谷口智行さんのHAIKU+ 概要
現在ご活躍中の俳人・俳句研究者をお迎えして、俳句の未来を考えるHAIKU+
第7回は、俳句会「運河」主宰の谷口智行さんをお迎えして、11/23オンラインで開催されました。
谷口智行さんから当日のご講演の概要をいただきましたのでご覧ください。
季語と暮らし
谷口智行(運河・里)
僕は郷土史家でも歴史学者でもありません。熊野という地の一生活者です。人々との出会いや暮しの中から僕自身、日々「熊野」を学んでいます。
本講演では、そうした日常における四季の移ろい、生活の中に溶けこんだ「季語」の豊かな世界、風土の上に展開される暮しとその背景について、師や仲間の句を提示しながら拙論を述べてゆきたい。
新年
●歯固(はがため)
正月三箇日、鏡餅・猪・鹿・押鮎・大根・瓜などを食べる新年行事。
歯固にこは陳ものの猪の肉 茨木和生
●初うらら
正月の穏やかな好天に万象が輝くさま。
日の歌をうたふに海の初うらゝ 松瀬青々
年よりも若いと言はれ初麗 茨木和生
相伝の山当ての山初うらら 智行
●福(ふく)藁(わら)
正月の神を祀っている間、不浄を取り払うため家の門口に新しい藁を敷いたもの。「ふくさ藁」とも。
ふくさ藁敷きたる家も村になし 茨木和生
●井(せい)華(くわ)水(すい)
立春の日の早朝に初めて汲む水。後、元旦に汲むようになった。一年の邪気を除くとされる。若水。
固まりし筆先ほぐす井華水 畑下信子
春
●大逆忌(たいぎやくき)
一月二十四日。「大逆事件」で処刑された医師・大石誠之助の忌日。一九一〇(明治四十三)年、多数の社会主義者・無政府主義者が明治天皇暗殺計画の容疑者として逮捕。二十六名が大逆罪で起訴。翌年、幸徳秋水、大石誠之助ら十二名が処刑された事件。
渦巻けるうしほのけぶり大逆忌 智行
大逆忌近し蒼天続きをり 中村盛春
●お灯(とう)祭(まつり) 子季語:上り子、火祭
立春を二日ほど過ぎた二月六日の夜、神倉神社で催行。
上り子の滑落リボン流るるやう 智行
隠国のこの闇にして火の祭 松根久雄
火となりて走る男やお燈祭 平松竈馬
●西ようず
ようずは雨催いの生ぬるい南風のこと。西から吹いてくるときは「西ようず」。近畿、中国、四国地方の言葉。
海底は沈木の森西ようず 智行
●後架(こうか)虻(あぶ)
ミズアブ科。体が細く黒色で腹に白紋がある。便所やごみ箱付近に見られ、幼虫は汚物を食する。便所蜂とも。
深吉野のこは珍しき後架虻 茨木和生
●酒(さか)星(ぼし)
獅子座の右下に三つ並んで見える星を酒屋の旗とみた中国名。李白の漢詩「月下独酌」の「天若し酒を愛さざれば酒星天に在らじ。地若し酒を愛さざれば地まさに酒泉なからん」で有名。
酒星をこれと示せる人をらず 茨木和生
閑話休題①
*甘(あま)潮(じほ)
海水の濃度が低くなること。特に伊勢湾の深くは甘潮になり、石蓴などが育ち、旨味があるという。
甘潮に育つ石蓴の旨みかな 石橋山野子
*付子(つけこ)
鶯や頰白などの鳴き声の良い鳥の傍に同類の鳥を付けておき、その音色を習わせること。また、その付けておく鳴き方の未熟な鳥をいう。
鳥籠の付子四代目日脚伸ぶ 山内節子
*坪枯(つぼが)れ
浮塵子などの生息密度が高い圃場が枯れること。
稲刈機坪枯れ区別せず進む 山口哲夫
*パッカー車
パッカー車はごみ収集車のこと。「詰め込む」を意味する「Pack」由来の和製英語である。
短夜や銀座を走るパッカー車 大久保 樹
*ターレー車
ターレー車は円筒状の動力部が前方に付いた三輪の運搬車。
露しとど築地市場のターレー車 たなか 游
夏
●豆回(まめまは)し
鵤の別名。春から夏にかけて日本に渡来。木の実を口に含んで回しながら割る習性により、「豆転がし」「豆うまし」「豆割り」とも。
豆回し来鳴ける日差し若菜摘む 山内節子
●山(やま)虎魚(をこぜ)
「山虎魚」は細長くて珍しい煙管貝などを指すことが多い。海の神が山中のそれを欲しがると考え、漁民は呪物として尊んだ。本態は地域によってさまざま。
熊本県…山中の湿潤な沢にいる油(あ)身魚(ぶらめ)
高知県…山螺(やまにし)(山の田螺の意?)
