NHK視点論点 子どもの俳句/2014_01_28
一月の下旬の季語と歳時記の会の長谷川代表が、NHKのEテレ「視点論点」で子どもの俳句について、話をしました。以下に、その内容を再録、掲載いたしますので、お読みください。
——-
日本人は子どもからお年寄りまで、詠もうと思えば誰でも俳句が詠めます。ほかの国ではふつう詩人しか詩を詠まないので、誰もが潜在的な俳人である日本はちょっと珍しい国であるということになります。
今日は日本中で毎日たくさん詠まれている俳句の中から子どもたちの俳句をみながらその可能性と問題点を探ってみたいと思います。
さっそく子どもたちが詠んだ俳句をみてみましょう。
きょうりゅうはほねしかなくてすずしそう
内田 蓮(小2)
これは小学二年生の内田蓮君の俳句です。恐竜展に展示してある恐竜の骨を見て涼しそうだなあと思った、その感想を俳句にしています。「ほねしかなくてすずしそう」なんて、大人もびっくりする俳句ができました。
次の俳句は小学三年生の山本咲良さんの作品です。
せんぷうきあああああああおおおおお
山本咲良(小3)
これは扇風機に顔を近づけて声を出しているところです。扇風機の羽からはねかえってくる変な声をそのまま俳句にしています。こんな俳句は大人には絶対できません。
このような子どもたちの俳句のどこが素晴らしいのか、一言でいうなら、それは大人が思いつかない天才的な「きらめき」があるということです。
さて、子どもの俳句はどうあるべきか。どんな句が子どもの俳句としていい句なのか。現実に即していうと、子どもの俳句指導はどういうふうにしたらいいのか。
この問題は数年前に小学校で俳句の授業がはじまってから、急に切実な問題として浮びあがってきました。現にこの問題でいちばん真剣に悩んでいるのは教室で子どもたちに俳句を教えている先生方だろうと思います。
しかし、この問題は先生方だけでなく、俳句に関心のある人ならだれでも一度は考えておいたほうがいい問題です。
というのは「子どもの俳句はどうあるべきか」という問題は、すぐ「大人の俳句はどうあるべきか」という問題になって返ってくるからです。
「子どもの俳句はどうあるべきか」という問題については、これまで大きく分けて二つの考え方が対立してきました。
その一つは「子どもの俳句は子どもらしくあるべきだ」というものです。この考え方は子ども時代に対する大人の郷愁から生まれてきたように思われます。それは「子どものころはよかった」、「今の子どもたちも自分たち大人が子どもだったころのように子どもらしくあってほしい」という大人の身勝手な願い以外の何物でもありません。
この考え方をとると、子どもに大人の理想とする子ども像を押しつけることになり、子どもの姿を見失う恐れがあります。現実の子どもは大人同様、悩みもあれば苦しみも抱えています。いじめの問題をみてもわかるとおり、ときには残酷であり、醜い存在になることもあります。
一方「子どもも大人のような俳句を作るべきだ」という考え方があります。この考え方は「子どもより大人は優れている」「子どもは不完全な人間である」という大人の自惚れにもとづいていると思われます。「子どもは大人の予備軍であり、やがてみな完全な大人に成長しなくてはいけない」と考えるわけです。
私はこのどちらの考え方も間違っていると考えています。かりに「子どもの俳句は子どもらしければいい」ということになると、そんな子どもらしいだけの俳句はすぐ忘れ去られてしまうでしょう。
一方、子どもたちに大人の俳句のまねをさせるのは、子どもたちのもつ「きらめき」を殺してしまいかねません。
では、どんな俳句が子どもの俳句としていいのか。子どもの俳句は次の二つの資質をかねそなえていなければなりません。
まずひとつは、子どもにしか作れない俳句であることです。子どもの「きらめき」を持っている俳句です。
俳句は年を取るほどいい句ができるわけではありません。それぞれの年代にそれぞれの「きらめき」があります。大人しかできない俳句があるように、子どもしかできない俳句があるということです。
そしてもうひとつは、子どもだけおもしろいのでなく、大人にとってもおもしろい俳句であることです。子ども、大人という世代の区分を越えてみんなが感動できる俳句でなくてはなりません。
たとえば、こんな句です。
カレンダーいちまいぜんぶなつやすみ
武田泰輝(小5)
八月がまるごと休みであることが嬉しくてたまらないという句です。それを「カレンダーいちまいぜんぶ」と具体的な形にしたところがおもしろい。
水でっぽううらぎらないとつまんない
古川 豪(小5)
たしかに水鉄砲は前にいる敵にだけ水をかけるんじゃなく、ときにはバッと振り向いて味方にもかけるのがおもしろい。でも大人は「うらぎらないとつまんない」とはなかなか人前でいえません。
冬の日はずうっと風がたびしてる
中山乃維(小5)
この句の作者は一日中、吹いている凩の音を聞きながら、風という旅人の姿を想像したのです。見えないものを見ているわけです。
焼き芋をわれば光があふれてる
石原景太(小6)
焼き芋を割ると、断面がつやつやと黄金色に輝いています。それを断面から光があふれてくるといっています。「光があふれてる」という言葉から「おいしそうだなあ」「食べたいなあ」という気持ちがあふれています。
着膨れやチャック開けるとまたチャック
住吉愛子(小5)
重ね着した洋服のチャックを開けるとまたチャックがあるという句です。長い廊下の扉を開くとまた扉があるというのは童話などによく出てくる場面ですが、作者はその場面を思い浮かべたのかもしれません。
私はこれまで大人の俳句ばかりでなく、幼稚園児から大学生までの俳句の選をしてきました。最近は子どもが俳句を作るための手引きとして『こども歳時記』を編集する企画にもかかわってきました。
その経験からいうと、おもしろい俳句をたくさん作るのは小学校中学年の四年生、五年生です。十歳前後になりますが、日本語の使い方にも慣れてきて、いろんな言葉を使うのがおもしろくて仕方がない年ごろです。
それよりも若い小学校低学年になると、言葉の使い方にまだ慣れていないところがあります。小学校高学年から中学生以上になると、だんだん大人のような俳句をつくるようになり、逆に子どもの「きらめき」は失われていくようです。そうなると、大人というものは逆に「きらめきを失くした子ども」であるということもできます。
今日は子どもの俳句をいくつかを紹介しましたが、「きらめきを失くした子ども」である私たち大人は、子どもの句に大いに学ぶところがあるのではないでしょうか。
