5月20日、講師に明治大学理工学部教授 林ひふみ氏(ペンネーム新井一二三)をお迎えして「きごさい+」が開催されました。歴史の波に翻弄された台湾社会の複雑さや日本との関係を台湾映画の変遷から見る、というお話はとてもわかりやすく、エキサイティングでした。
林ひふみ氏から概要をいただきましたのでご覧ください。
台湾映画で最も有名な作品は、1989年にヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞を受賞した侯孝賢監督作品『悲情城市』です。また、世界の映画ファンの間で最も高く評価されている作品は、1991年のエドワード・ヤン監督作品『牯嶺街少年殺人事件』だと言っていいでしょう。どちらも台湾の歴史をテーマとする大作、傑作で、映画や台湾に関心のある方はぜひ機会をみつけてご覧になるといいと思います。この巨匠お二人はどちらも1947年に中国で生まれ、物心つく前に公務員の両親とともに台湾に渡り、中国の故郷と切り離されて成長した、いわゆる外省人(台湾以外の場所で生まれた人)です。
ただし、台湾で人気がある映画作品というと、話はまた別です。わかりやすい指標として興行収入の記録を見ても、ベスト10の中に両巨匠の作品は登場しません。時代が異なると、入場券の値段も異なるので、30年以上前の作品と近年の作品を比べるのは不公平かもしれません。けれども、先にあげた二作品は、どちらも近年デジタルリストア版で改めて一般上映されましたが、専門家筋の評価とは裏腹に、多くの人の関心を集めることはありませんでした。どこの国であっても、いわゆるアート作品と大勢の観客がつめかけるエンターテインメント作品では売上額が違うという現象は存在します。しかし、台湾の事情はもう少し複雑なのです。なぜなら、台湾は多言語の社会で、いわゆる標準語の中国語(北京語、近年では台湾華語とも呼ぶ)は、学校で第二言語として習得した人も多いからです。
2023年4月時点での、台湾映画の現地における興行収入額ベスト10を見てみると、1位に『海角七号:君想う国境の南』(2008)、2位と10位に『セデック・バレ』(2011)の前後編が入っています。両者はどちらも1969年に台湾の古都台南で生まれた魏德聖監督の作品で、加えるならば、第8位の『KANO』(2014年)のプロデュースをしたのも同じ魏德聖氏です。
内容は『海角七号』が60年を隔てた二つの時代の日本/台湾カップルの愛の行方、『セデック・バレ』は日本統治時代に台湾原住民地区で起きた抗日暴動と鎮圧の霧社事件を描いたものです。前者の使用言語は1945年の部分が日本語で、2000年代の部分は中国語と台湾語。後者は原住民のセデック語と、統治者・弾圧者の側の日本語。『KANO』は1931年に台湾代表として甲子園に出場した野球選手と監督の物語で、セリフは大部分が日本語で他には台湾語。全体として、現在台湾の公用語となっている中国語が使われている割合が目立って低い、とうことができます。
魏德聖監督は清朝時代から台湾で暮らしてきた台湾本省人家庭の出身で、母語は台湾語、周囲には日本統治時代に日本語を身につけた年配者も大勢いたようです。日本統治時代を背景とする作品を複数撮って成功させていますが、彼自身はあくまでも台湾の歴史に興味があり、民主化が実現した21世紀、ようやく自分たちの故郷、台湾に根ざした物語を撮ることができるようになった時代に居合わせた監督だと言うことができると思います。
ベストテン入りしている他の作品は、近年のラブコメ的なものが多いのですが、現在ではどの作品でも中国語と台湾語がごく自然にミックスした形で台詞に登場します。そして、この風潮を作り上げたのが、まさに魏德聖監督ということになります。
奇しくも、フランスでリュミエール兄弟が映画技術を発明、成功させた1894,95年に、日清戦争が起き、台湾は日本に割譲されました。そのため、1945年までの台湾映画は、日本人が日本語で撮った作品です。そのうちで、最も有名な作品は、太平洋戦争中に、かの李香蘭が台湾原住民の少女を演じた『サヨンの鐘』、制作は松竹と台湾総督府、満州映画協会です。
