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7月29日(日)、中山圭子さんの「涼を呼ぶ夏の和菓子」

きごさいBASE 投稿日:2018年6月22日 作成者: gokoo2018年6月23日

第15回 きごさい+は、7月29日(日)、いつもの神奈川近代文学館で開きます。講師は虎屋文庫専門職の中山圭子さん。梅の和菓子、桜の和菓子と大好評の和菓子シリーズ。今年は第3弾「涼を呼ぶ夏の和菓子」がテーマです。前回に続き、虎屋の和菓子つきです(定員50名)。お茶は各自ご持参ください。

演 題 :涼を呼ぶ夏の和菓子
講 師:中山 圭子(虎屋文庫専門職)
略 歴:東京藝術大学美術学部芸術学科卒業。四季折々の和菓子のデザインの面白さにひかれて、卒論に「和菓子の意匠」を選ぶ。現在、和菓子製造販売の株式会社虎屋の資料室、虎屋文庫の専門職。著作に「事典 和菓子の世界 増補改訂版」(岩波書店)、「江戸時代の和菓子デザイン」(ポプラ社)、「和菓子のほん」(福音館書店)など。
<講師のひと言> 夏には葛粉や寒天などを使った透明感あふれる菓子が、ひんやりした食感もあって人気です。金魚や蛍、花火ほか夏の風物詩がモチーフになっているのも楽しいもの。おなじみの水羊羹やかき氷も含めて、夏の和菓子の魅力についてお話ししたいと思います。

日 時:2018年7月29日(日)13:30〜16:30(13:10 開場)
・13:30~14:30 講座
・14:50       投句締切(当季雑詠5句)
・14:50~16:30 句会

会 場:神奈川近代文学館、中会議室(横浜市、港の見える丘公園)〒231-0862 横浜市中区山手町110 TEL045-622-6666(みなとみらい線「元町・中華街駅」6番出口から徒歩1010分。http://www.kanabun.or.jp/guidance/access/

句 会:当季雑詠5句(選者=中山圭子、長谷川櫂)句会の参加は自由です。
参加費:きごさい正会員1,000円、非会員2,000円 虎屋和菓子つき、飲み物は各自ご持参ください。
申し込み:事前申込みの方には虎屋の和菓子を用意します。7/23(月)までにきごさいホームページ申し込み欄から、あるいは電話、FAX、でお申し込みください。申込みなしの当日参加もできますが、お菓子は申込者優先とさせていただきます。  きごさい事務局 TEL&FAX 0256-64-8333

「きごさい歳時記」独立しました

きごさいBASE 投稿日:2018年6月20日 作成者: gokoo2025年9月28日

きごさい(季語と歳時記の会)ホームページをご利用ありがとうございます。

このホームページは発足以来、インターネット歳時記とブログの2つの機能をともに果たしてきましたが、先週、インターネット歳時記が新たに「きごさい歳時記」として独立しました。

最近「きごさい歳時記」のアクセスが1000万件を超え、その後も毎日2万件近いご利用をいただいています。そこで、ご利用いただいている方々の使い勝手がもっとよくなるように、インターネット歳時記を分離し、独立させることになりました。従来の「きごさい歳時記」のアドレスでアクセスできます。

一方、従来のホームページは「きごさいBASE」と名前を改めました。こちらは今までどおりブログの役割を担当することになります。「きごさい」からのお知らせ、ご要望、お問い合わせの受付などはこの「きごさいBASE」で行います。こちらはアドレスが変わりましたので、新たにご登録くださいますようお願いします。

なお、「きごさいBASE」と「きごさい歳時記」どちらのサイトからも「リンク」の欄から行き来ができます。変更のためにご不便をおかけすることもあると思いますが、これまで以上のご利用をお待ちしています。ご不明の点は事務局へお問い合わせください。

「HAIKU+」④マブソン青眼

きごさいBASE 投稿日:2018年6月3日 作成者: dvx223272018年6月3日

4「今、俳句で表現の自由が問題である」 マブソン青眼

 第二次世界大戦以後、日本の俳人の多くは「檻」の中に閉じ込められていると、私は思う。その状況を象徴する一つの出来事を取り上げよう。2018年2月25日、長野県上田市にある「無言館」近くに「俳句弾圧不忘の碑」が除幕され、隣接する「檻の俳句館」が開館された。筆頭呼びかけ人は3名。金子兜太、窪島誠一郎(作家、「無言館」館主)と私・マブソン青眼。一般呼びかけ人は66名。世界的な学者、文化人等も含まれているが、たいてい日本の著名な俳人ほぼ全員が名を連ねている(https://showahaiku.exblog.jp/26417535/ を参照)。ただ、高浜虚子のご子孫を含むホトトギス系の先生方は、なぜか、依頼を送ったにも関わらず、ご返事が返って来なかったのである。
 兜太先生は除幕式に必ず出席すると、最後まで言って頂いた。2月上旬のご入院の際、ご子息から「無理かもしれない」との連絡があったが、それ以前に、碑の会の事務局として私は日本のすべての俳句総合誌や俳句団体に「金子先生は出席する」と記した招待状を送っていた。ご存知の通り、兜太師は惜しくも2月20日に亡くなられた。たった5日間、除幕式に間に合わなかった。しかし(皮肉にも、恩師の他界の影響で?)国内外の一般のマスコミ数十社も除幕式の取材に来て頂いた。全国版の東京新聞、中日新聞、朝日新聞、日経、共同通信(全国の地方紙)、AERA、信濃毎日新聞、フランスの「ルモンド」紙まで、写真付記事でこの除幕式を、金子兜太の反戦の遺志と関連付けて大きく取り上げて頂いた。しかし、日本の俳句総合誌は一誌も取材に来なかった。取り上げてもいない。
 兜太自身が何度も書いている通り、当時、反戦的もしくは反体制と思われる作品を作ったとして逮捕された俳人の横には、逆に軍部と能動的に協力していた多くの俳人もいた。そして、高浜虚子についていえば、戦時中ずっと情報局の役員として報酬を貰い続け、「日本文学報国会俳句部長」を務めていたのは事実である。そんな軍部によって沈黙を余儀なくされた若き俳人達は、当時、日本の俳壇の最先端にあった。戦後、その途切れた発展を取り戻そうとしたのは、まさに兜太だったといえよう。しかし、俳壇はすでに戦中に強化された虚子派の影響によって保守的な文芸に変わっていた。事実、桑原武夫が「第二芸術論」で主に批判したのは、虚子派の封建的な創作姿勢であった。しかし、それを真剣に受け止め、きちんと対抗しようとしたのは、案外、批判されていなかった、最も進歩的な「新俳句人連盟」や新興俳句の名残の俳人達だけである。例えば「創る自分」による「社会性俳句」のあるべき態度を論理化したのも、兜太である。しかし、そんな開放的な、自由な現代俳句をすすめようとする俳人や俳句総合誌は1960年代以降減り続き、3.11以後はさらに減ったといえよう。日本の俳壇は自ずと、戦時中に作った「檻」の中へと戻っているのではないか。兜太の他界以後の日本の俳壇は恐ろしいほど、閉鎖的・排他的なものになっていくのではないかと、私は深く危惧しているのだ。

<関根千方レポート④>
最後は、マブソン青眼さんによる「表現の自由」についての話です。

マブソンさんは交換留学で宇都宮高校に来て、図書館で芭蕉の英訳を読み、短い言葉なのに自由に物事が詠める俳句に魅了されます。帰国後、パリ大学で日本文学を学び、長野県の国際交流委員となります。仕事の傍ら一茶を研究。そこで、金子兜太さんと出会います。

西欧人から見れば、季語の便利さはわかっていても、例えば〈雪解けて村いっぱいの子どもかな〉という句の「雪解け」と「村いっぱいの子ども」という、本来結びつかないものの取り合わせには驚嘆するそうです。

転機は東日本大震災でした。福島原発事故が起こり、フランス大使館から、いつ蒸気爆発が起きてもおかしくない状況なので、早くフランスに帰ってくださいといわれます。妻子のチケットも用意されていたそうです。帰国すべきかどうか悩んでいるとき、KADOKAWAの雑誌「俳句」から被災地へのエールを送る俳句を依頼されます。マブソンさんはそこで、〈児の頬に遅春のなみだ放射能と〉という俳句を詠みました。

