5月29日(土)第22回きごさい+がズームで開催されました。
講師は、東京に唯一残る手縫いの着物仕立て工房「尾張屋」の四代目、森岡正博先生。
美しい画像を見ながら、着物の歴史と時代ごとの女性の役割について、興味深いご講演をいただきました。
古の風に舞う着物 森岡 正博
「きもの」とは「きるもの」の事で江戸時代までは「呉服」、「唐衣(からぎぬ)」、「小袖」、「厚板」等と言われてきました。
神代の頃から女性は崇高な姿で現われます。和服を着た女性の姿は、いつの時代でも特有な雰囲気であたりを魅了し、遠い昔からの思いが伝わります。
この講座では神話の時代から江戸時代まで着物の変遷をたどっていきます。そしてこの変遷には「巫女」と「遊女」の存在とその役割が大きく関わっていたことをお話したいと思います。
◆ 神話の風:女性が国を統治
着物の特徴:貫頭衣、二部式(隋形式)
巫女(神に仕える女性)が国を統治
神話の天照大御神は太陽神の性格と巫女の性格を併せ持つ。天宇受賣命 は神楽を舞う・祈祷をする巫女で卑弥呼も巫女。
応神天皇(父:仲哀天皇、母: 神功皇后)は韓国の王に依頼し、呉の国から機織り姫・絹縫い姫・反物を迎え入れ、国益の礎を作った。従って「呉服」は「呉から来た布・服」の意味。
今でも宮中で欠かさず毎年、繭から糸を取り織った反物を伊勢神宮に奉納する儀式(神嘗祭(かんなめさい) 神御衣祭(かんみそさい))が執り行われている。
◆ 皇族の風:日本文化に女性が貢献
着物の特徴:十二単衣、衣冠束帯
巫女は神に仕える女性
推古天皇は聖徳太子と仏教を軸とした統治を行う。
自然災害(富士山の大噴火 、陸奥で貞観大地震による津波被害)や疫病が流行し災厄を祓う祇園祭(869年)が始まる。
〇遣唐使の廃止、独自の日本文化「国風文化」が生まれる。
草木染は染める色の種類が限られる。ご婦人等は異なる色布を数枚組み合わせて品位・季節・自然界等を表わした(重ね色)。
〇白地小葵鳳凰模様表衣(うわぎ)は 現存する最古の衣装(神服)。第77代後白河法皇が第14代天皇・仲哀天皇の皇后神功(じんぐう)皇后(応神天皇の母)に奉納した宮廷装束(非常に手の込んだ二部織物)
◆ 公家の風:混乱期を支えてきた女性
着物の特徴:小袖(対丈)、直垂(ひたたれ)
巫女は、鎌倉時代に必要な4要素(占い、神楽、寄絃(よつら)口寄(くちよせ))を担い、遊女の側面をもつ巫女(旅をしながら禊(みそぎ)や祓い(はらい)をおこなう)もあった。
〇小袖の原型は十二単の下着
朝廷から東国支配権の公認を得た幕府は宮廷装束である下着(肌着)を表着(豪華な糸や紋様・金銀箔等で埋め尽くした小袖)にして権力を示した。
〇応仁の乱以降、小袖の全盛期
◆武家の風: 人気の的の女性
着物の特徴:小袖(身頃全体が次第に大胆な模様になり袖の口や幅も広くなる)、唐衣、打掛、裃
巫女は神楽の奉納。かぶきおどりなど歌舞で人気を集めた出雲阿国(いずものおくに)も遊女の側面を持つ巫女だった。
遊郭が成立し、遊女、太夫が出現した。
〇婦女有楽図屏風(松浦屏風)1610年 画像は右隻
屏風は遊女のみの風俗画で、着物、髪型などで遊女の序列がわかる。最高位の太夫の着物は現在では再現できないほど手の込んだ織物。豪華で貴重な衣装を着こなす太夫は憧れの的だった。中央右の遊女の首には何かを消した跡がある。キリシタン禁教令が出る前には描かれていたロザリオが弾圧の時期に消されたらしい。
この時期を境に遊女の姿形が極端に変化。その後舞妓姿(髪型等)へ変化してゆく。
〇遊女勝山の人気
江戸の神田にあった数軒の湯女風呂は美しい湯女を抱えて有名になる。中でも「堀丹後守の屋敷前の風呂屋」と言うことで「丹前風呂」と呼ばれた。そこに通う奴(やっこ)や男伊達の姿や歩く様子を歌舞伎で取り上げられた。
「桔梗風呂」にいた吉野という湯女は小唄の流派の元祖となった。
