「HAIKU+」③阪西敦子さん
3「花鳥諷詠の誤算 ふたたび開く他者への視線」 阪西敦子
スピーカーの皆さんが「今、何が問題か」という演題のなかで、何らかの形で定義されることについて反対の立場でテーマを設定した。それは今、定義されがちであるという風潮が俳句の中にあると言えるのではないか。
その中で私も、「花鳥諷詠」について、それは俳句と定義づけるものとしてではなく、俳句が本来持っている自由さを再び取り戻すためのものとしてお話しする。
辞書を参照すると「花鳥」と「諷詠」は以下のこと。
花鳥…花と鳥。 花鳥風月…風流の対象として眺められる自然界の景観。
諷詠…風流を目的として、詩や歌などを作る・吟じること(例:花鳥諷詠)(新明解国語辞典より)
一方で、「花鳥諷詠」は高濱虚子が唱えたこととして知られているが、まず「花鳥」について虚子自身はこう解釈している。「風流とか風雅とか花鳥風月とかいう意味の言葉はたくさん世間に存在しておりますが、花鳥諷詠ということ―それは再びいうが、春夏秋冬の移り変わりによって起こってくる自然界、人事界の現象をいうのであります。このことはくどいようであるが繰り返していっておかないと誤解を受けるおそれがあります。ただ花と鳥とを詠うという意味ではない、花鳥という二字によって四季の移り変わりのあらゆる現象を代表さした言葉なのであります―(俳句読本)」。虚子が「花鳥諷詠」という言葉を唱えるのは昭和の初めのことで、これはそんなに年数の立たない頃の記述である。この時点ですでに誤解へのおそれを言っている通り、「花鳥諷詠」はその後さまざまの、虚子にすれば誤解、一般的に言えばさまざまの解釈をされる。俳句について人間の社会活動を排除するものである、古典の世界にばかり回帰したものであるなどなど、それは花鳥という響き、諷詠という響きによるもの。おもに俳句を縛り、現状を反映しないものとして捉えられてきたように思う。つまり、提唱者である虚子がこの時点ですでに危惧していることに加え、ひとつひとつの語彙のバックヤードよりはそのイメージが先行する時代となった。ここに虚子の命名に置ける大いなる誤算があったと言える。
では、本当は何を言いたかったのか。「花鳥諷詠」の類語として取り上げられる「有季定型」と比較する。「有季定型」とは、(季節感のある)季語・季題を含み、(17音前後からなる)定型の形をとること、そしてその条件を満たしている句のこと。つまり一応の完成をみたものについて言われる言葉で、ほぼ一目でそれかどうかがわかる。対して「花鳥諷詠」は実は主に句を作ろうとする際の方向性、どんな風に俳句を作ろうかということについて述べていて、出来上がった作品について用いられる場合は、その方向を取って作られた句ということ。花鳥諷詠句かどうかは、つまるところ本人にしかわからない。
では、花鳥諷詠とは具体的にどういうふうに俳句を作ってゆくことか。まず、さきほどの「花鳥」について、虚子はさらに詳しくこう述べる。「季題と申しまして、春夏秋冬の種々の現象」「単に風景を詠ずるというのではなく、その主眼とするところは、春夏秋冬の移り変わりによって起こってくる自然界・人事界の現象」である。つまり季題とはなんらかの季節感や伝統的な情緒を指し示すものではなく、春夏秋冬の移り変わりによって起こる変化・事象が季題とする。これはちょっとした視点の違いだが、季語を定義されたものとして捉えるか、あるいは春夏秋冬の時の流れの中の現象と捉えるかでは、その働きがおのずと違ってくる。前者は示唆的であり、後者は個別具体的かつ一回性のもの。
これはわたしの推察だけれども、虚子が歳時記から「時候」「天文」「生活」「行事」「動物」「植物」などの区分けを取り去ったのは、季語が季節のサインではなく、時の運行のなかでの変化の現象と捉えるこの俳句観・季題観とも呼応しているのではないか。
さらに「堕落時代になりますと、自然現象の観察ということにはとにかくお留守になって、自然現象はごくありふれたものですまして置いて、ただ作者の感情で綾を付けるということが主になるという傾きが顕著」「自然現象を疎かにして自己の感情にのみ依頼し、小主観を詠えば事が足りるという傾向になりたがる」と警鐘も鳴らす。「その酷暑厳寒の時分にあっても、(中略)その暑さを諷詠し、その寒さを諷詠する、すなわち襲いくる暑さ寒さはこれをどうする事も出来ない、ただ、あるがごとくあるという観念が根底にあります」。つまりすこし単純に言えば、これは、自分の感情や思い込みなどは出来る限り排し、時のうつろいのように不可逆なもの、不可避のもの、不可抗力のものを描くということ、自分の思惑の及ばないものを句の中に取り込むことを唱える。
「諷詠」については「調子を整えること」、加えて、「題詠」について述べるなかでこのように言っている。「たとえば秋雨という題をとり出します。秋雨は薄暗い淋しいものだ、また小寒い悲しいものだ、ひとつその感じを句にしようとすると、とかく千篇一律なものになり、すでにいいふるされたものを繰り返すことになります。(中略)それよりも、かって自分の遭遇した秋雨の景色、並びにその秋雨の下にあった出来事を回想して見て、すなわち頭のうちで秋雨の景色の中をさまよってみて作るのであります。頭のうちで秋雨の景色の中をさまよってみて、ある景色を十七字に纏めて見ようと試みます。どうしても十七字になりません。その場合は止めます。他の景色に移ります。その景色を十七字に纏めて見ようと試みます。どうしても十七字になりません。その場合は止めます」つまり、諷詠というのはまずは十七音の形を取りそうなものを句の内容に据えるということ。