その後、マブソンさんは原発問題で感じたことを句に詠み、SNSなどでも脱原発に関するコメントを発信していきます。すると、俳句総合誌から月一回程度あった原稿依頼はほぼ途絶え、二年のはずの連載も一年半で終了となります。マブソンさんは自嘲的に、自分はそこからクールジャパンを讃える外国人ではなくなってしまったんだといいます。

そこからマブソンさんは「表現の自由」ということを考えるようになり、戦時中、治安維持法の下で起こった俳句弾圧事件について調べていきます。それは京大俳句のメンバーが検挙された事件を始め、戦争批判をおこなった俳人が次々と検挙、拘束され、十三人が懲役刑を受けた事件です。

嶋田青峰は、この事件の犠牲となった俳人の一人です。この碑にも句が刻まれているそうです。元々ホトトギスの虚子門下の俳人でしたが(昭和五年除名)、昭和初期から機関誌「土上」(どじょう)の主宰として、新興俳句運動の中心となっていきます。金子兜太さんは当時、この『土上』に属していて、青峰の指導を受けていたそうです。昭和十六年「『土上』に進歩的思想あり」という理由で検挙。留置所で肺結核を再発し、喀血。「土上」は廃刊。釈放から三年後、昭和十九年に青峰は亡くなります。

マブソンさんは長野県上田市に「俳句弾圧不忘の碑」の建立計画を進めます。金子兜太さんが、この碑の建立の筆頭呼びかけ人となり、国家が表現の自由を奪うことの恐ろしさを一緒に訴えてきました。碑の文字は兜太さんが揮毫。兜太さんは「除幕式には必ずいく」といっていたそうですが、残念ながら二月二〇日に亡くなってしまいました。除幕式はその五日後でした。

不思議なことに、俳句総合誌は一社も取材に来なかったそうです。フランスの新聞「ル・モンド」が取材に来ているのに。マブソンさんは今も同様に、言論の自由が奪われているといいます。しかも、戦時下のように上からの弾圧ではなく、下からの弾圧、つまり自分たちが自分で自由を奪っているのではないかと。

マブソンさんは、碑の隣に整備した「檻の俳句館」をぜひ見に来てほしいと訴えます。事件にあった俳人の作品を紹介するパネルが檻を付けて飾られているのだそうで、見る側の人が檻の内側にいるように思えてくる仕掛けになっているのだそうです。

最後のマブソンさんの話を聞いて、四人とも角度の違いはあれ、自由を奪う制度がどこにあるか、ということを考えさせられる話だったように思えてきました。麒麟さんは「市場原理」、鴇田さんは「教育論理」、阪西さんは「小主観」、そして、マブソンさんは「ファシズム」。

おそらく我々は、見えない言葉の監獄にいるのでしょう。俳句は批評性を持ちうるとしたら、もちろん詩もそうですが、いかにしてこの見えない言葉の監獄から出るか、その外部性をとりもどすかです。言葉の監獄の中にいるときは、そこが監獄であることに気づきません。例えば「時代精神」というものも、事後的に見れば見えてくるでしょうが、そのなかにいるときにはなかなか見えるものではありません。批評とは、言葉の監獄の外部を垣間見せるものです。我々自身を縛っている何かを感知させることを批評とするなら、この四人の作家はそれぞれの立場から、それを実践しようとしていることがわかります。

俳句に批評を取り戻す。なかなか容易なことはないかもしれませんが、今回のイベントは未来に向けて希望の持てるものになったのではないでしょうか。このイベントの続きが期待されます。

「HAIKU+」③阪西敦子さん

きごさいBASE 投稿日:2018年6月3日 作成者: dvx223272018年6月3日

3「花鳥諷詠の誤算 ふたたび開く他者への視線」 阪西敦子

スピーカーの皆さんが「今、何が問題か」という演題のなかで、何らかの形で定義されることについて反対の立場でテーマを設定した。それは今、定義されがちであるという風潮が俳句の中にあると言えるのではないか。
その中で私も、「花鳥諷詠」について、それは俳句と定義づけるものとしてではなく、俳句が本来持っている自由さを再び取り戻すためのものとしてお話しする。

辞書を参照すると「花鳥」と「諷詠」は以下のこと。
花鳥…花と鳥。 花鳥風月…風流の対象として眺められる自然界の景観。
諷詠…風流を目的として、詩や歌などを作る・吟じること(例:花鳥諷詠)(新明解国語辞典より)
一方で、「花鳥諷詠」は高濱虚子が唱えたこととして知られているが、まず「花鳥」について虚子自身はこう解釈している。「風流とか風雅とか花鳥風月とかいう意味の言葉はたくさん世間に存在しておりますが、花鳥諷詠ということ―それは再びいうが、春夏秋冬の移り変わりによって起こってくる自然界、人事界の現象をいうのであります。このことはくどいようであるが繰り返していっておかないと誤解を受けるおそれがあります。ただ花と鳥とを詠うという意味ではない、花鳥という二字によって四季の移り変わりのあらゆる現象を代表さした言葉なのであります―(俳句読本)」。虚子が「花鳥諷詠」という言葉を唱えるのは昭和の初めのことで、これはそんなに年数の立たない頃の記述である。この時点ですでに誤解へのおそれを言っている通り、「花鳥諷詠」はその後さまざまの、虚子にすれば誤解、一般的に言えばさまざまの解釈をされる。俳句について人間の社会活動を排除するものである、古典の世界にばかり回帰したものであるなどなど、それは花鳥という響き、諷詠という響きによるもの。おもに俳句を縛り、現状を反映しないものとして捉えられてきたように思う。つまり、提唱者である虚子がこの時点ですでに危惧していることに加え、ひとつひとつの語彙のバックヤードよりはそのイメージが先行する時代となった。ここに虚子の命名に置ける大いなる誤算があったと言える。
では、本当は何を言いたかったのか。「花鳥諷詠」の類語として取り上げられる「有季定型」と比較する。「有季定型」とは、(季節感のある)季語・季題を含み、(17音前後からなる)定型の形をとること、そしてその条件を満たしている句のこと。つまり一応の完成をみたものについて言われる言葉で、ほぼ一目でそれかどうかがわかる。対して「花鳥諷詠」は実は主に句を作ろうとする際の方向性、どんな風に俳句を作ろうかということについて述べていて、出来上がった作品について用いられる場合は、その方向を取って作られた句ということ。花鳥諷詠句かどうかは、つまるところ本人にしかわからない。
では、花鳥諷詠とは具体的にどういうふうに俳句を作ってゆくことか。まず、さきほどの「花鳥」について、虚子はさらに詳しくこう述べる。「季題と申しまして、春夏秋冬の種々の現象」「単に風景を詠ずるというのではなく、その主眼とするところは、春夏秋冬の移り変わりによって起こってくる自然界・人事界の現象」である。つまり季題とはなんらかの季節感や伝統的な情緒を指し示すものではなく、春夏秋冬の移り変わりによって起こる変化・事象が季題とする。これはちょっとした視点の違いだが、季語を定義されたものとして捉えるか、あるいは春夏秋冬の時の流れの中の現象と捉えるかでは、その働きがおのずと違ってくる。前者は示唆的であり、後者は個別具体的かつ一回性のもの。
これはわたしの推察だけれども、虚子が歳時記から「時候」「天文」「生活」「行事」「動物」「植物」などの区分けを取り去ったのは、季語が季節のサインではなく、時の運行のなかでの変化の現象と捉えるこの俳句観・季題観とも呼応しているのではないか。
さらに「堕落時代になりますと、自然現象の観察ということにはとにかくお留守になって、自然現象はごくありふれたものですまして置いて、ただ作者の感情で綾を付けるということが主になるという傾きが顕著」「自然現象を疎かにして自己の感情にのみ依頼し、小主観を詠えば事が足りるという傾向になりたがる」と警鐘も鳴らす。「その酷暑厳寒の時分にあっても、(中略)その暑さを諷詠し、その寒さを諷詠する、すなわち襲いくる暑さ寒さはこれをどうする事も出来ない、ただ、あるがごとくあるという観念が根底にあります」。つまりすこし単純に言えば、これは、自分の感情や思い込みなどは出来る限り排し、時のうつろいのように不可逆なもの、不可避のもの、不可抗力のものを描くということ、自分の思惑の及ばないものを句の中に取り込むことを唱える。
「諷詠」については「調子を整えること」、加えて、「題詠」について述べるなかでこのように言っている。「たとえば秋雨という題をとり出します。秋雨は薄暗い淋しいものだ、また小寒い悲しいものだ、ひとつその感じを句にしようとすると、とかく千篇一律なものになり、すでにいいふるされたものを繰り返すことになります。(中略)それよりも、かって自分の遭遇した秋雨の景色、並びにその秋雨の下にあった出来事を回想して見て、すなわち頭のうちで秋雨の景色の中をさまよってみて作るのであります。頭のうちで秋雨の景色の中をさまよってみて、ある景色を十七字に纏めて見ようと試みます。どうしても十七字になりません。その場合は止めます。他の景色に移ります。その景色を十七字に纏めて見ようと試みます。どうしても十七字になりません。その場合は止めます」つまり、諷詠というのはまずは十七音の形を取りそうなものを句の内容に据えるということ。
まとめると、花鳥諷詠では、作者の願う景色ではなく、動かしがたい季題の事実が句の骨格となり、その中から俳句を切り出すのは十七音というボリュームであって、ともに作者の意図ではない。作者に与えられた選択の余地を限りなく放棄してゆくことによって、作者を新たな地平へ連れ出す俳句のありかたである(「瞑想ではとても想像のつかぬ自然が目に映ってまいるものであります」)。自分の主観や見立てではなく、外部、あるいは自分の思惑の外である季題から発想し句とすることで、自分が自分を縛るコントロールから解き放たれるための「花鳥諷詠」について提案した。

