なのだ。
少女の丈の長い白いワンピースに納得がいった。明らかに妊娠している体形だった。少女ではなかったのだ。
仔犬には首環がない。隣にいた老婆が話しかけた。「もらい犬かね」「はい」間延びのない返事が聞えた。それからしばらくしてまた老婆は何か話しかけた。彼女は答えている。母子センターに検診に行ったら、不用犬が針金に縛られていて、可哀そうだったから貰ってきたというのだった。
バスが山の差合にかかったとき、「Y村は盆地で、雪のいっぱい降るとこだ。お前さん、よう決心なさったねぇ」と老婆は言った。「でも、雪、大好きですから」彼女は笑ったような顔で言った。老婆の笑いに私も思わずつられて笑った。
私はポニーテールをはずした長い髪を美しいと思いながらY村の手前で下車した。(季語歳理事 写真=箱根仙石原の芒)