岩手県…山野の湿地に棲息する細長い巻貝の一種
宮崎県…鹿の耳朶の割れて変化したもの。
鼬、蝮、毛虫などを指す場合もある。
山虎魚こんなところに隠れをる 芳野正王
●杜(と)仲(ちゆう)若葉(わかば)
杜仲はトチュウ目トチュウ科を構成する唯一の種。現在、中国原産の一種類しか存在しない。
恐竜期生き来し杜仲若葉かな 田中久幸
●毒(どく)瓶(びん)
昆虫採集に用いる容器。薬品を染み込ませた脱脂綿などとともに昆虫を入れ、あとで標本作成を行う。
少年が来る毒瓶を首に吊り 茨木和生
●飯(めし)笊(ざる)
竹で編んだ飯櫃のこと。飯籠。夏は飯が饐えやすいので風通しを良くしておく必要がある。
飯笊や昏き水屋の夕の風 木村蝸牛
●集(あつ)め汁(じる)
端午の節句に食す汁物。邪気を払う。大根、牛蒡、芋、豆腐、竹の子、干魚などを一緒に煮込み、味噌汁またはすまし汁にしたもの。
夕厨冷めたる集め汁啜る 木村蝸牛
●小いとゞ忌(白紙忌(はくしき))
平松小いとゞは大正五年生まれ。昭和十九年六月七日逝去。享年二十七。新宮市出身。父・平松竈馬(「熊野」主宰)の影響の下、高濱虛子に師事、時にユーモアを交え、繊細で家庭的な温もりを持つ作風。京大法学部進学後は京大ホトトギス会を牽引。戦争で繰り上げ卒業後出兵、中国河南省で敵軍の銃弾に斃れた。
紙白く書き遺すべき手あたゝむ 小いとゞ
の作品は出兵に際しての遺書とも取れ、命日は「白紙忌」と名付けられた。戦地ではこう詠んだ。
緑蔭より銃眼嚇と吾を狙ふ 小いとゞ
弟・故平松三平氏(元「かつらぎ」同人)の庭には、
水仙黄母に似し妻もたまほし 小いとゞ
の句碑がある。
白紙忌や荒れまどひせる波の音 智行
小いとゞのかの緑蔭と違へども
●晒(さらし)鯨(くぢら)
鯨の尾羽毛や皮を薄く切り、熱湯をかけて脂肪分を除き、冷水に晒したもの。
晒鯨ちちははが居て夫が居て 松井トシ
●山あげ・はりか山
栃木県那須烏山市の夏祭。日本一の移動野外歌舞伎。「山揚げ」の「山」は「はりか山」のことで、網代状に竹を組んだ木枠に烏山特産の和紙を貼ったもの。
平畑静塔は昭和五十一年「野州烏山夏祭」で、
山揚にまことの雲も道具立 静塔
として句集『漁歌』に採りあげ、「山あげ」を初めて夏祭の一種、季語として詠んだ。後に(季語にならないことに気づき)、昭和五十六年には季語を別に入れて句集『矢素』に発表。
山揚にかみなりは須佐之男の声 静塔
驟雨もろともはりか山たたみけり 本郷をさむ
柝を入れて山揚げの夏はじまれり
●海亀(うみがめ)
交換す紀の海亀と猪を 智行
●群青忌(ぐんじやうき)
水原秋櫻子の忌日、七月十七日。「滝落ちて群青世界とどろけり 秋櫻子」から。
群青忌那智火祭の余韻あり 松山睦子
閑話休題②
*洞(うろ)
槁木の洞雷鳴をとよもせる 智行
*焼け石・鳴沢
焼け石は火に焼いた石。鳴沢は激流や落石で鳴動する渓谷。
焼け岩の鳴沢なせる山の火事 智行
*墓嫁入り
味噌搗いて墓嫁入りはせぬといふ 智行
*皆地(みなち)笠(がさ)
和歌山県知事指定の伝統工芸品。 源平の戦に敗れ、熊野に隠れ住んだ平家の公達は紀州の良質の檜材を使った笠を編み出し、これが熊野詣の人々に愛用された。身分の高低に関係なく広く愛用されたため「貴賎(きせん)笠(ぼ)」とも称される。
皆地笠土用隠れの鮎を追ふ 松山睦子
秋
●餞暑(せんしよ)
餞(はなむけ)の暑さ。残暑、残る暑さ、秋暑し、秋暑。