<関根千方レポート③>
阪西さんは、日本最大の結社であるホトトギスに七歳から所属する俳人です。通念に従えば、有季定型の保守派の中心ということになり、鴇田さんが「教育的な論理」をふりかざして俳句を定義する側の人を代表しているように見えてしまいます。

ところが、阪西さんはホトトギスの創始者である虚子自身がいかに批評性を持っていたか、また固定化しがちになる見方に対して警鐘を鳴らしていたかを、虚子自身の言葉を引いて説明します。
例えば、虚子は「花鳥諷詠」について《春夏秋冬四時の移り変りに依って起る自然界の現象、並にそれに伴う人事界の現象を諷詠するの謂であります》といっています。昭和十年の『俳句読本』にある言葉です。さらに虚子はそこで、世間ではそこに気の付かない人が多いから、誤解がないように繰り返し述べておかなければならないともいっています。つまり、この時点で既に誤解があったということです。その誤解とは「人間の社会活動を排除している」「古典の世界だけに回帰している」「俳句を縛り現状をとらえてない」といった誤解です。

誤解される理由として、阪西さんは「花鳥」という言葉のイメージ(古くささ)によるところが大きいのではないかといいます。そもそも「花鳥諷詠」は虚子の造語であり、新しい言葉です(昭和三年)。まず、虚子自身が述べているように、本来、花鳥諷詠とは自然界に限らず、人事界のあらゆる事象を諷詠するものであり、人間社会、また現代社会を排除しているわけではありません。だから、命名の失敗があったのではなないかというのです。

たしかに虚子の言葉を読んでみると、阪西さんのいう通り、虚子の「花鳥」とは芭蕉の「乾坤の変」とそう遠いものではないことがわかります。もしかすると、虚子は芭蕉の「乾坤の変は風雅の種なり」という言葉を「花鳥諷詠」という言葉にしただけなのかもしれません。

さらに、阪西さんは「花鳥諷詠」と混同しやすい言葉として「有季定型」という言葉をとりあげます。「有季定型」とは出来上がった作品についていうものであり、「花鳥諷詠」とは異なります。「諷詠」とはあくまで作句のときの姿勢、方向性を指し示すことだというのです。

例えば〈桐一葉日当たりながら落ちにけり〉という虚子の句でよく知られている「桐一葉」という季語は、周知の通り、淮南子の説山訓にある〈一葉落ちて天下の秋を知る〉から来た言葉です。もちろん季語になっています。しかし、単に秋を指し示すサイン(記号)として句に入っているわけではなく、実際に秋になって落ちてくる目の前の事物それ自体を詠んでいるのだというのです。つまり「桐一葉」は古典をふまえている言葉ではありますが、「諷詠」の世界は目の前の他者の動きだというわけです。

さらに、阪西さんはこうもいいます。自分の思い込みや感情は排除し、時の移ろいのようにもどらないもの、自分の力ではどうにもならないもの、自分が予測し得ないものをこそ俳句に取り込むこと、つまり「小主観」の外部にある他者の動きに則して詠むこと、それが「花鳥諷詠」なのだと。つまり、「花鳥諷詠」とは俳句を定義づけるものではなく、自由さを得る、もっというと、一回性に触れるための姿勢だというのです。

阪西さんが、虚子の言葉を通して言いたいのは、俳句を縛るものは定義や教義ではなくて、実は詠み手の「小主観」だということでしょう。

タイトルで「誤算」といっているのは、虚子が警告を出していたにもかかわらず、実際は警告が無視され、さらには虚子が退けようとしたものに自身がさせられてしまったということです。

たしかに虚子にとって「花鳥」とは「一回性」や「他者性」の象徴であったのかもしれません。しかし、それが失われたとき「花鳥」はたちまち形骸に変わってしまう。鴇田さんが批判されているのは、このように形骸化された花鳥の論理であって、これは虚子の時代から相変わらず議論がすれ違い続けているところではないかと思います。虚子自身がやっていた議論が、未だに続いていることに驚きを感じざるを得ません。

もう一つ、「客観写生」という言葉もあります。阪西さんは、これは「努力目標」だといいます。虚子自身も客観などになりようがないと述べているそうです。いずれにしても、「花鳥諷詠」も「客観写生」も、ホトトギスの俳人の口から、ここまではっきり通念をくつがえす話がされたのは、めずらしいことではないでしょうか。

さらに、麒麟さんの主張とつなげていうと、おそらく虚子が力を入れた「ホトトギス雑詠集」もまた長く一般の人にまで読まれたアンソロジーであったと言えます。虚子は「選は創作である」と述べただけのことはあります。もっというと、虚子はアンソロジーのみならず、俳句の市場を作ったことでも、評価されてもいいように思います。

「HAIKU+」②鴇田智哉さん

きごさいBASE 投稿日:2018年6月3日 作成者: dvx223272018年6月3日

2「俳句を、教育的な言葉ではなく、語ろう」 鴇田智哉

作家が俳句について語ること、の大切さを最近思う。
たとえば私は今、俳句の可能性として、「中心のない俳句」に注目しています。

私はなぜ俳句にひかれるのか。俳句をやめないでいるのか。
それは、俳句の本質として、言葉にポエジーの生じる始まりの部分・最も小さい部分を見たい、という気持ちからだと思います。

まず、一つの思い出話をします。私の先生であった今井杏太郎との会話です。

咳をしても一人  尾崎放哉

この句について、杏太郎がこんなことを言いました。

「智哉君、この句の『も』とか、『一人』とかは、要らないよなあ。」

なぜ「も」や「一人」が要らないのか、私の記憶では、それが、句の内容として「甘ったれ」すぎるからである、ということでした。確かに、〝自分が一人であるから寂しいよ〟という思いが、見え見えのようなところがあるとは言えます。
私は杏太郎に、「では、もし、その句を直すとすれば、どうなりますか。」と聞いてみました。すると、

「究極は、『咳』ということになるだろう。季語だけが残るんだ。でも、それだと今度は物足りない。そこで、『咳をする』となる。いや、『咳をしてみる』がいいかな。」

と言ったのでした。

咳をしてみる

そのとき、私の頭に「ああっ」と閃くものがありました。なるほど。
「咳をする」では、たしかに淡泊すぎます。「咳をしてみる」となることで、生理現象である「咳」を、わざわざ意識的にする、というニュアンスが出ます。すると句に、〝寂しさ〟のメッセージが、ふっと入ってくることになるでしょう。私はずいぶんと納得し、杏太郎の言葉遣いのあり方に、とても感心したのでした。

