リレーエッセイ043 夏至 大塚哲也
古来中国で太陰暦と四季の周期にずれが生じて、農作業に不便であったことから、太陽の動きによって導入されたものが二十四節気である。
夏至はその一つである。だから、「夏至」の頃の気候は、古来より現在に至るまで変わらない。例えば正月の気候が、古来の人と現代の人では1ヵ月間ずれているのとは異なる。そう考えると、時空を超えた大きな流れの中に、自分が「存在」するのだということに気がつく。
さて、この時季の夕方は暮れなずむ西の空に対して、東からは無遠慮に夜空が押し寄せる。その「我慢」にも似た明るい西空が、瞬く間に夜空になるといった自然の「勢い」を感じる。大気の状態も関係しているのだが、例えば飛行機雲はほどけないまま夜となる。しかし、「夏至」という季題としての本意は昼の長さであり、つまり太陽だ。
先日、吉田修一さんの『太陽は動かない』(幻冬舎)という小説を読んだ。主人公は産業スパイ。舞台は日本と中国。政治家や大学教授、電機メーカー取締役、銀行頭取など、様々な思惑が交差するのは最新テクノロジーを駆使した太陽光発電だ。電力問題を抱える日本の現状を考えると、この小説のように油田開発には見向きもせず、太陽光発電に向かっていく世界が何ともうらやましく感じた。
そういえば、5月21日には金環日食が観測された。私も観測グラスを購入し、通勤途中車を路肩へ止めて観測した。
日食の最中の暗さは何とも幻想的で、太陽の存在感を感じた。つまり、私たちの生活、いや命は、太陽抜きでは考えられない。古代より太陽神を崇め奉っていたことがその証拠である。火力や水力、原子力に電気という力を頂戴していた我々が、また太陽からの力を頂戴する時代が来たようだ。
実はこの8月に第1子が生まれる。その子らの未来はいかに。私たちのするべきことはただひとつ。安全に、安心して古代からの時空に乗せてあげることだ。そしていつか、その子らも自分の「存在」に気がつくだろう。(きごさいスタッフ、写真=金環食)