六波羅へ餞暑の町を抜け来たる 塩見道子
●芋(いも)水車(すいしや)
水車式芋洗い器。小型の水車の中に入れた芋を、川や水路の岸に軸を渡した水車を回す。
大川に芋水車掛け見せ呉れし 大久保和子
●田(た)五(うこ)加(ぎ)
キク科の一年草。田や畔、水田、湿地などに生える。丈は一m近くにも及ぶ。筒状花の黄色の花を枝先につける。実は扁平で二本のトゲを持ち歯のような形をしている。
九体寺の田五加の付き易きこと 矢野典子
●施餓鬼(せがき)幡(ばた)
施餓鬼の法会で使われる「緑・黄・赤・白・紫」の五色の幡。「幡」は旗、色紙。五如来の御名が記され、その力により心身が清められ、餓鬼道への恐怖が除かれるとした。
施餓鬼幡外し忘れて寺眠る 杉山 睦
●十七夜(じふしちや)
立待月。旧暦八月十七日の月、また新月から十七日目の月。月が現れるのは日没から一時間四十分後。
機首の灯や夜戸出に待てる十七夜 吉川美登里
●小田刈(をだかり)月(づき)
陰暦九月の異称。田の稲を刈りとる月の意。
神輿行く小田刈月の畦踏みて 松村幸代
●臀呫(となめ)の蜻蛉(とんぼ)
「臀呫」は蜻蛉の雌雄が交尾しながら輪になって飛ぶ様。「臀」は「おしり」「(物の)底」の意。「呫」の音読みは「チョウ・ショウ」、意味は「すする」「なめる」「ささやく」「はなす・しゃべる」。
血洗池に臀呫のとんぼ冬ぬくし 宇田多香子
●鹿(しか)
牡鹿(をが)の角月の光をかへしけり 智行
恋の牡鹿角の股数鳴くといふ
ぞんぶんに楤の芽喰うて角落す
●星(ほし)糞(くそ)
ふんだんに星糞浴びて秋津島 智行
●健次(けんじ)の忌
小説家。昭和二十一年生まれ。平成四年八月十二日没。享年四十六。和歌山県新宮市生まれ。新宿でのフーテン生活の後、羽田空港などで肉体労働に従事しながら作家修行。昭和五十一年『岬』で第七十四回芥川賞を受賞。紀伊半島を舞台にした数々の小説を描き、独特の土着的な作品世界を作り上げた。
新宮をぐるぐる回り健次の忌 智行
健次忌の新宮高校後輩われ
かの路地を知る人なけん健次の忌
冬
●寝(ね)べら
瀬戸内海のべらは海水温度が下がると砂に籠って越冬する。冬季は夜間に驚くほど潮が干く。「寝べら獲り」は砂に籠っているべらを鍬で搔き出して採取する。
火を点けて砂を搔きをる寝べら獲り 芳野正王
●叩(たた)き網(あみ)漁(れふ)
福井県若狭町三方(みかた)湖(こ)で四百年以上続く伝統の網漁。「かち網漁」。冬、青竹で水面を叩いて湖底に潜む魚(主に鯉や鮒)を驚かせ、仕掛けた刺網に追い込む。
若州のたたき網漁寒に入る 勝山純二
●鱶晒(ふかさらし)
鱶(=鮫)の刺身を熱湯に通して冷水に晒したもの。鱶さらし食べて不器男を偲びけり 福田とも子
●鮫(さめ)膾(なます)・花の内
秋から冬が旬の味覚。正月や人の集まる席で食べる。青森県などの郷土料理。
花の内なるみちのくの鮫膾 松村富雄
●雪ずり
「雪垂り」「垂り雪」は枝からくずれ落ちる雪。屋根からどどどっと落ちるのは「雪ずり」。
どどどどと落つ雪ずりの二階より 西垣冨紀子
●帯解(おびとき)
十一月十五日、幼児の着物の付紐を取り、初めて帯を締める祝いの儀式。帯(おび)直(なほし)・紐解・紐直・紐落などの子季語がある。吉方に向けて子を立たせ、晴着に帯を結ぶ。氏神に詣り、親類などを招いて祝い膳をする。
帯解の昼の電車をはなやかに 福嶋 保
●干(ほし)秋刀魚(さんま)
