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HAIKU+報告 五島高資さんの「人間・金子兜太に迫る」

きごさいBASE 投稿日:2026年2月12日 作成者: dvx223272026年2月12日

2月7日 五島高資さんの講演と対談HAIKU+がズームで開催されました。

金子兜太小論 「人間・金子兜太に迫る」  五島高資

1. はじめに
大正8年(1919) 夏、金子兜太は、父・金子元春(伊昔紅)の長男として比企郡皆野町の母の実家で生まれる。

2. 兜太の父・金子伊昔紅のこと
(1) 兜太命名の地・宇都宮
宇都宮にいた父(当時、軍医として宇都宮の連隊に所属)が「トウタ」と命名し打電したが、生家が「藤太」と誤って役所に届出るが、後に「兜太」と判明し訂正。
(2) 医師・俳人
1920年、元春は上海東亜同文学院の校医として単身赴任。上海から高浜虚子の「ホトトギス」に投句。のちに水原秋桜子の「馬酔木」に移る。また「皆野盆歌」を「秩父音頭」へと改作。

3. 金子兜太と俳句の出会い
兜太は1937年、旧制水戸高校に入学し、出沢珊太郎との出会いを契機に俳句を始め、「白梅や老子無心の旅に住む」を詠む。この無為自然の感覚は後の「定住漂泊」へつながる。1941年、東京帝国大学に進学し、加藤楸邨の「寒雷」に学んだ。

4. 金子兜太と戦争
(1) 昭和18年、兜太は大学を繰り上げ卒業後、日本銀行に就職するも即座に海軍経理学校へ入学。翌年主計中尉としてトラック島に赴任し、深刻な食糧不足と激戦の中で多くの死を目の当たりにし、過酷な戦場体験を通じて「捨身飼虎」の精神を培った。
(2) 「文藝春秋・くりま」五月号・「戦地で俳句と訣別し、戦地でふたたび俳句に会う」・戦時中、殺伐とした階級絶対主義の軍隊で、身分の上下を超えて和気藹々と催されたトラック島での句会の様子が克明に記されている。当時、海軍中尉の金子兜太の句友で陸軍少尉の西澤實は次のように指摘する。
奇蹟のようなものです。何より兜太の人徳、その包容力があって可能になった。もう一つは、俳句そのものがもっている力、汎人間的な文芸の魅力だと思います。美しいものに憧れる心、優しいものに触れたいという気持ち、素敵なもののそばにいたいという人の思いに、俳句は応えてくれました。
礁湖守るは奥州鎮守甘藷兵  實
苦境にあっても矜持を保つ防人を彷彿させる。
足につくいとど星座は島被う  兜太
これは『金子兜太集』(筑摩書房)全句集に見えないが、『少年』に収録されている。のちに兜太が至る天人合一の詩境への嚆矢として感銘深いものがある。いとど(竈馬)は秩父でも詠まれており、「産土の風土」に裏打ちされた「生きもの感覚」とともに、星座が光る「天」と戦場の「地」あるいは「天国」と「地獄」、「あの世」と「この世」の狭間に逃げ場のない過酷な状況が覗える。島を覆うような美しい星空が却ってその過酷さを際立たせる秀句である。
魚雷の丸胴蜥蜴這い廻りて去りぬ  兜太
のちに加藤楸邨から激賞される。飢餓のときは食用にもした蜥蜴だが、魚雷という殺戮兵器の上を這い回って消えた。敗戦を目前として、その長物が無用の長物であることを「小動物」に教えられるようだ。その姿は兜太自身とも重なるのかもしれない。
水脈の果て炎天の墓碑を置きて去る  兜太
内地への帰国船での作。島に残した亡き戦友のみならず、これまでの自分への追悼も込められている。グアム島までは激しい船酔いに苦しめられたが、同島を出てからは不思議と船酔いは治まった。その直後、これからの生活に命をかけて生きる覚悟が定まったという。兜太は後の人生を俳句に捧げることでもののふから人間への再生を決意したのである。

5. 戦後俳句における、俳句改革の旗手
(1) 日本銀行復職と転勤。(昭和22年2月) 従業員組合の事務局長。その後、福島支店に約3年、神戸支店に4年半、長崎支店に三年半と、10年間の地方支店勤務。本店復帰。
① 福島支店時代(昭和25年)
暗闇の下山くちびるをぶ厚くし  兜太
② 神戸支店時代(昭和28年)
朝はじまる海へ突込む鷗の死  兜太
ある朝の神戸港。カモメは再び魚をくわえて飛び上がった。カモメは決して死んだのではない。ここで兜太は「死んで生きる」と思い定める。俳句へかける信念の再生とも取れる。
銀行員ら朝より螢光す烏賊のごとく  兜太
神戸支店の朝。前日、尾道の水族館でホタルイカを見物。この景を非生産性に生きる銀行員への皮肉、批評と取る者多く、社会性俳句の代表と読まれた。
③ 長崎支店時代(昭和33年1月) 転勤時、私の師であった「土曜」主宰・隈治人が駅まで出迎えたが、兜太は「熊襲のような大男」という印象を残している。長崎支店は私の母校・長崎東高等学校(旧姓長崎中学)のある丘の下にある。
湾曲し火傷し爆心地のマラソン  兜太
粉屋が哭く山を駈け降りてきた俺に  兜太
美智子様のご婚儀から、その父・日清製粉社主と絡めて鑑賞されたが関係なし。旗揚げで賑わう長崎の山から降りたら、製粉工場のおじさんらしき人が寂しげに立っていた。
長崎では五島列島、平戸、島原に遊ぶ。
殉教の島薄明に錆びゆく斧  兜太
「殉教の島」:五島列島は、潜伏キリシタンの歴史と殉教の記憶が濃密に残る土地。「斧」:処刑・暴力の具体物というより、歴史的暴力の象徴として置かれ、時間の経過(錆)によって“過去が現在に沈殿する”感触を生む。「薄明」:夜明け/夕暮れの境目は、死と生の臨界を示す時間。平安時代、五島は「亡き人に逢える島―みみらくのしま―」(『蜻蛉日記』)として紹介され、生と死が交錯する時空でもあった。
(2) 日本銀行本店復帰
日本銀行本店時代(昭和35年5月)杉並区沓掛町に住む。
果樹園がシャツ一枚の俺の孤島  兜太
長崎から東京に移り、秩父や戦地と違って「土」が少ない都会にあって、近くの果樹園の土に親しんで、「風土」を楽しむ。
(3) 現代俳句協会の分裂
昭和22年、石田波郷らにより現代俳句協会が創設されたが、昭和36年の協会賞選考を契機とする世代間対立から分裂し、中村草田男らが俳人協会を設立した。この流れの中で、兜太ら前衛俳句は五七五を守りつつ、季語必須としない立場を示した。