考えてみればもちろん、読者がその感受性をフルに働かせれば、

咳

と一単語が書いてあるだけだって、感動できます。読者の感受性がフルなら、単語だけでも詩は立ち上がり得ます。たとえば、こんな句集はどうでしょう。
1ページ目をめくると、

古池

おおっー!
次のページには、

蛙

わおっ!
3ページ目をめくると、

咳

ぐっときたー! いい句ばっかりだなあ……(しみじみ)。
たとえばそんな句集、どこかおかしいですよね。読者がいつもそんなテンションでいることには、無理があるからです。そして気持ちが、麻痺してきます。悪い宗教みたいになってきます。

例えば「絵」だって、画面上に一点の汚れだけを付けて、「はい、作品です」って見せられたとして、見る人が、「うーん、いい絵だね」と涙を流す、そういう精神状態だって、ときにはあると思うんです。でも、それがいつもだとしたら、気持ちが麻痺しているのではないでしょうか。

では、最短のポエジーはどんなところに生じるでしょうか。
私はその答えの一つが先の

咳をしてみる

だと思っています。「咳」でもなく「咳をする」でもなく「咳をしてみる」。

陽へ病む   大橋裸木

なんていうのも、そうだと思います。私個人としては、これらの句を俳句と呼んでいいと思っています。

では、五七五とは何なんでしょうか。
詩が立ち上がりうる言葉の最短。それも、割とうまくいくことが多い、いちばん短い形が五七五、なのだとひとまず考えましょう、ということなのではないかと、私は思っています。
「咳をしてみる」とか「陽へ病む」などは例外と考え、「形式」として言葉にポエジーの生じやすい最短の形が五七五なのではないか、と私は思っています。

言葉を、もっともっと短くできるのかもしれないけれど、あまりに短すぎるのは落ち着かないので、不安過ぎるので、このくらいの長さでやりましょう、このくらいの長さに決めましょう、っていうのが俳句の五七五ではないかと思っています。
私は今、「考えましょう」「決めましょう」という言葉を使いました。「考えましょう」「決めましょう」、つまりそれが「定型」ということではないでしょうか。

このくらいの長さが気持ちいいですよね。ここでやってみませんか、という長さ。で実際、この長さでうまくいくことが多いから、この形式をやめずとどまる人が多いのではないでしょうか。作者、読者が気持ちを麻痺させずとも、面白がれる最小単位、その折り合いの付け方が、五七五の定型だと思います。

私の好きな作家に、高屋窓秋がいますが、彼は次のようなことを書いています。

「〝たとえば『短歌』これは、ぼくにとっては、『長すぎる』〟長ければ、なんでも詠える、というものでもあるまい。これは、ぼくの精神および肉体の生理上の問題であるかも知れない。そして、俳句という手頃な形式があったから、という理由ではさらさらない。長すぎるのが困るのだ」

「俳句という短小詩形の領域をどう考えているか、といえば、これも、ぼくの経験では、『十七音前後』が適当な言語量であって、それより長ければ『短歌』の領域、短かすぎれば十分な詩的機能を果たしえない、ということになる」

「〝人類の、最短詩への表現欲求は、永久になくならない〟」
(以上、窓秋の文章の引用は、ぬ書房『高屋窓秋全句集』所収の、「百句自註」より)

こういう窓秋の考え方には、私はかなり賛同しています。

本来ならここで、五七五における季語の働きの話をしなければならないのですが、今日は時間が限られているので、簡単に次のことだけを言っておきます。

有季の一句の中では、多くの場合、季語が浮き出て見える、ということ。一句の中において、或る一つの季語は、或る一かたまりの特殊な意味たちの集合体として、膨れて見えるということです。季語には、感受性の偏り、凝縮があります。俳句を、針金で作るアクセサリーにたとえるなら、針金の中に一個入れる宝石。それが季語だと言えるかもしれません。

そのうえで私は、有季の句において、いつも季語が宝石であるとは限らないと思っています。

さて、そこで話を進めます。私が今、俳句の可能性として考えている「中心のない俳句」についてです。
今言ったように、私は、有季の句(季語が入っている句)において、季語が必ず一句の中心でなけらばならない、とは考えていません。たとえば、私の句で恐縮ですが、

梟のこゑのうつむきかけてをり  智哉

この句は、季語が浮き出て見えるタイプですが、

見まはしてゆけばつめたい木の林  智哉

などは、必ずしも「つめたい」という季語が句の中心で、浮き出て見えるとは私は思いません。

さらに私は、俳句が有季でなければならない、とは思っておらず、無季の一句の中には、季語の代わりとなる言葉(「キーワード」とも呼ばれたりしています)、一句の中心となる言葉が、必ず必要だとも思っていません。

よく、無季の句というものが成り立つことへの説明として、無季の句には、季語の代わりに、句の中心となる言葉が入っているんだ、というのがあります。たとえば、

手品師の指いきいきと地下の街  西東三鬼

ならば、「手品師」が、そういう言葉でしょう。「地下の街」とも考えられますが、それは解釈の違いであって、「季語の代わりに、句の中心となる言葉」という考え方は変わりません。
「季語の代わりに、句の中心となる言葉」をもう少し詳しく言うなら、季語がそうであるように、句の中に並ぶ他の語とは違って、とびぬけて特別の意味を持つ言葉、本意としてとびぬけて豊かなシニフィエを持つ言葉、ということになるでしょうか。

風下にうすい瞼はありにけり   智哉

ならば「瞼」がそうでしょう。しかし、

回るほど後ろの見えてくる疾さ   智哉

という句。この句、中心があるでしょうか。無いですよね。この句ができたときに私は、無季で中心の無い句というものは、可能なのだと感じました。

特別な存在としての単語(季語・キーワード)が不在で、言葉と言葉の引っ張り合いだけがあるような句。そういう句があっていいのではないでしょうか。
別の例を一つ挙げます。

西日暮里から稲妻見えている健康  田島健一

という句があります。この句、たとえば、多くの俳句教育者は、「健康」はいらないな、と言うのではないでしょうか。あるいは、どうしても「健康」を言いたいなら、「西日暮里」はいらないな、と言うのではないでしょうか。
なぜか。それは多くの場合において、季語のほかに大きな言葉(それなりの強い意味をもつ言葉)は、一句の中にせいぜい一個でよい、という考え方がされているからです。あるいは、一句の中に「ひねり」は一回でよい、という言い方もされているかもしれません。
でも、教育は教育であって、俳句作品すべてにそれが適用されるとは限りません。この「西日暮里」の句、「健康」があることで面白くなっていると、私は思います。これはこれで、一句全体が動かしがたいバランスに保たれているのではないでしょうか。時間の関係で細かい解釈は省きますが、みなさん、どうでしょう。
作者はなぜここに「健康」を置いたのだろうかと考えるとき、私は、この作者は句の終わりにもう一個、錘を置きたかったのだと思うのです。「西日暮里から稲妻見えている」と来て、何を最後に置いたら効果的でしょうか。
私はこの句は、中心がずらされていくのを楽しむ句だと思っています。「西日暮里」→「稲妻」→「健康」。近景→遠景→超近景(自分)、とも言えます。でも、単にずらしだけを楽しむのではありません。近景→遠景→超近景(自分)、という循環の中で、地平、そして気象現象が、読者の身、へと循環してきます。私は、そういう固有の力学をこの句に感じます。

私の「回るほど」の句とは違うところがありますが、この句も、中心が無い句と言えるのではないでしょうか。二つの句はどちらも、中心の言葉をもたず、一句全体のバランスで成り立っている句と言えると思っています。違うのは、視点のありようや、一個一個の言葉の具体度です。「回るほど」の句が、細い針金と糸、紙でできたモビールだとすれば、「西日暮里」の句は鉄の棒と鎖と、重たい分銅とでできたオブジェと言えるかも、などと思っています。作者の田島さんがどう思うかはわかりませんが。
ただ、これだけは言えることは、作者は教育的バランスでこの句を作っている訳ではないということです。作者は、その句に固有の言葉の力学を見出してその句を提示している訳ですから、そこに、ある意味不器用な教育的物差しを当てて量ろうとしても、うまくいかない訳です。