鼻先に凍る血しづく干秋刀魚 智行
●干鱓(ほしうつぼ)
干うつぼ一夜に肛門(アヌス)開きけり 智行
●辰巳(たつみ)正月(しやうぐわつ)
新仏(あらぼとけ・しんぼとけ・にいぼとけ)を偲ぶ師走行事。十二月の辰の日の深夜から巳の日、または巳の日から午の日にかけて行う。この風習は四国、瀬戸内海の島々、とりわけ愛媛県の東予・中予地方に色濃く残っている。
はらからの辰巳正月餅配る 山田悦子
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季重なりについて
四季の移ろいの中で、ありのままの情景を写し、それを詠み込めば、季が重なることは当然有り得る。季重なりは「移ろいの妙」でもあり、決して不可侵の法則ではない。確かに、無思慮な季重なりは避けねばならないし、十七音しかない詩型に季重なりは勿体ない。
僕自身も季重なりを避ける工夫と努力をしている。しかしそのことだけに拘っていては、却って句が痩せてしまうこともある。無理やり一つの季語で詠むと、中身がスカスカになる場合もある。それを句の余白とは言わないだろうし、読み手の想像力がないとも言えない。
山あげについて
山あげは国の重要無形民俗文化財、ユネスコ無形遺産となっている。すでに国や世界が認めているということだ。平畑静塔、黒田杏子両氏も山揚げが夏の季語に定着することを望まれ、かねてより茨木和生「運河」名誉主宰もそのご意向であった。
「那須烏山市・山あげ俳句全国大会」の実行委員長・鈴木美江子さんの熱意に対し、長谷川櫂氏は「気長にたゆまず」と励まされ、「但し季重なりでは、歳時記に採りあげ難い」と話された。その通りだと思う。山あげを夏の独立季語として扱うなら、「他の季語は一切入れない」という覚悟が必要となってくる。現在はその移行期である。佳句を生み続けるしかない。
熊野について
熊野三山の聖地の興りは熊野川流域にある。上流の本宮と河口の速玉においてそれぞれ川の脅威を鎮める役割を果していたことが熊野信仰の出発点であり、自然への畏れがすべての始まりと言える。
熊野三山が一体化したのは平安時代末期の十一世紀頃であって、神々の時代から熊野三山があり、当初より三山が形成されていたとするのは歴史的事実と異なる。
六世紀に伝来した仏教が日本に普及していく過程で、次第に神道との融和が図られてゆく。その先駆けは奈良時代の役行者を開祖とする「修験道」である。
森羅万象に生命や神霊が宿るとする「アニミズム」と日本古来の「山岳信仰」が習合し、さらに中国の陰陽道、道教とも結びついた。修験道とは、自然との一体化による即身成仏を重視する日本独自の宗教、「日本仏教の一派」と定義付けられる。
聖地も時代とともに変遷してきた。
当初人々が徒歩で聖地を訪れるには、明日香の東に位置する多武(とうの)峰(みね)がせいぜいであり、吉野や熊野は最初から聖地ではなかった。聖地の変遷は、多武峰→吉野→熊野といった流れである。
交通手段のなかった当時、明日香の都人にとって吉野・熊野は地理的にも空間的にも彼らが認識できる範囲を超えていた。ことに「熊野」は都からは想像を絶する最遠の地であった。やがて貴人や庶民が、癒しと再生を求め熊野をめざしたが、熊野に暮す人々が癒されてきたわけではない。
長谷川櫂氏が対談の最後で「地の匂いのする講演でした」と仰って下さった。熊野では「地の匂い」と「血の匂い」は同義であることを再認識した。