「紀伊国屋風呂」の勝山という湯女は旗本奴に人気がありまた独自に考案した髪型は武家の奥方にも好まれ結われるようになった、後に吉原からスカウトされ遊女となる。また冬に羽織る綿入りの着物「丹前」は、彼女が考案したもの。その姿を旗本奴や客がそれを真似て多くの人々が暖をとるために着用し今でも愛用されている品。大正時代から祇園祭の際に結う髪型(勝山)となる。
◆ 維新の風:威厳ある女性
着物の特徴:小袖(長い身丈、身八ツ口と振りが開く)、掻取(かいどり)、熨斗目、長袴、江戸褄
巫女は神楽の奉納など。
遊女は、太夫、花魁(おいらん)から花柳界、花街へ。着物文化や芸能は現在の舞妓・芸妓へ受け継がれる。1930年頃まで98市に花街が存在していた。
〇髪型の流行
元禄島田は(江戸時代前期に遊女から町人妙齢へ)、勝山髷は(江戸時代前期に遊女から武家妙齢へ)、丸髷は(江戸時代後期に武家既婚から町人既婚者へ)と広がる。
舞妓の区別は髪型が一番分かり易くまた明治の初期まで日常のご婦人方の髪型。
〇花魁(おいらん)・高尾
高尾(通称:もみじ)は、三浦屋に伝わる吉原で11代も続いた最も有名な遊女の源氏名。
2代目の仙台高尾は仙台藩主・伊達 綱宗(だて つなむね)が高尾を見初め身請けした。代金は、高尾の身の回りの衣服を含めた体重と同じ重さの小判(約5億円)だった。大金を費やしたにも関わらず意に従わなかったために、隅田川の三つ又あたりの船中で惨殺された。
〇江戸時代の粋
江戸の町民や大名が遊女や花魁と「馴染み」に成るまでの期間は「粋」が絶対必要条件。立派な大名であっても「野暮」な事をすると、翌日にはその評判で吉原中の「笑い者」になった。
〇幕府の贅沢禁止令
幕府は財政難から度々町民に贅沢禁止を発令し、金銀糸を用いた絹織物や反物の長さや幅を厳しく規制した。しかし帯の規制は無かったので、遊女や花魁達は初期幅5cm程の帯を30cm~40cmも広げ、絢爛豪華な姿で花魁道中をして見物客の目を楽しませた。
帯幅を広げたため袖付が押し上げられ、身八ツ口と振りが開いた。
やがてこの活気も時代と共に消え去り、着物の形は元禄時代以降からほとんど変化する事無く今日に至っている。(了)
句会報告 選者=長谷川櫂、森岡正博
◆ 長谷川櫂 選
【特選】
綺羅まとふ婆沙羅女らみな涼し 西川遊歩
婆さまの浴衣のおむつ天瓜粉 飛岡光枝
身を入れて水輪広がる薄衣 飛岡光枝
端切れでも母の匂ひや汗拭 石塚直子
鯵揚げる音響きけり更衣 北側松太
【入選】
ひと揺れに牡丹くづるる真昼かな 上田雅子
そぉと引く母の単衣やしつけ糸 小泉雅恵
平らかに畳んで仕舞ふ白絣 澤田美那子
家庭科で初めて縫ひし浴衣かな 木下洋子
芭蕉布をまとへば聞こゆ波の音 斉藤真知子
甚平を着てキューピーのやうな奴 高田正子
藍ゆかた手職ひとつを生きてきし 趙栄順
子の丈に仕立直して更衣 澤田美那子
白たへの襷清しく新茶くむ 飛岡光枝
きりきりと母の力の粽かな 上田雅子
二階から見ゆる川舟更衣 北側松太
◆ 森岡正博 選
【特選】
透かし柄さりげなく絽の夏羽織 石川桃瑪
婚の荷の一つに喪服桐の花 中丸佳音
つばめ飛ぶシャッターに閉店のビラ 金澤道子
割りしのぶからくれなゐの藤さげて 北側松太
蒸し上げる湯気家中に柏餅 吉安友子
【入選】
ひやひやと馬蛭泳ぐ水田かな 川辺酸模
なつかしやすり切れし祖母の羅 小泉雅恵
白玉や京の町屋を抜衣紋 鈴木伊豆山
あぢさゐに雨上がりたる日差しあり 曽根崇
明けきらぬ夏をちらつとまた読書 宮本みさ子
玉の汗走る呼吸の二進数 遠藤みや子
旅鞄から巴里祭の紙吹雪 高田正子
浴衣着て今宵眩しき妻の顔 川辺酸模
羅や爪の先まで羅なり 三玉一郎
くけ台は母のお下がり藍浴衣 米山瑠衣
白日傘こころゆつくりひらきけり 趙栄順
若葉雨祭儀を終へし巫女の裾 石川桃瑪
たてよこに風切り入れて浴衣かな 長谷川櫂
お太鼓をぽんと叩くや七変化 米山瑠衣
胸高にきゅきゅっと締めて藍浴衣 鈴木伊豆山
芭蕉布や三線鳴れば踊り出す 趙栄順
ペア浴衣一番乗りのクルーズ船 田中益美
待合せ君に見せたく藍浴衣 木下洋子