6. 「造型」の詩法
兜太の俳句革新の理論的基盤は、昭和三十六年『俳句』掲載の「造型俳句六章」にある。兜太は近代俳句を、花鳥諷詠や写生構成に代表される諷詠的傾向、草田男らの象徴的傾向、赤黄男らの主体的傾向に分類し、いずれも「私」と世界を分ける主客二元論に陥りやすいと批判した。そこで主客の間に「創る自分」という新たな自我を導入し、現象学的エポケーによって物自体へ迫ろうとする造型の方法を提示した。
しかしその試みは独り善がりに陥る危険も孕む。〈粉屋が哭く〉句をめぐり、小西甚一は独り合点として否定したが、原子公平は異質な運動感覚の共有、すなわち間主体的自我の成立として評価した。兜太はこの間主体性を通じて社会性俳句へ進み、さらに超越論的主体へと深化させ、言葉を観念の死から生へと回復しようとした。

7. 「ふたりごごろ」による総体性
いずれにしても、のちに兜太は俳諧を「情(ふたりごころ)を伝える工夫のさまざま」であるとし、自己の内に閉じこもる「心(ひとりごころ)」に対する他者に開かれた「ふたりごごろ」に注目するようになる。このことはまさに個別的自我や間主体的自我から超越論的自我への志向を示すものである。フッサールの超越論的還元においては、その総体性を保証するものを類比的統覚という漠然とした概念で捉えているのに対して、兜太はその超越論的還元の保証を「風土は肉体である」という原初的な体感的共有感覚に求めたのである。

人体冷えて東北白い花盛り  兜太

「私」ではなく思考以前の「人体」が置かれる。特定の花名を避けた「白い花」は、東北の風土そのものが春として立ち上がった姿である。冷える身体と白い花が説明なく並び立つことで、人と自然は対立せず共在する。そこに兜太のいう「ふたりごころ」が生まれ、死に近い冷えの中から、かえって確かな生の感覚が浮かび上がる。

8. 「生きもの感覚」
兜太にとって「荒凡夫」とは、一茶の言葉に示された、作為を脱いだ自由で平凡な人間像であった。ものに裏打ちされた言葉が生き、本能のままに生きる命どうしが触れ合う感覚である。兜太は一茶や山頭火に憧れつつも、自己の風土と体験を通して、独自の「生きもの感覚としての荒凡夫」を目指した。

9. 「産土の風土」に裏打ちされた詩境
猪がきて空気を食べる春の峠  兜太
森羅万象における詩的相互交流によって、やがて、秩父という産土の風土に裏打ちされた「生きもの感覚」すなわちアニミズム的感性による大いなる生命が句に立ち現れるようになる。
梅咲いて庭中に青鮫が来ている  兜太
兜太の住んだ熊谷は縄文海進の記憶を持つ。咲き満つ梅は珊瑚のように庭を仄めかし、青鮫が寄り来る気配を醸す。白と青の交錯のうちに、兜太がいう「生きもの感覚」に裏打ちされた「情」が、古今を貫いて感応する。

10. 金剛三昧院のこと
(1) 「還源為思」
数年前、私が結縁灌頂を受けに高野山を訪れた折、たまたま金剛三昧院の宿坊に泊まった。そこに金剛峯寺座主・松長有慶先生揮毫の「還源為思」が掲げられていた。その語は、空海の「性薫我を勧めて還源を思いとす。経路、未だ知らず。岐に臨んで幾たびか泣く」(『遍照発揮性霊集』)に由来する。生まれながらに備わる仏心(性薫)に促され本源へ還ろうとするが、道が見えず分岐点で泣かずにいられない――その切実な懊悩がここにはある。空海が用いた「泣く」は日常的悲嘆ではなく、覚醒へ向かう途上で避けがたい根源的苦悩の表現である。この姿は、造型の詩法が理解されず苦闘した兜太の〈粉屋が哭く山を駈けおりてきた俺に〉と重なり、表現の岐に立ちつつ本源を志向する創作者の精神的葛藤を照らしている。
(2)「粉屋」は誰だったのか
〈粉屋が哭く〉の「粉屋」は、単なる抽象的他者ではなく、理解されず、なお働き続け、哭くことしかできない「ひとりごころ」を体現する存在であった。私はかつて、異質な運動感覚の同化や間主体的共有の立場からこの句を擁護したが、今振り返れば、そこには新しい俳句の方向を模索し苦悩する若き兜太自身の姿が重なっている。粉屋は作者であり読者であり、なお本源に至れぬ「思」そのものでもあった。しかしこの哭きは徒労ではない。仏教的に言えば、智慧へ至る道は必ず我執の焼失という懊悩を通過する。〈粉屋が哭く〉は、兜太の造型論や社会性俳句が燃焼の途上にあったことを示す、智を通過する際に避けられない苦悩の噴出なのである。
(3) 還源為思 = 定住漂泊
ここで二つの言葉が、完全に重なります。還源為思 帰る場所はまだなく、しかし帰ろうとする衝動だけが確かにある。定住漂泊 定着しているようで、実はつねに移動している存在のあり方であり、これは、「到達点」ではなく「駆動形式」である。
兜太は、「社会性」や「前衛俳句」に止まったのではなく、つねに「思としての還源」に駆動され続けた結果、「ふたりごころ」それを裏打ちする「生きもの感覚」「産土の風土」というものに重きを置いていったと言える。
その最終形が、生前最後の句集の題名でもある「日常」であり、句集『日常』収められている、以下に記す、高野山での句に示されている。
① 山も谷も若葉が埋める空海なり  兜太
見えているもの:山も谷も若葉でびっしり。世界が緑に覆われる。兜太は「その緑ぜんぶが、空海みたいだ」とかみ砕き、空海は「偉人」じゃなくて、いま目の前の自然の「気配」として立ち上がる。
② 金剛三昧院石楠の花は智慧だ  兜太
兜太はここで、「智慧とは何か」を説明しない。考えた末に結論を出したのでもない。
ただ、石楠の花は智慧だと、言い切ってしまう。金剛三昧院は、智慧を求めて修行する場所。けれど兜太は、智慧を語る建物よりも、黙って咲いている花の方を見て、こちらが智慧だ、と見抜いた。石楠の花は、悟ろうともしないし、理解されようともしない。ただ、咲いている。そこに在る。
兜太は生涯、造型だとか、社会性だとか、智の言葉を徹底的に生きた人だった。逆説的に、だからこそ、智を生き切った末に、智を説明しなくてよくなった。それは、金剛を捨てたのではない。金剛が、そのまま慈悲として、日常に現れてしまった。金胎不二の一句である。
同じ感覚は、「人体冷えて東北白い花盛り」にもはっきり出ている。ここでは人間は「私」ではなく、ただの「人体」になる。冷える身体と、咲き満ちる白い花が、同じ場所で、同じ空気を分け合っている。人と自然が向き合うのではなく、並んで立っている。
石楠の花も、白い花も、智慧を語らない。ただ、生きものとして在る。
③ わが夢寐に石楠の花厚く溜る  兜太
兜太はもはや外の景色を見ていない。山も寺も花も一度すべて自らの内側に引き取られている。「夢寐」とは単なる夢や睡眠の時間ではなく、生きている時間そのものが、どこか夢のようであり、同時に死に近くもある、そのあわいの感覚を示す語である。その深部に、石楠の花が一輪二輪ではなく「厚く」溜っている。それは考えて得た智慧でも修行の成果でもなく、説明もできない。ただ、生きているうちに知らぬ間に、花のような智慧が身体の奥に沈殿してしまったのである。兜太はそれを誇らず、悟りとも言わない。ただ「そうなってしまった」と静かに受け止める。若き日に智を尽くし、悩み、哭き、走り続けた末に辿り着いたのは、もはや多くを語らなくてよい場所だった。この一句は、生きもの感覚に裏打ちされた時間そのものが智慧へと転じ、生ききった先にもなお生が続いていることを、そっと示している。