という訳で、時間が来てしまいましたが、
私は俳句をこのように考えています、という話を今日はしました。
背景として、俳句を教育的な文脈だけで語ることへの疑問がありました。作家がもっと、自分の俳句のついてについてどう考えているかを語るべきだと、最近思っています。そう思うようになったきっかけとして、同人誌や勉強会などで、歌人や詩人の方などに触れたこともあります。

具体的には、最短詩としての俳句、中心の無い俳句、について話しました。中心の無い俳句については、私の中で最新の考え方であって、もう少し深く考えていけるかもしれませんし、実際私の最近の作品にそれが多いという訳ではありません。本当に中心が無いな、と思う句は(数えていませんが)数句だと思います。

最後に、一つ質問を受けましたので、お答えします。
質問は、私の言う「中心の無い俳句」とは、河東碧梧桐の「俳句無中心論」とは違うのか、というものです。

碧梧桐は、

雨の花野来しが母屋に長居せり  響也

という句を挙げ、この句に対する解釈が荻原井泉水と碧梧桐とで違っていると述べています。まず、井泉水の解釈は以下のようなものであったと、碧梧桐は書いています。

「この句を読むと何処となくゆったりした感じがする。母屋といえば普通天井の高い広々とした構えの家を想像する。そこで長居をしたというのであるから、腰を落着けた心持がする。夏野とか枯野とかいえば、他の聯想を生ずるが、花野の雨に濡れて来たというので、尚おゆったりした心持が出るように思う云々。」

これに対して、碧梧桐は以下のように述べています。

「井泉水はゆったりしたという明瞭な感じがこの句に現われておる点に興味を感ずるけれども、予にはさる明瞭な説明の出来る感じは毫も起らぬ。」
「予の興味を感ずる点は、さる感じに纏まる点ではない。雨中の花野を通って来て、離れの我家に帰るべきものが、母屋に立寄って長居をした、という事実其のものに存するのである。他の詞を以て言えば、一日の出来事の或る部分を取り出して、それを偽らずに叙したという所に興味を感ずるのである。即ち日記中の一節とさまで差異のない出来事が、花野という季題趣味を得て、興味を形づくっておる点を新らしいとするのである。」

そして、二人の解釈の違いのポイントを、碧梧桐は以下のように述べます。

「井泉水が『ゆったりした』という明瞭な限定した感じで、この句の解釈をしようとするのは、この句を従来の句と同じ取扱をしておるが為めではなかろうか。温かいとか、冷たいとか、大きいとか、雄壮だとかいう風に感じを一点に集めるのが、従来の句作の傾向であった。」
「感じを一点に纏める、何人にも普遍的に明瞭な限定した解釈が出来るようにする、ということを従来句に中心点があるというていた。若し中心点ということを、明瞭な限定した詞で現わされるものに限るとするならば、この句には中心点というものがないというてもよい。」

さらにこの、中心点がない、ということを、碧梧桐は演劇に引き合いに出して説明します。

「例を劇に借りて、歌舞伎芝居と壮士芝居と最近萌芽した社会劇の変化に就て一考を費して見る。歌舞伎芝居には先ず主人公を定める。事件の発端と波瀾と結末というものをきめる。それが定まらなければ芝居らしくないと考えられた時代の作物は、悉く同模型に出ておる。近松の心中物、黙阿弥の作の如き、事件に変化はあっても、事件の取扱が同法則に準じておる為め、どの脚本も略同じ刺戟を与うるのみである。且つ主人公、発端、結果等を限定する必要上、何処にか嘘らしい不自然な分子を含んで来る。つまり、主人公をきめ、事件の山を形づくる為めに、事実を犠牲にせねばならぬハメに陥るのである。俳句が中心点を作る為めに、自然を偽るに髣髴としておる。」

そして、事件の推移の不自然や、立廻りの形式のタテの不自然に対する不満足を充たすために、「柔道の乱取りに類したことを得意として見せ」る壮士芝居が生まれたが、それも「旧形式の大体を踏襲して部分的に自然に近づかしめた感があるに過ぎなかった」と述べ、「新俳句時代以後の我等の句は、歌舞伎劇から変化した壮士劇に類した観があったかと思う」と述べています。

こうした「不自然」なありようから脱するものとして、碧梧桐は当時自分が見た「近来の社会劇の脚本」を挙げます。

「近来の社会劇の脚本というても、予はゴーリキーの『どん底』というのを見たのみであるけれども、其形式が殆んど一変しておるのに驚かされたのである。第一に主人公というものがきまっていない。そうして事件の発端、波瀾、結末という明瞭な区劃がない。即ち従来の脚本の形式というものが全然破壊されておる。」
「換言すれば、自然に接近し得られるだけ接近した、自然を偽らざる叙法を生命としておる。予が今日主張する句は、之を社会劇に比して、劇と俳句の相違はあるとしても、何処にか類似の点を発見するのである。」
(以上、碧梧桐の文章の引用は、講談社学術文庫・夏石番矢『「俳句」百年の問い』所収の、大正四年六月刊『新傾向俳句の研究』原題〈無中心論〉籾山書店より)

簡単に言うと、碧梧桐の「俳句無中心論」は、自然現象や日常の風景を、人間の作為をもってまとめるのでなく、自然な形でとらえたい、まとまりがなくとも、複雑な自然を立体的にとらえたい、ということです。その根底にあるのは、自然をありのままにえがくこと、自然を写し取るということ、「自然を偽らざる叙法」ということです。
これに対して、今日私が述べた「中心の無い俳句」の説明においては、自然を写し取るということについては、全く力点を置いていません。説明の力点を置いているのは、言葉どうしの意味の引っ張り合いにおいて、その句特有の力学が発生していて、どこにも中心がないのに釣り合っている状態ということにです。つまり、私が「中心の無い俳句」として注目する点は、句に描かれているものや、ものの描き方ではなく、句の言葉としての構造や、句の読者において働く、(わかる・わからないなどの作用を含む)心の動きです。

また、碧梧桐が「感じを一点に纏める」ことへの反発から、「自然を偽らざる叙法」においては、言葉のまとまりのなさ、を求めているような向きがあるのに対して、私の考えはむしろ、一句における言葉どうしつり合いを求めています。

よって、「中心の無い俳句」についての私の考えは、碧梧桐の「俳句無中心論」とはまったく別のものだと考えています。

<関根千方レポート②>
二人目の鴇田智哉さんが主張することは、俳句を結社内に働いている教育的な論理から解放するような、個人の自由な言説が出てこなければならないのではないか、ということでした。

もちろん、結社は先生から俳句を習う場所であり、そこでの教育論理について問題があるというのではなく、結社を超えたコンクールのような場所で、たとえば「この句は季語がないから外そう」といったことが、度々起きます。だから俳人は、結社内にある教育的な言葉ではなく、作家個人としての言葉で語る必要があるのではないかというのです。

この話は、どこか麒麟さんの話とつながっているように思えます。俳句の読者だけでなく、指導的な立場にいる人も自身の所属内の論理、つまり安全圏から出ようとしないということです。

そこで鴇田さんは、俳句の通念としてある「自句自解をしない」という考えを捨てて、むしろ積極的に語るべきではないかといいます。いわば、暗黙の了解で成立しているものを作家個人の言葉で揺るがそうということです。たしかに、それは個々の作家が新たな批評性を獲得していくことにつながるかもしれません。もちろん「自己正当化」という陥穽に落ちないようにしなければなりませんが。

そして、鴇田さんは実際に自身の俳句について語り始めます。鴇田さんは、自分がなぜ俳句をやめずにいるかというと、言葉にポエジーが生じる、その一番小さなところにいられるからだといいます。俳句を詠むのは、詩の起源のようなところに立ち会えるからだというのです。

なかなか難しい話なのですが、鴇田さんはわかりやすく、先生の今井杏太郎さんとの話を紹介してくれました。尾崎放哉の〈咳をしても一人〉という句があるが、「をしても」は表現として甘いという話になり、どうなおすべきかを一緒に考えたそうです。今井杏太郎さんは「この句は〈咳〉だけでいいんだよ」とおっしゃったそうです。しかし、さすがにそれだけでは詩にならない。場合によっては〈咳〉だけで感動を呼ぶこともあるかもしれないが、それは普通ではない。今井杏太郎さんの結着は「咳をしてみる」だったそうで、鴇田さん自身そのとき、言葉が詩となる最小に触れたように感じ、深く納得したそうです。