まとめると、花鳥諷詠では、作者の願う景色ではなく、動かしがたい季題の事実が句の骨格となり、その中から俳句を切り出すのは十七音というボリュームであって、ともに作者の意図ではない。作者に与えられた選択の余地を限りなく放棄してゆくことによって、作者を新たな地平へ連れ出す俳句のありかたである(「瞑想ではとても想像のつかぬ自然が目に映ってまいるものであります」)。自分の主観や見立てではなく、外部、あるいは自分の思惑の外である季題から発想し句とすることで、自分が自分を縛るコントロールから解き放たれるための「花鳥諷詠」について提案した。
<関根千方レポート③>
阪西さんは、日本最大の結社であるホトトギスに七歳から所属する俳人です。通念に従えば、有季定型の保守派の中心ということになり、鴇田さんが「教育的な論理」をふりかざして俳句を定義する側の人を代表しているように見えてしまいます。
ところが、阪西さんはホトトギスの創始者である虚子自身がいかに批評性を持っていたか、また固定化しがちになる見方に対して警鐘を鳴らしていたかを、虚子自身の言葉を引いて説明します。
例えば、虚子は「花鳥諷詠」について《春夏秋冬四時の移り変りに依って起る自然界の現象、並にそれに伴う人事界の現象を諷詠するの謂であります》といっています。昭和十年の『俳句読本』にある言葉です。さらに虚子はそこで、世間ではそこに気の付かない人が多いから、誤解がないように繰り返し述べておかなければならないともいっています。つまり、この時点で既に誤解があったということです。その誤解とは「人間の社会活動を排除している」「古典の世界だけに回帰している」「俳句を縛り現状をとらえてない」といった誤解です。
誤解される理由として、阪西さんは「花鳥」という言葉のイメージ(古くささ)によるところが大きいのではないかといいます。そもそも「花鳥諷詠」は虚子の造語であり、新しい言葉です(昭和三年)。まず、虚子自身が述べているように、本来、花鳥諷詠とは自然界に限らず、人事界のあらゆる事象を諷詠するものであり、人間社会、また現代社会を排除しているわけではありません。だから、命名の失敗があったのではなないかというのです。
たしかに虚子の言葉を読んでみると、阪西さんのいう通り、虚子の「花鳥」とは芭蕉の「乾坤の変」とそう遠いものではないことがわかります。もしかすると、虚子は芭蕉の「乾坤の変は風雅の種なり」という言葉を「花鳥諷詠」という言葉にしただけなのかもしれません。
さらに、阪西さんは「花鳥諷詠」と混同しやすい言葉として「有季定型」という言葉をとりあげます。「有季定型」とは出来上がった作品についていうものであり、「花鳥諷詠」とは異なります。「諷詠」とはあくまで作句のときの姿勢、方向性を指し示すことだというのです。
例えば〈桐一葉日当たりながら落ちにけり〉という虚子の句でよく知られている「桐一葉」という季語は、周知の通り、淮南子の説山訓にある〈一葉落ちて天下の秋を知る〉から来た言葉です。もちろん季語になっています。しかし、単に秋を指し示すサイン(記号)として句に入っているわけではなく、実際に秋になって落ちてくる目の前の事物それ自体を詠んでいるのだというのです。つまり「桐一葉」は古典をふまえている言葉ではありますが、「諷詠」の世界は目の前の他者の動きだというわけです。
さらに、阪西さんはこうもいいます。自分の思い込みや感情は排除し、時の移ろいのようにもどらないもの、自分の力ではどうにもならないもの、自分が予測し得ないものをこそ俳句に取り込むこと、つまり「小主観」の外部にある他者の動きに則して詠むこと、それが「花鳥諷詠」なのだと。つまり、「花鳥諷詠」とは俳句を定義づけるものではなく、自由さを得る、もっというと、一回性に触れるための姿勢だというのです。
阪西さんが、虚子の言葉を通して言いたいのは、俳句を縛るものは定義や教義ではなくて、実は詠み手の「小主観」だということでしょう。
タイトルで「誤算」といっているのは、虚子が警告を出していたにもかかわらず、実際は警告が無視され、さらには虚子が退けようとしたものに自身がさせられてしまったということです。
たしかに虚子にとって「花鳥」とは「一回性」や「他者性」の象徴であったのかもしれません。しかし、それが失われたとき「花鳥」はたちまち形骸に変わってしまう。鴇田さんが批判されているのは、このように形骸化された花鳥の論理であって、これは虚子の時代から相変わらず議論がすれ違い続けているところではないかと思います。虚子自身がやっていた議論が、未だに続いていることに驚きを感じざるを得ません。
もう一つ、「客観写生」という言葉もあります。阪西さんは、これは「努力目標」だといいます。虚子自身も客観などになりようがないと述べているそうです。いずれにしても、「花鳥諷詠」も「客観写生」も、ホトトギスの俳人の口から、ここまではっきり通念をくつがえす話がされたのは、めずらしいことではないでしょうか。
さらに、麒麟さんの主張とつなげていうと、おそらく虚子が力を入れた「ホトトギス雑詠集」もまた長く一般の人にまで読まれたアンソロジーであったと言えます。虚子は「選は創作である」と述べただけのことはあります。もっというと、虚子はアンソロジーのみならず、俳句の市場を作ったことでも、評価されてもいいように思います。