11. 生死を越える句境
(1) 大患を克服して、死の危機を克服。
① 胆管癌 : 見つかったときには治癒困難な癌だが、奇跡的に手術が成功。
② 類天疱瘡 : 長谷川櫂氏の機転ある導きによって慶應義塾大学病院に入院し、無事完治。

よく眠る夢の枯野が青むまで  兜太

兜太晩年の句境を象徴する一句である。兜太は朝夕、亡き人の名を唱える称名とともに、神棚の前で三十分から一時間の立禅を行い、心気を整え、産土の神々や死者との交感を深めていた。睡眠を疑似的な死の体験と捉える兜太にとって、「よく眠る」とは死者との篤い交わりであり、その夢の中で枯野は青み、命は再び輝く。立禅と称名に裏打ちされたこの一句は、生と死を隔てず、命の不滅を静かに確信する境地を示している。

12. 死の床に再会
(1) 誤報
時事通信は2月19日午前6時50分ごろ、俳人で文化功労者の金子兜太が死去したとの記事を配信したが、後に誤報だと判明し、約1時間後に記事全文を取り消した。私は慌てて先生が入院している熊谷市の病院を訪ねると、面会謝絶にもかかわらず、先生とお目にかかれて、最後の貴重なひとときを得たことは幸いであった。
(2) 最期の別れ
片目にて笑む師のなみだ風光る  高資
永日や手のひらに手のひらを置く  同
(3) 墓参
月命日の2025年4月20日、秩父長瀞の菩提寺・総持寺を訪ねたが、墓所が分からず彷徨っていると、竹林から現れた女性に導かれた。後にその方が住職夫人であり、筍まで頂くという不思議な縁が重なった。同行の干野風来子さんと墓掃除をしたが供華を忘れ、近くに咲いていた諸葛菜の紫花を供えたが、後になって兜太が同じ花を詠んでいたことを思い出し、奇遇を覚えた。墓前で感じた先生の気配は錯覚ではないように思われ、〈諸葛菜猫が猫背で往き来して〉の句が、時空を超えて「人は死なない」という言葉を確かに裏打ちした。

13. 私との出会い
私が初めて金子兜太先生にお目にかかったのは四十年前、高校生の頃である。隈治人主宰「土曜」全国大会での講演で、兜太先生が語った「俳句は寸鉄詩」という言葉は、花鳥諷詠・有季定型を旨としていた私に強烈な衝撃を与えた。講演後に言葉を交わした記憶は定かでないが、その印象は深く残った。その後、俳句から離れていた時期に、全国学生俳句大会で文部大臣奨励賞を受賞したが、これは兜太先生の選考によるものであった。俳号も異なり、私とは気づかれなかったはずだが、この僥倖を機に個人的な師事を許された。現代俳句新人賞受賞後、第一句集『海馬』は兜太先生の帯文を得て中新田俳句大賞・スウェーデン賞に選ばれ、さらに評論賞を受賞。先生の推挙で朝日新聞俳句時評を二年間担当し、のちに「海程」同人にも推挙された。
その後、紆余曲折を経て俳句の道を歩む中で、人生の岐に立たされたとき、最初に手を差し伸べて下さったのが兜太先生であった。電話での励ましはもちろん、手紙には「何かのときは小生に連絡あれ」とあり、涙が止まらなかった。まさに不肖の弟子にもかかわらずいつも温かいお心で長きに亘って私を支えて下さった大恩は死んでも忘れることはできない。

