8月 きごさい+報告 「祈りや願い 落雁に込めて」
8月13日(土)第26回きごさい+がズームで開催されました。講師は、きごさい+ではおなじみの株式会社虎屋・虎屋文庫主席研究員の中山圭子さん。中山さんの講座は今回で6回目、1回から4回は春夏秋冬それぞれの季節の和菓子について、昨年は羊羹のお話、そして今回のテーマは「祈りや願い、落雁に込めて」でした。
講座 レポート
私が「落雁」と聞いて思い浮かべるのは、仏事のお供えの菓子や和三盆などの小さい干菓子など。どうして落雁という名前? どこまでを落雁というの? 中山さんの明快で親しみやすい語り口に、落雁の存在と魅力をあらためて認識した。
〇落雁とは、その歴史
落雁は米・麦・大豆・小豆などの粉に砂糖・水飴などを混ぜ、型に詰め、打ち出したもの(和三盆のみのものも広い意味で落雁に含まれる)。干菓子の一種で、押物・打物・はくせんこ・粉菓子など、地域によって呼び名も様々という。
後陽成天皇(在位1586~1611)が献上された落雁を見て「白山の雪より高き菓子の名は四方の千里に落つる雁かな」と詠んだという逸話があるという。白い生地に胡麻を散らした菓子を、白砂に雁が落ちてくる景に見立てるとは、なんて優雅で風流。
その後、元禄年間(1688~1704)には木型に米粉(道明寺)と砂糖を詰めて打ち出す落雁が作られ、天保年間(1830~44)には、紀州徳川家と尾張徳川家との間で落雁の贈答例があるように、木型職人、菓子職人の技術が芸術の域にまで上がり、落雁文化、菓子文化の爛熟期を迎えた。和歌山の名所を表した細密で絵画のような、30㌢×40㌢もの落雁も作られたという。
一方、江戸時代、庶民にも落雁は広まり、贈答や見舞いなどに使われた。時代が下ってからも、式典や行事にふさわしい意匠の落雁が記念品や贈答品として盛んに作られた。驚いたのは戦時中に戦意高揚の落雁が作られたことだ。出征する兵士にはなむけとしても贈られたという。画面には、日章旗や「帝国萬歳」の文字が書かれた弾丸の意匠の木型が映し出された。菓子にまでプロパガンダか、と思ったが、中山さんは、戦場では、落雁をポケットに忍ばせ、飢えをしのいだ人もいたでしょうか、としんみり話された。
戦後、昭和30~40年代に冷蔵庫が普及する前までは、冠婚葬祭の折、魚介などの生ものの代用に落雁を使用することが少なくなかった。引き出物の鯛の落雁などは大きく、また日持ちもするので、家族で少しずつ大事に食べたものだった。
その後は、ライフスタイルや嗜好に合わなくなったのか、大きな落雁は特注以外にほとんど作られなくなり、茶席に使う干菓子のような小さいものが主流となっている。
〇落雁を作る道具、菓子木型
様々な文化が花開いた江戸時代。落雁文化、菓子文化その一つだが、菓子木型の卓越したデザインと木型を彫る職人の技術がそれを支えた。形も意匠(モチーフ)も多種多様で創造性があり、画面で紹介された木型も打ち出された落雁も美術品のようだ。意匠は桜や梅、菊など植物が多いが、動物、名所の風景、能の演目まで、そのデザインと彫りは絵画のようで芸術性が高い。アジアやヨーロッパでも菓子を作るための木型は見られるが、日本ほど多種多様ではないという。
そんなすばらしい日本の木型も、戦時中は燃料として軍に供出したという。お寺の鐘などの供出は聞いたことがあるが、燃料として木型を供出とは愕然とする。木型の価値を知り、大切にしていた菓子屋にとってつらいことだったろう。悲しい歴史だ。
前述のように、昭和後期頃より大ぶりの落雁が次第に作られなくなり、今や木型職人も減って、全国でも数えるほどとのこと。
落雁の存在が薄れてきたことにより、木型のすばらしさ、木型に見る日本の伝統美が忘れられていくのは残念、現代に合った落雁文化の伝承や木型の楽しみ方はないだろうか、と中山さんは情熱をこめて話された。
木型の展示情報も画面で紹介された。さまざまな木型を和紙で写し取った永田哲也氏のオブジェの画像は圧巻だった。ぜひ展示を見に行きたい。