物語は台湾中央山脈に暮らす少女サヨンが、徴兵されて山を降りる日本人教師の荷物を運ぶうち、足を滑らせて川に転落して亡くなった、という実話に基づき、台湾原住民少女の愛国心を描いた、とされるものです。当時は中国人という触れ込みだった李香蘭(日本名山口淑子)は、作中で主題歌以外に『海行かば』『台湾軍の歌』などの軍歌を歌い、台湾原住民の若者たちが高砂義勇隊などに志願して、日本のために戦うことを促した宣伝映画でした。そのためだけではありませんが、4000人の若者が軍隊に行き、多くが亡くなっています。
台湾原住民は南太平洋の広い範囲に広がるオーストロネシア語族の言葉を話す人々です。中国からの移民が大規模に台湾へ渡り始めた1600年代以前、台湾は南太平洋の島だったのです。中国からの大量渡航は、大航海時代、東アジアの海にやってきたオランダ東インド会社が農業移民を募集したことから、始まったものです。
台湾海峡を挟んで西側は、中国の福建省および広東省の東北部沿岸です。そのため、1600年代から1945年まで、台湾の漢人(漢民族)は大部分が福建語および広東の客家語を話す人たちでした。いわゆる中国語である北京語が広がったのは、1945年以降、中華民国政権が台湾を接収してからのことです。
1945年、日本の敗戦後、台湾は中華民国の国民党政権に接収され、翌年から1949年まで続いた中国の内戦で、共産党軍が勝利。敗れた国民党政権は、軍隊、公務員、教員、財閥ら、計150万人ほどが台湾に渡りました。最初に紹介した侯孝賢、エドワード・ヤンは、どちらもまだ赤ん坊のうちに両親に連れられて台湾に渡った外省人で、彼らが撮った作品の多くは、中華民国の国語である中国語で、外省人の暮らしを切り取ったものです。『悲情城市』は台湾本省人家庭を舞台に、1945年から数年間の台湾史を描いたものですが、監督自身が外省人のコミュニティで育ち、歴史観も大きく影響を受けているために、今日に至るまで、歴史の描き方について、論争が絶えないのが実情です。
国民党政権は共産党との内戦が停戦状態のままであったことから、史上最長の戒厳令を、1949年から蒋経国が死の前年1987年に解除するまで、38年間に渡り敷き続けました。その間、台湾では言論の自由も思想信条の自由も認められず、学校、メディア、映画で、中国語以外を使用することは許されませんでした。侯孝賢、エドワード・ヤンら台湾ニューシネマと呼ばれた監督たちが登場した1980年代は、戒厳令時代から民主化への助走期間でした。本当に台湾語や客家語で語られる映画が撮られるようになったのは、21世紀に入ってから、つまり魏德聖の時代になってからなのです。『海角七号』と同じ2008年には、初めての客家語大作『一八九五』が公開されてもいます。
世界的に活躍するアン・リー監督は、外省人の教員であった父親のもと、台湾で生まれ育って、のちにアメリカに留学し、定住しています。彼が1993年に撮ったコメディ映画の『ウェディングバンケット』は、ゲイのカップルが主人公で、同性婚映画の先駆けとも言えるものです。翌年にはマレーシア生まれの華僑である蔡明亮が『愛情万歳』を皮切りに、同性愛映画を次々に発表し、特にフランスで高い評価を得ています。2002年作品で、高校生のさわやかな愛情と友情を描いた『藍色夏恋』も、後にカミングアウトする同性愛者の監督が撮ったもので、非常によい作品です。この映画でデビューした桂綸鎂が、その後二十年間、台湾のトップ女優の地位を保っています。2012年作品の『GF*BF』が興味深いのは、台湾の民主化を後押しした学生運動と、LGBTの権利との関係をはっきり描いていることです。つまり、同性婚などでLGBTの権利を擁護することは、台湾においては、明白に民主化の重要な一歩だと認識されています。