「歌舞伎」に感じる季節  歌舞伎役者 松本幸四郎

きごさいBASE 投稿日:2026年1月1日 作成者: dvx223272026年1月13日

 明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願い申し上げます。
 歌舞伎役者の家に生まれ52年、歌舞伎役者になって46年になります松本幸四郎です。曽祖父・七代目松本幸四郎が九代目市川團十郎に入門して以降、代々歌舞伎役者を生業としています。
 四季のある日本で生まれた「歌舞伎」は、季節を敏感に捉えていてそれが作品に影響をしています。お正月は「初春歌舞伎公演」として1月2日から始まります。お正月らしいおめでたく、明るい演目が並び、客席もお着物姿の方が多く劇場全体が彩の鮮やかな空間になります。年末のお稽古があって。元旦のお年始回りそして2日が舞台の初日となりいつにも増して慌ただしいですが、その慌ただしさがお正月を実感できる時でもあります。
 2月は節分の日には、舞台の幕間に鬼が出て豆まきを一座でするイベントがあり、4月は桜が舞い散る演目が上演されます。お花見にはあまり行ったことはないのですが、舞台装置の桜の大木が象徴的に描かれている演目に出演すると本物の桜よりも美しさを感じています。
 夏になるとお客様に猛暑を忘れていただくために本当の水を使って滝を作り、その中で役者はずぶ濡れになっての立廻りがある作品が上演されます。勧善懲悪は歌舞伎の得意な作品ですが、「夏芝居」と言われる真夏での上演は、ひときわ水しぶきが飛ぶお芝居でお客様に清涼感を味わっていただきます。
 冬になると本来無音の「雪」に「雪音」という大太鼓で音を作り、シンシンと降る雪を表現する作品が上演されます。寒さをさらに感じる世界ですが、人と人とが深く繋がる温かな人情話が展開される演目が上演されます。
 私は「歌舞伎」によって季節を感じているのかもしれません。全国にある「地芝居」には伝統、そして先人を大切にする日本の温かな心を感じます。日本が産んだ日本らしさを感じる「歌舞伎」、あらゆる時代に生きてきた歴史を紐解く「歌舞伎」を楽しんでいただければと思っています。誰よりも私が楽しんでいるのかもしれませんが・・・。

【筆者略歴】
1973年1月8日生まれ。松本白鸚の長男。79年3月歌舞伎座「侠客春雨傘」で三代目松本金太郎を名のり初舞台。81年10・11月、歌舞伎座「仮名手本忠臣蔵」七段目の大星力弥ほかで七代目市川染五郎を襲名。2018年1・2月歌舞伎座で十代目松本幸四郎を襲名。日本舞踊の松本流家元を兼ねる。屋号は高麗屋。26年1月は歌舞伎座「女殺油地獄」で河内屋与兵衛を演じる。

*各界の第一線で活躍している方の「四季のエッセイ」は1、4、7、10月1日に掲載します。次回は4月1日です。

「きごさい歳時記」を全面改訂へ

きごさいBASE 投稿日:2025年12月31日 作成者: dvx223272026年1月8日

「きごさい歳時記」につきましては、2008年3月の開始以来、多くのみなさまにご利用いただいておりますが、今後、ネット歳時記の需要が益々高まることが想定されるなかで、内容をさらに充実させるべく、全面的な改訂を実施することといたしました。
具体的には、現在の項目(主季語)約5000語を確認の上、必要に応じて主季語の追加、子季語・解説・例句の見直し等を、概ね5年を掛けて進めてまいります。

2026年は項目(主季語)の確認・追加検討に集中し、本体の更新は2027年から始まります。その後も順次改訂を進め、豊かで分かりやすい「きごさい歳時記」を追求いたします。ご期待ください。

2026年2月7日(土) Zoom でHAIKU+、講師は五島高資さん

きごさいBASE 投稿日:2025年12月14日 作成者: dvx223272026年1月30日

「HAIKU+」の新シリーズ「戦後俳句の検証」
現在ご活躍中の俳人・俳句研究者をお迎えして、戦後の俳句に多大な影響を及ぼした俳人についてご講演をいただきます。
2026年最初のHAIKU+は、俳人で「俳句スクエア」代表の五島高資(ごとう・たかとし)さんによる「金子兜太論」です。
遠方の方も参加しやすいZoomを使ったオンライン講演です。ぜひご参加ください。

日 時: 2026年2月7日(土)
13:30から

演 題 : 人間・金子兜太に迫る

講 師:  五島高資(ごとう・たかとし)

<プロフィール> 
 1968年長崎市生まれ。ホトトギス同人・森大鈴に師事、その後、金子兜太に師事。現代俳句新人賞、加美俳句大賞・スウェーデン賞、現代俳句評論賞、日本血液学会奨励賞など。「俳句スクエア」代表、「豈」同人。日本俳句協会理事長、現代俳句協会・GHOC 現代俳句オープンカレッジ講師、日本文藝家協会会員。
句集に『海馬』、『雷光』、『蓬萊紀行』、評論に『芭蕉百句(英訳付)』、『平畑静塔の百句』など。医師(血液内科)、博士(医学)。

<講師よりひと言>
  戦後、金子兜太は前衛俳句運動の中心的存在として「造型」の俳句理念を提唱した。これは、近代俳句の根本前提であった主客二元論を超克する新たな詩法であり、対象のみならず作者自身をも対象化する「創る自分」という高次の主体を措定することで、主客一如の詩境へ到る試みである。後年、兜太が「生きもの感覚」と呼んだ生命的・体感的な共有感覚がその詩境を裏打ちすることによって兜太俳句の本領が発揮されることになる。
 本講演では、兜太の作品を精査しつつ、この造型論が俳句史において果たした意義を明らかにしたい。また、講演者自身が兜太と交わった出会いから永訣までの歳月を振り返り、人間・金子兜太の実像に迫りたい。

2026年2月7日(土)13:30から
13:15 Zoom入室開始
13:30~15:00 講演 
15:00~15:45 長谷川櫂(きごさい代表)との対談、質疑応答     

「動物季語の科学的見解(両生類と爬虫類)」を追加しました

きごさいBASE 投稿日:2025年9月25日 作成者: dvx223272025年10月1日

 東海大学教養学部の藤吉正明先生による「動物季語の科学的見解」の追加です。四回目は両生類と爬虫類の20季語、

蛙(かわず)、蟇穴を出づ(ひきあなをいづ)、蝌蚪(かと)、青蛙(あおがえる)、雨蛙(あまがえる)、いもり、海亀(うみがめ)、河鹿(かじか)、亀の子(かめのこ)、山椒魚(さんしょううお)、蜥蜴(とかげ)、飯匙倩(はぶ)、蟇(ひきがえる)、蛇(へび)、蝮(まむし)、守宮(やもり)、牛蛙(うしがえる)、蛇衣を脱ぐ(へびきぬをぬぐ)、秋の蛙(あきのかわず)、冬眠(とうみん)

