水俣忌(みなまたき)晩春
【解説】
水俣病は戦後、熊本県水俣市の窒素水俣工場が排出した有機水銀廃液によって付近一帯で発生した公害病である。やりたい放題の企業活動がどれほどの悲劇をもたらすか世界中に警鐘を鳴らすことになった。水俣忌は「水俣病公式発見の日」である5月1日がその日。水俣市では毎年二つの慰霊行事が開かれる。1つは市主催の犠牲者慰霊式、1つは水俣病1次訴訟の勝訴原告らが作る水俣病互助会の乙女塚慰霊祭である。人間はいうまでもなく、病や動物実験の犠牲となったネコもカラスも魚も蟹も貝もプランクトンも「生きとし生けるすべての命」を悼む地球規模の季語である。昭和40年には新潟県の阿賀野川流域では昭和電工(レゾナック・ホールディングス)の有機水銀廃液によって第2の水俣病が発生している。
【例句】
のさりとは悲しき言葉水俣忌
加藤裕子
かきいだくわが子は菩薩水俣忌
きだりえこ
宝子を抱く母老いぬ水俣忌
近藤沙羅
水俣忌見えざる闇を阿賀野川
高橋 慧
椿累々海の底まで水俣忌
長谷川櫂