俳句は詠み手と読み手がいて成り立つものである以上、正気がたもたれていなければなりません。鴇田さんにとって、かろうじて正気をたもちうる最小の装置として、五七五という定型があるといいます。つまり、言葉が詩でありうる最小の型ということです。なので今、鴇田さんにとっては五七五という定型が重要であって、季語の有無は二の次だというのです。つまり、鴇田さんにとって五七五という定型は、俳句を詠むため=詩を詠むための形式になるのだろうと思います。

さらに、鴇田さんは自身が今注目している「中心のない俳句」について語ります。こちらも難しいので、詳細はサマリーを読んでいただきたいのですが、イメージとしては「モビール」と呼ばれる玩具(動く彫刻)のように、どこかに中心があるわけではないのに、いくつかの言葉が重りとしてちょうど釣り合っているような俳句だといいます。具体例として、自身の〈回るほど後ろの見えてくる疾さ〉、赤尾兜子の〈ちびた鐘のまわり跳ねては骨となる魚〉、田島健一さんの〈西日暮里から稲妻見えている健康〉といった句をあげて、その独特の力学で成り立つ句を解説されました。

「中心のない俳句」というとき、一物仕立てが特にそうですが、中心に季語がある俳句というのはわかりやすい。取り合わせを楕円のように中心が二つある俳句とみることもできるでしょう。無季と言われる句でも、季語に代わる言葉が入っている場合は中心があることになる。しかし、鴇田さんはそもそも中心のない俳句の形がありうるということを示されたわけです。

ただし、鴇田さんが言う「中心のない俳句」は、句の形から考えられているものであって、芥川と谷崎の「話のない話論争」に見られるような、内容(意味)に関わることではありません。また、河東碧梧桐が提唱した「無中心論」とも違って、詠み手の作為(意図)を消すというようなこととも異なり、句の構造が問題となっています。さらにいうと、この構造は五七五という定型とは異なる次元にあるように思います。なので、俳句の話なのか、詩の話なのか、よくわからなくなってきますが、日本語による五七五の定型詩の可能性を広げる議論には違いないと思います。

「HAIKU+」①西村麒麟さん

きごさいBASE 投稿日:2018年5月29日 作成者: dvx223272018年5月29日

批評が絶滅してしまった現在の俳句。きごさいでは俳句の批評を復活させるために「HAIKU+今何が問題か」を企画し、その第一回目が5月5日神奈川近代文学館で開催されました。

「俳句で今何が問題か」をメインテーマに、西村麒麟さん、鴇田智哉さん、阪西敦子さん、マブソン青眼さんといった気鋭の俳人4名が、それぞれの立場からスピーチを行ないました。
スピーチのあとにはインタビュー、参加者との質疑応答も充実したものとなりました。
以下は4名の講演者によるスピーチの概要、各要旨のあとに関根千方さんのレポートが続きます。