 以上季語の解説が新しくなりました。ぜひ、お読みください。今後は、昆虫、魚類などについての改訂も予定しております。
 なお、今回の改訂にあたって引用及び参考にした文献は以下の通りです。

引用及び参考文献
・岩村恵子(訳)(一九九九)最新ヘビ学入門、平凡社
・内山りゅう 他(二〇〇二)決定版日本の両生爬虫類、平凡社
・亀崎直樹(二〇一二)ウミガメの自然誌、東京大学出版会
・川添宣広(二〇二〇)日本の爬虫類両生類生態図鑑、誠文堂新光社
・関慎太郎(二〇〇八)身近な両生類・はちゅう類観察ガイド、文一総合出版
・関慎太郎(二〇二一)野外観察のための日本産両生類図鑑 第三版、緑書房
・日本ウミガメ協議会
https://www.umigame.org/umigamenitsuite/cn11/kyoukasho_seikettei.html
・日本爬虫両棲類学会 編 (二〇二二)新日本両生爬虫類図鑑、サンライズ出版
・比婆科学教育振興会 編(一九九六)広島県の両生・爬虫類、中国新聞社
・松井正文・前田憲男(二〇一八)日本産カエル大鑑、文一総合出版
・松橋利光・奥山風太郎(二〇一五)山渓ハンディ図鑑九 日本のカエル 増補改訂察ガイド、山と渓谷社
・松橋利光・富田京一(二〇二五)山渓ハンディ図鑑 日本のカメ・トカゲ・ヘビ、山と渓谷社

恋の俳句大賞(2025年前期)大賞はなし

きごさいBASE 投稿日:2025年9月7日 作成者: dvx223272025年9月24日

【大賞】
該当作なし

☆村松二本 選
【特選】   
月光を浴びて弥勒のやうなきみ   千葉文智
君に逢ふたびに菜の花蝶と化す   綾竹あんどれ
【入選】
日焼けして恋はキャラメルコーン味 深谷健
さよならは無色透明夏の海     折田祐美子
ゆきむしのゆの字のやうな恋でした げばげば
肩ふれて祭の夜は火の匂ひ     薮下瑞香
マヨラーの君にハムカツ作る夏   城内幸江
毛糸玉手品のように愛を編む    大野喬

☆趙栄順 選
【特選】
ぼくの右手きみの左手夕立来る   押見げばげば
ゆく春や百まで惚れて土に帰す   まんぷく
休日の香水の君知らざりき     縄田ゆみこ
ひまわりの高さのキミとキスをする 中西羽音
恋心10℃冷まして夕立過ぐ     澤田紫
【入選】
友情は恋には勝てず青林檎     尾澤慧璃
風鈴や揺れて戻らぬ恋ひとつ    長楽健司
好きですと言うには夜が足りぬ夏  後藤喜生那
山笑う少し大きなラブレター    中原壱朋
星飛んでバームクーヘン半分こ   椋本望生

☆長谷川櫂 選
【特選】
涼しさや敬語は恋の防波堤     陽子
【入選】
遠花火君の全てを忘れまじ     円美々
夕映えや湘南テラス二人の夏    倉森愛華
ぼくの右手きみの左手夕立来る   押見げばげば
日焼けして恋はキャラメルコーン味 深谷健
大好きを少しくださいかき氷    城内幸江

8月16日きごさい+報告 「平安時代の菓子とは?」

きごさいBASE 投稿日:2025年8月29日 作成者: dvx223272025年9月24日

                       
 「平安時代の菓子とは?」  講師:虎屋文庫 中山圭子

【講座レポート】
 菓子といえば甘い味をイメージするが、確か平安時代はまだ砂糖はなかったはず。
本日の演題「平安時代の菓子とは?」 の「?」が、レジュメにそって中山さんの明快なお話と画面に映る貴重な画像で解き明かされていった。
平安時代(794~1185)の貴族の食は、米を中心に魚介や山菜、野菜類を用い、調味料は塩、酢、酒、醤(ひしお)。菓子とは主食以外の副食、嗜好品を指し、具体的には①木の実・果物 ②餅類 ③唐菓子があるそうだ。

〇平安時代の菓子 
①  木の実・果物
②  餅類: 餅は稲作や霊魂の象徴
  五穀豊穣・子孫繁栄・除災招福 祈りや願いを込めて神に捧げ、共食した。
  年中行事との結びつき
  三月三日の母子餅(草餅)、五月五日の粽、十月亥の日の亥の子餅は平安時代から今も続いていることにびっくりした。
  正月の餅はそもそも歯固めの餅だったのか。
  人生儀礼
  三日夜の餅:当時は通い婚だったが三日通ったら正式に結婚の祝いとして、三日目の夜、三日夜の餅を用意したという。
  五十日の餅、戴餅: 子どもの成長を祝う。生まれて一年目の子どもの背に一升餅を背負わせる行事が今でもある。
③  唐菓子
遣唐使などが中国より伝えた菓子。多くは米の粉や小麦粉をこねて形作り、油で揚げている。
梅枝、桃枝、餲餬、桂心、黏臍、饆饠、団喜(歓喜団)、結果、餢飳(伏兎)、餛飩、餺飥、粉熟、
餅餤、糫餅、索餅(麦縄)、捻頭(麦形)など
中山さんの解説と図版の画像で、唐菓子の形や名前にそれぞれ意味や願いがあることがわかり興味深かった。「餅」は中国では小麦粉で作った製品を意味する、という説明にもはっとした。飛鳥~平安時代に渡ってきて米粉でも作られるようになったのだろうか。また、図版では唐菓子が器に高く積み上げられていて、平安時代はそのような盛り付け方をしたのか、とちょっと不思議だった。この盛り付け方も中国の影響だろうか。
現在、唐菓子の一部は神饌として受け継がれているという。