木型関連展示情報
金沢市…らくがん文庫(諸江屋)・金沢菓子木型美術館(森八)
高松市…香川県伝統工芸士(木型職人) 市原吉博氏のショールーム(要予約)
東京…永田哲也氏「和菓紙」 アンダーズ 東京(虎ノ門)のエレベーター内
オークションや骨董市に古い木型が出される例も
〇参加者から
講座の後、全国から、海外ではタイからの参加者も交えトークの時間となり、参加者から落雁の思い出が次々と。「今の洗練された落雁(干菓子)は好きだが、子どもの頃に食べた大きい落雁は苦手だった」「昔は学校の記念行事で紅白の落雁が配られていた」「甘いものに飢えていたからありがたく美味しくいただいた」などなど。苦手だったという人も含め、落雁について皆さん懐かしそうに話される。
ぼんやりしたイメージしかない落雁だったが、落雁の歴史から木型の芸術性まで、中山さんのわかりやすく熱のこもったお話に充実した時間だった。また、子どもの頃の記憶や、戦争を含めた時代の変遷を思う深いお話でもあった。折しもお盆の最中、77回目の終戦の日を前に、「祈りや願い、落雁に込めて」は参加者の心に強く響いた。
追記:参加者のお一人からメールをいただいた。「中山さんが話されていた岡山の木型職人さんの木型で、友人が香合を作っています。その職人さんに香合を見せたら、もっといろいろな香合を作ってみて、とまた違う木型を渡されたそうです。木型の利用方法が広がって、木型が維持出来れば、と中山さんも仰ってましたね」と。 (葛西美津子記)
〇虎屋文庫とは
昭和48年(1973)に創設された株式会社虎屋の「菓子資料室」。虎屋歴代の古文書や古器物を収蔵するほか、和菓子に関する資料収集、調査研究を行い、展示活動、機関誌『和菓子』の発行(年1回)、ホームページを通じ、和菓子情報を発信している。資料の閲覧機能はないが、お客様からのご質問にはできるだけお応えしている。
書籍:『和菓子を愛した人たち』 山川出版社(2017年)、『ようかん』 新潮社(2019年)
〇菓子関係展示情報
大阪歴史博物館 「和菓子、いとおかし‐大阪と菓子のこれまでと今‐」 ~9月4日(月)
とらや赤坂ギャラリー 「かき氷大百科展」 ~9月25日(日)
とらや東京ミッドタウン店ギャラリー
「華麗なる有田 ラグジュアリーの歴史 そして現代展」~8月30日(火)
「お米と和菓子」9月2日(金)~2023年1月11日(水)
句会報告 選者=長谷川櫂、中山圭子
◆ 長谷川櫂 選
【特選】
原爆忌鳩のかたちの干菓子かな 金澤道子
菓子こそは平和のあかし八月来 澤田美那子
落雁を手に笑まひけり生身魂 齋藤嘉子
落雁の鶴舞ひ降りて百寿かな 上田雅子
落雁や命すずしく老い賜ふ 飛岡光枝
【入選】
落雁の茄子や瓢や月を待つ 飛岡光枝
電柱に話しかけたき案山子かな 佐藤森恵
落雁や天高く嫁うつくしく イーブン美奈子
人も国も貧しき頃や麦こがし 上田雅子
さはあれどこの世愛しく夕涼み イーブン美奈子
麨もなつかしからん苧殻箸 澤田美那子
初秋の風のいろなる干菓子かな 金澤道子
新涼や鯛の落雁ざらざらす 宮本みさ子
落雁の大鯛秋を撥ね上げて 上村幸三
落雁のからくれなゐや生身魂 飛岡光枝
にぎやかに落雁添へん盆の棚 齋藤嘉子
子がまねて練るはつたいや夏休み 葛西美津子
遊びけりはつたい粉飴ポケットに 齋藤嘉子
◆ 中山圭子 選
【特選】
余るほどの余生にあらず麦こがし 上村幸三
蜻蛉にけふ新しき風の道 藤原智子
露草のしぼむに惜しき青さかな 田中益美
落雁の鶴舞ひ降りて百寿かな 上田雅子
落つ雁の見立ての菓子や盆供へ 喜田りえこ
【入選】
原爆忌鳩のかたちの干菓子かな 金澤道子
花園の如く落雁盂蘭盆会 澤田美那子
山峡の闇艶めくや虫送り 曽根崇
落雁や口中に秋くづれゆく 上村幸三
落雁を懐紙にふたつ秋日和 斉藤真知子
八月や残りわづかの砂時計 佐藤森恵
麦こがし茶わんも噎せてゐるやうな 葛西美津子
落雁のやさしき甘さ夏負けて 金澤道子
祝ひ唄自慢の祖母や麦こがし 長谷川冬虹