1「アンソロジーについて」  西村麒麟 

1.アンソロジーとは
アンソロジーとは何か?と言いますと、詞華集と日本語で訳されます。詩や文章の選集のことです。ギリシア語の「花を摘む」という言葉から来ているそうです。日本の文学史はアンソロジーの宝庫で、万葉集、古今集、新古今和歌集、それに百人一首などは全てアンソロジーと呼んで良いものです。中国の『文選』や『唐詩選』なども現在まで読まれているアンソロジーの傑作です。堀口大學『月下の一群』上田敏『海潮集』などで初めて西洋詩に触れた方も多いのではないでしょうか?
丸谷才一さんの言葉に「詩は詞華集で読むに限る、駄作や凡作を読まずに済むので時間を浪費せずに詩を楽しむことができる」という文章があります(『日本文学史早わかり』)。? 実際のところ『子規全集』『一茶全集』等を購入して、全句を読んでいるのは現在研究者ぐらいではないでしょうか?現代の作家では、例えば原石鼎の句集はその作品を約千句ほど読むことが出来るのですが、実は『石鼎全句集』では約七千七百句ほどの句が入っています。つまり句集だけしか読んでいないと、実はその全体の七分の一も読んだことにならないのです。もう一例を挙げると、日本人なら二、三句は暗誦出来そうは人気俳人の種田山頭火の作品は実は一万句を超えていて、辞書のような大きさの全句集を購入しなければ、実は全作品を読むことは出来ないのです。
丸谷才一さんではないですが、詩は詞華集に限ると言う気がしてこないでしょうか?
2.俳句におけるアンソロジーとは
 現在何が問題か?ということが本題であるので、連歌、俳諧の芭蕉以降や明治の『新俳句』『春夏秋冬』等の子規時代周辺は今回話題から省き、昭和以降の俳句アンソロジーについて考えてみます。大きくわけて俳句のアンソロジーは三種類あります。
a.作品がメインであるもの。
b.鑑賞がメインであるもの。
c.歳時記、季寄の類。
 歳時記はまた別ものと考えるとすると、入集させる顔触れの違い以外では、作品と鑑賞の比重の違いが、各俳句アンソロジーの個性であると言って良いでしょう。
 具体的な例を挙げますと、a.作品がメインであるものについては、平井照敏『現代の俳句』立風書房『現代俳句集成』立風書房『女流俳句集成』北溟社『現代俳句コレクション』等を挙げることが出来ます。b.鑑賞がメインであるものについては山本健吉『現代俳句』が圧倒的に有名でしょう。川名大『現代俳句』高浜虚子『進むべき俳句の道』柴田宵曲『古句を観る』新書館の『現代俳句の101』『ホトトギスの俳人101』などのシリーズも入手しやすい俳句アンソロジーと呼べるでしょう。
 a.作品がメインであるものに関しては、引用句が多く、作品のみをたくさん楽しめるという利点がある反面、自分の読解力を超えている作品については、どうしても読み飛ばしてしまいがちです。
 b.鑑賞がメインであるものは、著者の鑑賞により、新たな発見がある半面、強い先入観を植え付けられる可能性があります。例を挙げると、山本健吉の『現代俳句』は今読んでも名文であると強く感じますが、波郷や素十の高評価とは対照的に、池内たけし、野村泊月、田中王城、鈴鹿野風呂等を読むに堪えぬと切り捨てるようなところがあります。強い先入観は読み手の自由を奪いかねない不安があると言えるでしょう。
3.俳人の価値は変動する
 アンソロジーを読むことで何が見えてくるのか考えてみたいと思います。その一つとして、俳人の価値は死後大きく変動すると言う例を挙げます。
 河出書房から2016年に刊行された『日本文学全集29 詩歌』に注目したいと思います。このアンソロジーは一冊に現代詩、短歌、俳句が収録されていて、俳句は小澤實さんが担当されています。一人の作家につき五句づつ作品が引用されていて、各句に四行ほどの鑑賞、及び解説文が付いています。このアンソロジーがユニークであるのは、収録作家の一人目が井上井月だと言うことです。通常は、子規、または虚子、鳴雪辺りから始まる場合が多く、現代俳句アンソロジーの一人目の作家として井上井月から始まる本は初めてではないでしょうか?
 井上井月という伊那の乞食俳人と呼ばれた俳人の作品は、下島空谷による私家版として大正15年に『井月の句集』昭和5年に『漂泊の俳人 井月全集』が刊行さました。しかしこれらは広くは流通せず、一部の俳人や、種田山頭火、芥川龍之介等に熱心なファンがいるのみでした。伊那市には井月顕正会という団体があり、井月の研究、顕正を根強くするうちに、1992年か蝸牛俳句文庫にて春日愚楽子著『井上井月』が刊行されました。これで一般の人の手に入る値段(井月全集は古書店で高値で取引されていました)で井月の句が300句も手軽に読めるようになりました。さらに2003年『井月俳句総覧』が刊行されたことによって井月の句をほぼ全句読むことが出来るようになりました。そして大きな転換期として2011年に「ほかいびと」という井月を主人公とした映画が出ました。主役は舞踏家で俳優の田中泯さん。そしてついに2012年、岩波文庫にて復本一郎著『井月句集』が刊行され、2013.3 角川「俳句」にて「いま、井月がらおもしろい!」という井月特集が組まれました。      
簡単に言うと、ブームが来たわけです。そして今回2016年に出た俳句アンソロジーに入集することになりました。井月が入集出来た隠れた幸運としては、選者が小澤實さんという方であったということも付け加えておきます。おそらく小澤實さんはブームに乗ったわけではなく、信州に縁の深い方ですし、連句の師の関係からも、井月に理解があり、評価した部分が強いかと思います。御本人に直接お聞きしたわけではないので、この部分は僕の想像となります。
 大変長くなりましたが、何が言いたいかと言うと、作家の価値は大きく変動する、と言うことです。さまざまなアンソロジーを集めると、埋もれてしまった作家、新たに読まれ始めた作家と、作家の価値が大きく変動してゆくことに気が付きます。何十年も放ったらかしであった作家に急に注目が集まることもあれば、今日大変高い評価を受けた作家が来年にはもうわからない、というような話もあります。
 優れた作家とみなされる作家は時代ごとに異なるので、アンソロジーは定期的に刊行されるべきだと思います。優れた編者に必要なのは、埋もれた作家、もしくは一度も脚光浴びたことのない作家を発見すること。もしくは大変人気で、権威ある作家の句を冷静に、本当に作品に価値のある人物であるのかを見定める能力です。
 これから読まれる可能性のある作家としては、今から20年のうちに著作権が切れる、秋桜子、草田男、立子、夜半などが文庫によって刊行されれば、新たな読者により再評価されるのではないかと期待しています。近年、荷風や芥川が岩波文庫にてほぼ全句、気軽に読めるようになったのは喜ばしい事です。僕はこれまで『荷風全集』や『芥川龍之介全集』の俳句の巻を購入して読んでいましたが、そのような手段でしか読めないままでは、新しい読者を獲得することは出来ないままだったでしょう。
 正岡子規、松瀬青々、萩原井泉水、高田蝶衣等は、大きな作家であるわりには現代読まれていないように思います。原因としてはその膨大な作品数を読むことが手強いためであると思われます。読まれていない作家というのは、まだ宝の山が残っている可能性が非常に高い作家だとも言えるはずなので、このよく知られた作家達もまた再評価される可能性が高いと思われます。
 さらには、惜しまれつつも近年亡くなった、金子兜太、福田甲子雄、川崎展宏、今井杏太郎、和田吾郎、金原まさ子、もしくは一つ前の時代の巨人、飯田龍太、森澄雄等、作家の作品の価値は死後判明すると考えるならば、これらの作家が未来のアンソロジーにどのように評価され、入集していくのかを読むことは、現在の我々の楽しみであると言えるでしょう。
 著作権については会場より、そのような制度に順従に従う必要はなく、行動を起こし現在読まれるべき作家がいると思うのならば作品の使用の許可を取れば良いのだ、というご意見もいただきました。現実問題として、頼まれて、絶対に使わせない、と答える作家の方が少ないと思います。しかしながら、死後五十年の時間はそれほど不便なものではなく、作家の作品が死後冷ややかに作品だけとして見えて来るのに、ちょうど良い時間でもあるのではないかと、発表後に考えましたので、ここに付け加えておきます。
 何度もアンソロジーについてのお話を繰り返していますが、次にその必要性を考えていきます。
 川柳の世界には、古典のアンソロジーはあるが、明治、大正、昭和の川柳を気軽に見渡せるアンソロジーが少ないように思います。『現代川柳最前線』や『現代川柳の新鋭たち』等、現在活躍する作家のアンソロジーはいくつも手に取ることは出来ます。しかしながら講談社学術文庫に『現代の俳句』『現代の短歌』は存在するのに、惜しいことに『現代の川柳』は存在しません。個人的には『川柳の群像』が便利だが、作品だけを50句ほど読むことの出来るアンソロジーが存在しないのは残念です(手に入ってないだけで実は該当するようなものがあればすみません)。川柳の作品を読みたい時は国会図書館に行き、作家別(全十五冊)の構造社『川柳全集』を参考にすることが多いです。しかしながら、古本で買うには高値であることと、国会図書館に行かないと読むことが出来ないので、身近なアンソロジーとは呼べないものでしょう。
 このような状態があと50年ほど経つと、大正、昭和の川柳も専門作家だけが知る古典に近いものとなってしまうのではないでしょうか。
 俳句でも短歌でも全く同じ問題があり、ある程度みんなが知っている、共有している作品が少なくなります。つまり、句を評する時に、類句である、古い(先例がある)、新しい(先例がない)という評が通用しなくなります。お互いに満足のいく評が出来なくなれば、句会は虚しいものとなるでしょう。
まとめ
 作品メインの名アンソロジー平井照敏『現代の俳句』の続編に値するようなものが25年間も刊行されてないことに驚きと寂しさを感じます。鑑賞メインの名アンソロジー山本健吉『現代俳句』は昭和26年に刊行され、今でも愛読され続けています。それは素晴らしいことであると同時に、それに続く名鑑賞本の不在を突きつけられているようでもあります。
 これらの続篇のようなものを編むことが、次の時代のために、やり甲斐のある仕事ではないでしょうか?若手を取り扱ったアンソロジーであるとか、現役に焦点を当てたもの、もしくは俳句史の復習を目的としたものなど、貴重で、興味深いアンソロジーは世にたくさん刊行されています。しかしながら、古典と現在を結ぶようなアンソロジーはやはり、不在であると言って良いのではないでしょうか?
 アンソロジーの目的の一つに、様々な俳句があることを学ぶことによって「俳句はこうあるべき」という固定概念を持たないたようにすることを挙げておきます。「俳句はこうあるべき、俳句はこういうものだ」と言う考えが俳句を不自由に、小さくしてしまうと考えます。俳句が真に自由であるためには、紅葉、碧梧桐、東洋城、又は月並と切り捨てられた旧派の俳人達、自由律や新興俳句、それらの全ての俳句の歴史を捨て去らない方が良いと考えます。消えて行ったものもまた貴重な財産です。
 たくさんの俳句が生まれては消えてゆくように、たくさんのアンソロジーも又生まれては消えてゆきます。今回の発表のために三十冊ほどのアンソロジーを読んできましたが、うち二十冊ほどは我が家にあるアンソロジーです。多くのアンソロジーが生まれては消えていきますが、それでも出し続けるべきだと思います。名句がほんの一握り、たまたま奇蹟的に残るように、ほんの一握りの良きアンソロジーが生まれる事が、俳句の未来への財産になると思います。
 結論としては、平井照敏『現代の俳句』や山本健吉『現代俳句』の続編と呼べるようなものが存在しないことです。そのことら現代の俳句の大きな課題と考えます。

<関根千方レポート①>
一人目は、古志の西村麒麟さんによる、アンソロジーについての話でした。アンソロジーには「作品中心のもの」と「鑑賞が中心のもの」とがあり、前者では平井照敏の『現代の俳句』(一九七七年刊、一九九三年に講談社学芸文庫に入る)、後者では山本健吉『現代俳句』(一九五一、五二年刊行、一九九〇年に角川選書に入る)以降、ほぼ四半世紀、これに匹敵するアンソロジーが出ていないと麒麟さんは指摘します。

アンソロジーがないことがなぜ問題なのかというと、身近なアンソロジーがないと、誰もが知っている句が少なくなる。そうすると、俳句の新しさや古さを判断することもできなくなり、類句かどうかもわかりづらくなる。出版不況で本屋も減っており、一般読者が手軽に俳句を読むこともできなくなってしまうというのです。

もちろん、アンソロジーだけ読むことにも問題はあると麒麟さんはいいます。作品中心のアンソロジーは、俳句がたくさん読めるのはいいですが、読者の読解力を超えるものは読み飛ばされてしまう欠点がある。また鑑賞が中心のアンソロジーは、筆者の好き嫌いによる先入観を植えつけられてしまうという欠点がある。しかし、丸谷才一が「詩は詩歌集で読むに限る。駄作や凡作を読まなくて済むから時間を浪費せずにすむ」というように、一般読者が膨大な句を句集で読むには、やはり無理があります。

さらに、麒麟さんの話は、俳人の評価は時代やブームなどで大きく変動することも指摘していて、これから新しいアンソロジーが編まれるとしたら、どんな人が入り、どんな句が入るのか、それを想像するだけでも楽しいと述べていました。これは、同時代の誰よりも俳句を多く読んでいる麒麟さんらしい意見です。