  
〇甘味料 甘葛(あまずら) について
唐菓子の甘味にも使われたという甘葛(あまずら)。でも何と言っても『枕草子』の 「あてなるもの~~削り氷(けずりひ)にあまづら入れて、あたらしき金鋺(かなまり)に入れたる。」にあこがれる。何しろ「あてなる」は「貴なる」、まさに平安時代のイメージだ。中山さんは「甘葛再現プロジェクト」に参加したことがあるそうだ。甘葛は冬の間に甘味を増した蔦の樹液を煮詰めたもの。適宜に切り、一方から息を吹き樹液を滴らせ、それを十分の一まで煮詰めて、甘葛を再現したとか。上品な甘さで、蜂蜜のような色合いだった、とのお話にいよいよ想像がふくらむ。甘葛をかけた削り氷が入った金属の一椀、虎屋が再現したレプリカがとても美しく、まさに「あてなるもの」だった。でも蔦の樹液を集めるのも煮詰めるのも相当な手間と時間がかかり、削り氷は氷室の天然の氷を運ばせて、となれば一杯百万円ぐらいする高価なものではないか、とのお話にため息がでた。

 〇古典文学に見える菓子
以下の物語の中で菓子の出る場面が紹介された。当時の人々の暮らしと菓子との関わりがいきいきと描写されており、そして千年も前の菓子が現在に通じることにも驚いた。
『伊勢物語』とかざり粽 :宮中の端午の節句には厄除けとして粽を用意。
『土佐日記』と糫餅 :糫餅を売る店とも解釈されるが、諸説あり。
『和泉式部集』と母子餅 :花のさと心も知らず春の野に いろいろつめるははこもちひぞ
上巳の節句には厄払いのため、香りの強い草餅を食べる風習があった。昔は母子草(春の七草のひとつ、ごぎょう)を用いた。
『枕草子』と青ざし・餅餤 :青ざしは昭和頃まで存在したという青麦の菓子。餅餤は唐菓子の一つ。
『今昔物語集』と麦縄 :麦縄は索餅に同じと考えられる。素麺の原形。
『源氏物語』と亥の子餅(葵)、椿餅(若菜上)、粉熟(宿木)
亥の子餅は時代とともに変化、現在の椿餅は餡入り、粉熟はしんこ餅の一種。
「若菜上」には公達たちが蹴鞠のあと歓談しながら椿餅や木の実などを食べた場面がある。今で言うとスポーツの後のおやつのようなものか、と微笑ましい。そして「葵」の亥の子餅が出る場面で、惟光と源氏のやりとりにくすっとしてしまうのは、先に中山さんの「三日夜の餅」の解説を聞いたからだ。

〇平安時代の美意識の影響
江戸時代に花ひらき、洗練され、現在に至るすばらしい和菓子の文化、それは千年前の平安時代の雅びな美意識を受け継いだものだった。江戸時代の上菓子(白砂糖を使った上等な菓子)の銘や意匠に、平安時代の和歌や物語にでてくる言葉や名前、絵巻に見るような衣装の配色「かさねの色目」などが使われているという。江戸時代の人々の古典の教養の深さにあらためて感じ入った。そして王朝時代の美意識を受け継いだ、菓子の文化、和の文化に日本人として誇りを感じた。
 
***
「中山さんの和菓子の講座も今回で9回目、9年目になります。」と司会から紹介した。それを受けて、本日初めて参加した方から、「9回目とは!このような講座が開かれているのを知らずに残念。今までの講座も聞きたかった。一冊にまとめる予定はありませんか?」と質問があった。残念ながらその予定はないが、そういう方に中山さんのご著書『事典 和菓子の世界 増補改訂版』(岩波書店)をお勧めしたい。写真やイラストが美しく、中山さんの明快で親しみやすい語り口を彷彿とさせる解説が楽しく充実している。コラムも珍しい図版とともに内容が濃い。
中山さんには来年も講座をお願いする予定です。            (葛西美津子記)

参考文献
中村義雄『王朝の風俗と文学』塙書房1962年
山中裕『平安朝の年中行事』塙書房 1972年
‐平安建都1200年記念‐『王朝の雅と和菓子』展 虎屋文庫展示小冊子 1994年

菓子関係展示情報
○とらや東京ミッドタウン店ギャラリー 特別展「夏休み!寒天博士になろう」9月17日(水)まで
○とらや赤坂店地下一階ギャラリー 「和菓子が出会ったパリ」 10月14日(火)まで 
○新潟県立歴史博物館 「飴・糖・あめ展」 9月6日(土)~10月19日(日)

虎屋文庫について
和菓子文化の伝承と創造の一翼を担うことを目的に、昭和48年(1973)に創設された「菓子資料室」。室町時代後期創業の虎屋に伝わる古文書や古器物を収蔵、和菓子に関する資料収集、調査研究を行っている。学術研究誌『和菓子』を年1回発行。
非公開だが、お客様からのご質問にはできるだけお応えしている。
株式会社 虎屋 虎屋文庫 〒107-0052 東京都港区赤坂4-9-17 赤坂第一ビル2階
E-mail bunko@toraya-group.co.jp TEL 03-3408-2402 FAX 03-3408-4561

〇講演のあと、句会が開催されました。 選者: 中山圭子、長谷川櫂
中山圭子 選
【特選】
声だして笑ふ姫君夏氷           森永尚子
古都の菓子食みて秋思をなぐさめん     越智淳子
れもん水飲み干す君の息踊る        狩野恭子
懊悩は底へ預けて水海月          伴
桃と息合はせて桃の皮を引く        金澤道子
京菓子を選ぶに迷ひ秋はじめ        斉藤真知子
【入選】
それぞれの顔はたがひぬ鮎の菓子      村山恭子
朝顔は青空掴むつもりらし         きだりえこ
かき氷削りし音の涼しさよ         谷口正人
水はじくうぶ毛をなでて桃あらふ      金澤道子
かき氷とらやの宇治の山みやび       西川遊歩
名水に水まんぢうのたゆたひぬ       村山恭子
この星に飢うる子ありて豊の秋       鈴木美江子
錦玉の流れに星撒く天の川         西川遊歩
空襲で溶けし羊羹敗戦忌          西川遊歩
つやつやの盆にぼたもち盆の入り      鈴木美江子
長き夜の菓子千年の物語          澤田美那子
水輪ゆれ真中にしんと水羊羹        飛岡光枝