台湾は2019年に同性婚を合法化しましたが、その前後から、同性愛者と家族の関係を描く作品『親愛なる君へ』や『先に愛した人』が登場します。これらの映画は特に啓蒙的なものではありませんが、家族や社会における性的マイノリティの存在について考える手助けの役を果たしていると考えられます。同性婚の合法化は、2016年から民進党政権を女性の蔡英文総統が率いていることとも大きく関係しています。蔡総統は、同性婚の合法化が欧米諸国の台湾に対する評価を上げる、とはっきり確信してこの政策を進めたのです。
台湾映画界で女性監督が目立ってきたのは、つい近年のことです。2017年の作品、アニメ『幸福路のチー』は1975年生まれの台湾人女性が経てきた時代の変化を描いたもので、主人公のおばあちゃんとして台湾原住民が登場する点が画期的です。また2014年のひまわり学生運動を撮ったドキュメンタリーの『私たちの青春、台湾』は、台湾で新移民と呼ばれる、東南アジア出身の女性監督による作品です。
近年、ネットフリックスなどで配信される台湾映画『ひとつの太陽』『強くて弱い女たち』などは、普遍的なヒューマンドラマとして価値の高いものも多く見られます。2022年に台湾で公開され、日本でも24年に一般上映が予定されている『流麻溝15号(Untold herstory)は、これまでほとんど語られてこなかった白色テロ時代の女性政治犯について、事実をもとに製作された劇映画で、女性監督周美玲による作品です。この映画に関連して、「台湾社会にとって、映画とはすなわちアイデンティティの問題である」と書いたレビューを見ましたが、まさにその通りだと私にも思えます。
日本で一般公開される台湾映画の数はそれほど多くありませんが、テレビドラマをネット配給で見られるようになったことで、見えてくることもたくさんあります。『選挙の人々/Wave-makers』は民進党らしき政党で選挙に携わる女性たちを描き、興味深い場面もたくさん登場します。台湾の政治文化やジェンダー問題に関心のある方にもおすすめの作品です。
句会報告 選者=林ひふみ、趙栄順、長谷川櫂
◆ 林ひふみ 選
【特選】
外苑の森新緑ぞ万緑ぞ 奈良握
俤や日ごとに細る夏の月 上松美智子
阿里山の霧の晴れゆく茶摘うた 西川遊歩
牡丹や悲恋を歌ふ野外劇 飛岡光枝
【入選】
台中の震災遺構大夕立 村井好子
あめんばう水凹ませて水に立つ 金澤道子
ハイウエイ虹引き連れて空港へ イーブン美奈子
映画観て蜜豆食べて一人の贅 金澤道子
レースハンカチ指先にあそばせて 金澤道子
台湾の万葉集読む夏の夜 谷口正人
◆ 趙栄順 選
【特選】
外苑の森新緑ぞ万緑ぞ 奈良握
五月闇花の刺繍の靴はいて 飛岡光枝
麗しの島様々に風薫る 越智淳子
日本名の少女は母に紅はこべ 越智淳子
【入選】
麗しの島をはるかに新茶汲む 葛西美津子
花であることの強さよアマリリス 越智淳子
夏休観てはいけない映画観に 三玉一郎
五校時は映画鑑賞麦の秋 宮本みさ子
◆ 長谷川櫂 選
【特選】
とりどりの傘行き交ひぬ街白雨 村山恭子
麗しの島をはるかに新茶汲む 葛西美津子
反り返る屋根重なるや青嵐 飛岡光枝
白雨の熱冷めやらず椰子並木 足立心一
六甲の山気さわさわ新茶汲む 吉安とも子
海青く山又青き初夏台湾 趙栄順
【入選】
阿里山の霧の晴れゆく茶摘うた 西川遊歩
よく道を聞かれる日なり夏来る 村井好子
凍頂の花の香りの新茶かな 趙栄順
台北の空へランタン緑の夜 村山恭子
雲途切れ機窓に眩し初夏の海 山口伸一
目ざむれば湾いつぱいにヨットの帆 園田靖彦
五月闇花の刺繍の靴はいて 飛岡光枝
夏の空涙にかすむ字幕あり 三玉一郎
夏休観てはいけない映画観に 三玉一郎
梅雨寒やクラスごと入る映画館 宮本みさ子
台湾の万葉集読む夏の夜 谷口正人
エンドロール夏帽子膝の上 金澤道子
冷房や暗く孤独なキネマ席 宮本みさ子
大らかな台北句会生身魂 西川遊歩
蒸し上げて筵へ拡ぐ新茶かな 吉安とも子
映画とふ夢を観にゆく五月かな 三玉一郎