玉せせり(たませせり) 新年
【子季語】
玉せり祭/玉取祭/玉せり
【解説】
福岡市の筥崎宮で一月三日に行われる祭。「玉取祭」「玉競祭」ともいう。起源ははっきりしないが五百年くらい前の室町期に始まったとされている。午後一時、木製の陽玉(直径二十八センチで重さ八キロ)と陰玉(直径三十センチで重さ十一キロ)が本宮での玉洗い式で祓い清められた後、二百五十メートルほど離れた末社の玉取恵比寿神社に運ばれる。ここで陽玉の争奪戦が始まる。裸に締め込みの男の競り子たちが陸側と浜側に分かれて、水を浴びながら激しく奪い合う。玉に触れると悪事災難に遭わないとされ、肩車に乗った競り子たちがくんずほぐれつ、最後に奪い取った側が本宮の楼門に立つ神職に手渡し、陽陰両玉が再び揃って神事は終わる。陸側が渡せばその年は豊作に、浜側が渡せば豊漁になるとされている。
玉の由来は定かでないが、一説には筥崎宮の祭神である神功皇后の三韓征伐の際、龍神の捧げた満珠(海水につけると水を満ちさせるという珠)と干珠(海水につけると水を干上がらせるという珠)にあやかったとされる。ほかにも海上に浮かぶ二つの玉を人が見つけて、筥崎宮に奉納したという説もある。