長谷川櫂 選  (推敲例)
【特選】
洗ひたる墓に一切れ芋やうかん       葛西美津子
バラバラでも家族朝顔がひらく       田島博美
水輪ゆれ真中にしんと水饅頭        飛岡光枝
【入選】
白桃と息を合はせて皮を引く        金澤道子
空襲で溶けし羊羹敗戦忌          西川遊歩
握り鋏の音涼しさよ飴細工         飛岡光枝
月影や妻の好みの黒羊羹          花井淳
新盆や志ほせ饅頭乞はれ買ふ        西川遊歩
長き夜の菓子千年の物語          澤田美那子
琥珀羹夏の名残の水の色          澤田美那子

10/18(土) Zoom でHAIKU+、講師は髙田正子さん

きごさいBASE 投稿日:2025年8月11日 作成者: dvx223272025年12月2日

「HAIKU+」の新シリーズ「戦後俳句の検証」
現在ご活躍中の俳人・俳句研究者をお迎えして、戦後の俳句に多大な影響を及ぼした俳人についてご講演をいただきます。
今回は、俳人で「青麗」主宰の髙田正子(たかだまさこ)さんによる「黒田杏子論」です。
遠方の方も参加しやすいZoomを使ったオンライン講演となります。
Zoomは初めてという方も、パソコン、スマートフォン、タブレットを使用されていれば、比較的簡単に視聴できます。ただし事前に参加申し込みが必要です。詳細は下記の<申込み案内>をご覧ください。

日 時: 2025年10月18日(土) 13:30から

演 題 : 黒田杏子の俳句――「巡礼」の句業

講 師:  髙田 正子(たかだまさこ)

<プロフィール> 
 1959年岐阜県生まれ。大学を卒業するころ黒田杏子師に出会い、師を囲む勉強句会「木の椅子」、「あんず句会」等に参加。1990年「藍生」創刊と同時に入会。2023年師の逝去に伴い「藍生」終刊。同年8月10日、師の誕生日をもって「青麗」設立。2024年1月「青麗」誌創刊。俳人協会理事。「中日新聞」俳壇選者。
句集に『花実』『青麗』等。著書に『黒田杏子の俳句』『日々季語日和』等。編著書に『黒田杏子俳句コレクション』全4巻。 

<講師よりひと言>
  黒田杏子の最晩年にあたる時期に、「藍生」誌上に「テーマ別黒田杏子作品分類――先生の○○」(○○には「葱」「ふたり」等、月号ごとの主題が入る)と題する連載ページを持った。創刊して30年ともなれば、主宰の俳句を知らない会員もいるはずだから、という理由で選んだテーマであったが、そもそも私自身が全くわかっていなかったという重大な事実に気づくこととなった。3年に及んだ連載の間には、師とのコラボのようになった回もある。まずは髙田の目を通した黒田杏子とその作品を紹介するところから始めたい。

2025年10月18日(土)
13:15 Zoom入室開始
13:30~15:00 講演 
15:00~15:45 長谷川櫂(きごさい代表)との対談、質疑応答     
 
<申込み案内>
1. 参加申し込み受付 10/9まで:

6月21日 第38回きごさい+ 報告

きごさいBASE 投稿日:2025年6月25日 作成者: dvx223272025年9月24日

鮎の話=釣り、味、歴史  講演= 鈴木康友(つり人社会長)
                          レポート=西川遊歩


 鮎は夏の季語ですが、春や秋にも跨る川の王と呼ばれる魚です。しかし、実際には鮎や鮎釣りについて、深く知っている人は多いとは言えません。鈴木康友さんは、つり人社の編集者であると同時に、優れた釣り人としても名を馳せていて、鮎について、多面的な視点から映像と体験に基付くレクチャーは、大好評でした。

☆縄張りに侵入した野鮎を追い払う習性を利用した友釣り“。
 針に付けたエサを食わせる釣りではない友釣りは、鮎の習性を利用したユニークな釣りである。縄張り意識の強い鮎は、侵入してくる鮎に激しくアタックするところを、囮鮎に仕組んだ針に掛ける。その行動のパターンと囮と仕掛けの仕組みの説明がなされ、友釣りの面白さが伝わって来ました。
鮎は清澄な川が生活圏ではなく、石に苔が付く流れを好む、という話題をきっかけに、日本の川についての現状が語られました。友釣り以外の釣り方としては、ドブ釣り、コロガシ釣り、サクリ釣り、ルアー釣りなど。友釣りの人たちは、他の釣人と比較すると長時間川に居る傾向が強いそうです。
友釣りの時代の移り変わりを映像にて説明。竹竿時代から、今は、スペースシャトルにも使用される新素材の鮎竿の時代です。ナイロン、フロロカーボン、金属、ハイブリッド、新素材の開発と釣り人のさらなる工夫が、釣り方をさらに進化させます。
糸は細くて丈夫で結びやすいものが商品化され、ハリ先も薄く鋭く強靭となり、長時間、川に立ち込んでも冷えないウエアも開発されています。日本の釣り具制作技術は世界最高レベルであることを知り、その技術の競い合いも垣間見えました。道具の歴史の場面で、昭和の狩野川の解禁日の写真が出て、釣り人のごった返す数の多さに、竿の乱立する風景にびっくりしました。

☆友釣りの名人たちと鮎の塩焼き
毎年、鮎釣りの大会が、全国のあちこちの川で開かれます。そこでの優勝者や上位入賞者の常連は、メディアの露出が多くなり、鮎の友釣りの名人として有名になり、釣り道具のテスターなどを依頼されるようになります。しかし、鮎釣りのプロの制度は無く、その魅力にはまり込んで、人生を台無しにする人もいるそうです。名人級の釣り人の川の流れや鮎の動きを見る五感と知見は凄まじく、独自の仕掛けを考案して、短時間に驚くほどの釣果をあげる力は想像以上のものがあります。
鮎の味は、川ごとに異なります。鮎の食べ方で一番おいしのは、塩焼きで、とくに美味しい川は、中部地方です。美濃の民宿の女将さんの塩焼きの写真が映し出され、頭まで柔らかく食べられる極意が語られました。五面焼きとか串の打ち方とか、要はじっくり丁寧に焼くことが、美味しさのポイントです。天然と養殖の違い、食べる部位の順番……塩焼きについては、会場から多数、質問が出ました。川の特徴を語りつつ、環境や外来種の問題に触れられていたことも印象的でした。
      