そこで気になるのは、なぜ今誰もが手軽に読める、時代を代表するようなアンソロジーが出ないのか、という問題です。

出版社は、販売数の見込めるもの以外は作りづらくなっています。つまり、売れる見込みがたてづらいものは、後回しになりやすいのです。大結社の代表や、俳人協会や現代俳句協会の中心にいる人であれば、販売数が見込みやすい。しかし、アンソロジーはその性質から、横断的で且つ綜合的なものです。だから出版社の編集者には固定客が見えづらい。もちろん買う側の問題もあるでしょう。所属結社の系譜と関連する人の俳句しか読まなかったり、好きな作家のものしか読まなかったりする。こうしてアンソロジーが力を失っていく過程と、俳句が批評性を失っていく過程とが並行してくるのではないでしょうか。

考えてみれば、それは俳句のアンソロジーに限りません。日本人なら誰もが知っていて、ほとんどの人が読んでいる国民的な作家はもういません。文芸の世界全体が、タコツボ的な個人ファン市場の集合になりつつあります。今や漫画やゲームも同じです。俳句の場合は結社があるので不思議に感じませんが、商業誌よりも小説や漫画は今や同人誌的なコミュニティ市場のほうが、力も勢いもあります。

むしろ、このようなモザイク的な市場で可能な批評とは、どんなものなのかを考えなければならないのかもしれません。麒麟さんは、インターネット上で「きりんの部屋」というアンソロジーを連載していますが、もしかすると、現在における一つの新しい形を実践しているという自負をもって、このような話をしたのかもしれません。

7月29日(日)、中山圭子さんの「涼を呼ぶ夏の和菓子」

きごさいBASE 投稿日:2018年5月16日 作成者: dvx223272018年5月16日

第15回 きごさい+は、7月29日(日)、
いつもの神奈川近代文学館で開きます。
講師は虎屋文庫専門職の中山圭子さん。
梅の和菓子、桜の和菓子と大好評の和菓子シリーズ。
今年は第3弾「涼を呼ぶ夏の和菓子」がテーマです。
前回に続き、虎屋の和菓子つきです(定員50名)。
お茶は各自ご持参ください。

演 題 :  涼を呼ぶ夏の和菓子
講 師 :  中山 圭子(虎屋文庫専門職)
略 歴: 東京藝術大学美術学部芸術学科卒業。四季折々の和菓子のデザインの面白さにひかれて、卒論に「和菓子の意匠」を選ぶ。現在、和菓子製造販売の株式会社虎屋の資料室、虎屋文庫の専門職。
著作に「事典 和菓子の世界 増補改訂版」(岩波書店)、「江戸時代の和菓子デザイン」(ポプラ社)、「和菓子のほん」(福音館書店)など。
<講師のひと言> 夏には葛粉や寒天などを使った透明感あふれる菓子が、ひんやりした食感もあって人気です。金魚や蛍、花火ほか夏の風物詩がモチーフになっているのも楽しいもの。おなじみの水羊羹やかき氷も含めて、夏の和菓子の魅力についてお話ししたいと思います。

日 時: 2018年7月29日(日)13:30〜16:30 (13:10 開場)
13:30~14:30 講座
14:50 投句締切(当季雑詠5句)
14:50~16:30  句会

会 場: 神奈川近代文学館 中会議室  (横浜市、港の見える丘公園)
〒231-0862 横浜市中区山手町110 TEL045-622-6666
みなとみらい線「元町・中華街駅」6番出口から徒歩10分
http://www.kanabun.or.jp/guidance/access/

句 会:  当季雑詠5句(選者=中山圭子、長谷川櫂)
句会の参加は自由です。
参加費:  きごさい正会員1,000円、非会員2,000円 虎屋和菓子つき、飲み物は各自ご持参ください。
参加申込み: 事前申込みの方には虎屋の和菓子を用意します。7/23(月)までにきごさいホームページ申し込み欄から、あるいは電話、FAX、でお申し込みください。申込みなしの当日参加もできますが、お菓子は申込者優先とさせていただきます。  きごさい事務局 TEL&FAX 0256-64-8333

吉野山「櫻花壇」前に山桜2本を植樹

きごさいBASE 投稿日:2018年4月25日 作成者: dvx223272018年4月25日

2018年4月7日(土)16時より、吉野山の中千本にある櫻花壇(このイベントのために特別オープン)にて、季語歳の山桜100万本植樹式が行われた。

まず、季語歳が2008年より植樹を始め、近年は佐世保のハウステンボスや江東区の区役所前に(+芭蕉の句碑)植えて、この日の吉野の二本を含めトータル658本の植樹を行ってきた経緯と意義についての説明があった。そして、今年の植樹が山桜の名所である吉野山で実現した理由として、櫻花壇オーナーである辰巳家の多大なご協力をいただいたことが報告され、同席されていた辰巳さん一家に大きな拍手が送られた。

植樹場所は、櫻花壇の前の私有地。すでに若木が二本、添え木と共に植えられている。植え付けは、寒い時期に行われることが重要で、時期としてはギリギリの三月に専門家の手で若木の植え付け作業を済ませ、根がついて、一本は花を咲かせていた。

◆花の山は植樹でつくられた

吉野山は、自生の山桜が自然に増えて天下に名だたる花の山が出来たわけではなく、人間の手で長い時間をかけて、営々と桜の植樹が行われてきたものである。幾百年もの間、蔵王権現の信仰とも結びついて、吉野にやって来た人々が願い事を込めて植樹を行った。江戸時代の記録では、麓で子どもたちが桜の苗木を売る様子や、豪商が百本単位で植樹する記録も残されている。山の桜の木々の根元を改めて観察すれば、さまざまな植樹の主のプレートをあちこちに発見する。新たな若木が我々の手で増えることは、花の吉野山の植樹の歴史の流れ中でのこと。誇らしい気分をもって山桜植樹のセレモニー(歌人の岡野弘彦先生も参加された)を行い、参加者全員で植樹した若木の前で記念撮影を行った。

◆昨年、吉野で巻かれた歌仙と大岡忌

去年の4月5日に詩人の大岡信さんが逝去された。その直後、岡野弘彦、三浦雅士、長谷川の三人が「大岡信さん追悼の歌仙―花見舟空へ」をここ吉野で巻き始め(長谷川櫂著『俳句の誕生』筑摩書房刊に掲載)、6月には盛大な「大岡信さんを送る会」も開催された。花の頃に亡くなった大岡さんの「信の忌、大岡忌」が毎年詠まれ、歳時記に載る日が来ることを願い山桜植樹式を終了した。

塔いらか花の中なる吉野山    岡野弘彦
花冷えや黄泉路の妻のおもはるる
ほのぼのと闇さへ花の吉野かな  長谷川櫂
花守の子も花守になりしかな
(西川遊歩記:季語歳副代表&大岡研究会会長)

特集「名句のできる季語、できない季語」

きごさいBASE 投稿日:2018年4月24日 作成者: dvx223272018年4月24日

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特集 名句のできる季語、できない季語

名句の条件            藤英樹

名句のできる季語         季語と歳時記の会編
名句のできない季語        季語と歳時記の会編

名句のできる季語とは       石塚直子
季語のいのちが句のいのち     川村玲子
季語と名句            西村麒麟
名句の条件~なぜ名句ができないか 藤原智子
歳時記からみる名句の数      前田茉莉子
季語とこころの距離        三玉一郎
季語にあるイメージのはなし    森凛柚

植物季語の科学的見解 その3   藤吉正明

日本の暦 2018年度版     季語と歳時記の会編

アクセス1000万件突破

きごさいBASE 投稿日:2018年4月23日 作成者: dvx223272018年4月23日

ネット歳時記「きごさい」は2008年3月1日に707項目の季語を掲載してスタートしました。それから10年アクセス数が1000万件を越えました(2018年4月24日)。

平均年100万件ですが、近年は年400万件に及びます。このペースでゆけば、2年後の2020年には2000万件を超えることになります。

これからも「科学的見解」や新たな例句を加えて、ネット歳時記「きごさい」を充実させてゆきます。ご活用ください。

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