☆釣りが巧い編集者と釣りキチ三平 
鈴木康友さんは、編集者として鮎だけでなく、他の釣りにも長けていて造詣も深い。バスフィッシングではカリフォルニアの大会で優勝、アラスカのサーモンダービーでも優勝・・・国内だけでなく海外五十か国での活動、取材もされていています。様々な釣りのジャンルの知識と人脈を、「釣りキチ三平」の作者の矢口高雄さんに惜しみなく提供し、いわば三平の影武者的存在です。漫画はモデルが存在しても別名になっていますが、唯一「呪い浮き」の巻は鈴木さんが実名で登場しています。

   ✝

レクチャー終了後、活発な質疑応答で盛り上がりました。鮎釣りは、男の世界ですが、今回、聴衆は女性の方が多かったのが特徴的でした
 最後に、代表が友釣りの起源と球磨川の鮎についての質問をされました。球磨川の鮎は、日本一大きいサイズが特徴で、尺鮎に出会える鮎釣りのメッカの川のひとつだそうです。数年前に、人吉から八代へ向かっている途中、球磨川沿いの食事処に「鮎の塩焼き」の幟を発見、そこで食べた鮎の大きさと黄金色の美しさに驚いた記憶が甦りました。

句会報告
講演の後、句会が開催されました。    選者:鈴木康友 西川遊歩、長谷川櫂
鈴木康友 選
【特選】
旧道や店はおでんと鮎の串         森永尚子
酒一合鮎のこぼせし化粧塩         森永尚子
釣りてすぐ放つや囮鮎として        金澤道子
万物の鼓動のごとき鮎の竿         村山恭子
手の込んだ料理にまさる焼鮎よ       田中益美
【入選】
骨酒の器も鮎のたたずまひ         橘まゆみ
六月の鮎骨まで食ふや美味し        上松美智子
鮎飯の炊きあがるまで夕寝かな       森永尚子
岩床のひかりの綾に鮎遊ぶ         長谷川櫂
きらきらと朝日に鮎の釣られけり      金澤道子
紀の川の御用鮎師の気骨かな        西川遊歩
鮎の肌流れに磨かれ光り生む        佐藤森恵

西川遊歩 選
【特選】
夕あかね鮎一匹も釣れぬ日の        矢野京子
きらきらと朝日に鮎の釣られけり      金澤道子
雲走る大峰山や鮎の竿           玉置陽子
激流に浮かぶ一軒鮎の宿          飛岡光枝
鮎釣の一人一人の静寂かな         飛岡光枝
川の香の馥郁と鮎焼かれけり        長谷川櫂
【入選】
囮鮎あぎとふ水の青さかな         飛岡光枝
力ならどこにも負けぬ土佐の鮎       森永尚子
鮎飯の炊きあがるまで夕寝かな       森永尚子
串鮎の己の香りを知らぬまま        佐藤森恵
四万十は鮎も千草の匂ひかな        イーブン美奈子
語らひて鮎釜めしのほのぼのと       鈴木美江子
鮎食うて明日の泳ぎの達者なる       村山恭子
鮎の宿豊かに濡れる雨の川         上村幸三
吉野芳き川に佳き鮎小ぶりにて       イーブン美奈子
背にふたつ嘴のあと鮎を焼く        服部尚子
岩喰みて尾はそよぎけり上り鮎       越智淳子
ふるさとの川の匂ひぞ鮎合はせ       葛西美津子

長谷川櫂 選  (推敲例あり)
【特選】
激流に浮かぶ一軒鮎の宿          飛岡光枝
鮎釣の一人一人の静寂かな         飛岡光枝
飛び鮎や闘竜灘は雲の中          玉置陽子
【入選】
きらきらと命戯れ囮鮎           上村幸三
篝火に照るや漆の岐阜団扇         服部尚子
力ならどこにも負けぬ土佐の鮎       森永尚子
鮎飯の炊きあがるまで昼寝かな       森永尚子
水中の鮎友づりの火花かな         西川遊歩
鮎釣りて一生あらかた過しけり       園田靖彦
釣られてはあはれ囮となりて鮎       葛西美津子

8/16(土) ズームできごさい+ 「平安時代の菓子とは?」

きごさいBASE 投稿日:2025年6月21日 作成者: dvx223272025年8月11日

さまざまなジャンルから講師をお迎えして季節や文化に関わるお話をお聞きする「きごさい+」
今回の講師は、きごさい+ではおなじみの虎屋文庫の中山圭子さん。
講演の後、句会もあります。(選者:中山圭子、長谷川櫂)
どうぞぜひご参加ください。

演 題 : 平安時代の菓子とは?
講 師 : 中山 圭子(なかやま・けいこ)
プロフィール:
東京藝術大学美術学部芸術学科卒業。四季折々の和菓子のデザインの面白さにひかれて、卒論に「和菓子の意匠」を選ぶ。
現在、和菓子製造販売の株式会社虎屋の資料室、虎屋文庫の主席研究員。
著作に『事典 和菓子の世界 増補改訂版』(岩波書店)、『江戸時代の和菓子デザイン』(ポプラ社)、『和菓子のほん』(福音館書店)など。

講師のひと言:
平安時代の有名人といえば、昨年の大河ドラマ『光る君へ』で話題になった紫式部、藤原道長、清少納言などが思い浮かぶでしょうか。ドラマでは、菓子はあまり取り上げられませんでしたが、『源氏物語』や『枕草子』などの古典文学を読むと、椿餅やかき氷などが登場し、意外な発見があります。当時の人々の暮らしに思いを馳せながら、約1000年前の菓子の世界を探っていきたいと思います。

日 時:2025年8月16日(土)13:30~16:00  (13:15~ Zoom入室開始)
13:30~14:45  講演
14:50~15:20  句会(選句発表)
15:20~16:00  長谷川櫂(きごさい代表)との対談、質疑応答

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きごさい
1,500円
2025年3月刊行


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長谷川櫂監修 季語と歳時記の会編著
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1,600+税
2014年3月刊行


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2018年4月刊行


『花のテラスで』
福島光加
花神社
1,900+税
2014年9月刊行


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