ローマ司祭、聖バレンタインが殉教死したのが2月14日。この日を記念して愛の日と定められた。愛する人に(特に女性から男性に)チョコレートやいろいろな贈り物をする。日本では1958年頃より流行したらしい。
毎年、バレンタインの日に夫と猫たちにチョコを贈っているが、あまり喜んではくれない。夫はお酒、猫たちは焼き魚のほうがいいらしいのだ。今年はどうしよう、と思っていたら友人の娘のS子が「あまりさんの分までチョコレートで猫を作ってあげます」と言ってくれたのである。
S子は、バレンタインデーが近づくと星やハートや花の型をした入れものに溶かしたチョコレートを流しこみ、それにクルミやアーモンドをトッピングしたお手製のチョコを作って、会社の上司や同僚にプレゼントしている。
しかし、期待でわくわくしながら、ちょっと不安。以前、本命の男性に作ったチョコレートの狼を見たことがあるが、どう見ても狼というより牙のないマンモスだった。狼の好きな彼のために心を込めて作ったのに。…….私には、ホワイトチョコで猫を作ってくれるそうだ。もしかして、白い虎かしら?それでも嬉しい。だって、虎はネコ科ですもの。(きごさい理事、写真=チョコレート)
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リレーエッセイ033 春節 飛岡光枝
春節は旧暦の正月、今年は1月23日にあたる。5年ほど前の2月、仕事で長崎に行った。仕事先の方が「ちょうど春節祭のランタンフェスティバルですから、今夜ぜひ!」と何度も繰り返す。その時は、そんなに勧めるならちょっと立ち寄るかくらいにしか考えていなかった。それよりも、長崎出身の福山雅治が伝説のコンサートを開いた稲佐山にがぜん興味があり、宿もその近くにとっていた。
夜、教えられるまま中華街に行って驚いた。天上を埋め尽くす真紅の提灯。頬染めながら歩いていると、孔子や龍などと一緒に巨大な金魚の提灯が空に揺れている。この世のものとも思えない楽しさに立ち去り難く、稲佐山の宿までの遠かったこと。
そして昨年、ある俳句結社の長崎春節句会が開かれた。宿は中華街にとり、夜遅くまで孔子廟、唐人屋敷とふらついた。夢心地で宿に帰ると、女性限定特典として足裏マッサージをしてくれるという。華奢な施術師さんの指が足裏をさすったとたん電気が走り、思わず「いたっ!」と叫んでいた。「ここは目のツボです。お疲れですね」と彼女。その後は、やさしくほぐしてくれる指に足を委ね、紅いランタンと巨大な金魚とともに夢の中へ。
亀鳴くや眼病に効く足のつぼ 光枝
(きごさい理事 写真=長崎ランタンフェステバル)
リレーエッセイ032 初戎 長谷川 櫂
六日の菖蒲(あやめ)、十日の菊というとおり、その日をすぎてしまえば間の抜けたものになるのは菖蒲と菊ばかりではない。一月十日になって初戎(はつえびす、十日戎)の原稿を送るのもそのたぐいに属するかどうか。
大阪の初戎は東京でいえば十一月の酉の市にあたる商売繁盛のお祭。あちこちの戎神社では熊手ならぬ福笹を手にした人々が今年の福を願ってお参りする。もう二十年近く前、一度参拝したことがあるが、東京の酉の市とちがって、どことなく春めいた感じがするのは新年というだけでなく、大阪という町の気質もあずかっているにちがいない。
木下洋子さんは大阪の友人だが、その人の句集『初戎』がそろそろ店頭に並ぶ。序句を頼まれて、こんな句をつくった。
ばたばたと暴るる鯛を初戎 櫂
木下さんは大阪の人らしくおっとりしたところのある人で、「初戎という題なら十日までに」といったのに悠々と遅れて、この分では十日どころか二十日もすぎてしまうらしい。まあ、来年の初戎に三百五十日も先駆けてと思えば結構。この寒さ、鯛も腐りはしないはず。(きごさい代表、写真=福笹)
リレーエッセイ031 鏡餅 北側松太
子どものころは、それぞれの家で餅をついた。わが家も親戚の餅を含めて五臼くらいは搗いたろうか。暮れの楽しい行事であったが、いつの間にか、餅は餅屋に搗いてもらうようになった。切口や形状などは、家で搗いたものよりもはるかに美しかった。そのうちに 餅を搗いてくれるところもなくなり、十年ほど前からは、雑煮用もお供餅もスーパーで買い求めるようになった。
この十一日は鏡開き、神仏に供えたものをいただいて、無病息災を願うということだろうか。昔の鏡餅は石のように固く、切ったり割ったりするのに難渋したが、スーパーで求めた鏡餅は真空パックされているのでとても柔らかい。鏡餅はプラスチックの形状だけで、その中にパックされた幾つかの切餅が入っているものもある。年神様や竈の神様に供えるには、まことに安直としかいいようがないのだが、安直なご利益でいいと思えば勘定があっているのかもしれない。(きごさい理事 写真=ぜんざい)
リレーエッセイ030 七種 福島光加
五節句のはじめといえば まずはこの七種。つまり人日の節句だ。いけばなに関わるものにとってそのあとの節句にいけるものは 桃 菖蒲、竹、菊 と続いていく。この年の初めの節句だけはどうも花いけにむすびつかないのは春の七草が鑑賞より食用としての植物として捕らえられているからだろう。
一方、秋は 山上憶良の詠む〔秋の七草〕がある。現代ではさすがにそれらの植物全部をそろえるのは不可能に近いが、それでもこの頃にはこの季節ならではの美しい植物が多く私の稽古場では多くの種類の植物をひとつの作品にいける(まぜざし)という稽古をおこなうこともある。
もともとわれわれが花に対して強い関心を持っていたのは花の色や大きさまた咲き具合、いつ咲いた、などが実際の秋の実りを占うひとつの手がかりだと考えていた農耕民族だからだろう。
この七種の日、まずは春浅い大地からのメッセージを私たちは受け取り七草粥を口にすれば年始のご馳走で疲れた胃に温かいものが通っていき体そのものを温めていく。七草粥そのものはそれぞれの地方家庭によりことなり、我が家は具沢山だったという人もいれば鳥肉まで入れた、という人もいる。家は確か早々と、このとき小豆粥だった記憶がある。
七種を境にして私はいけた正月花にかけた水引をはずす。正月気分などとっくにどこかに消えていったとはいえ水引をとるときはすこしだけ何か特別な思いがある。
新しい年の初めの一週間の終わり。これからの一年間どんなになるのだろう。一年後も正月のためにいけた花に華やかに水引をかけることが出来ますように、と。
一連の年末年始の行事も峠をこし、少しだけ心に余裕ができ、改めて自然の恵みを思い返し、この国でこれからの一年間、すべての人が健康で幸多かれと願うのがこの七種の頃であるのかもしれない。(きごさい理事、写真=七種籠)
リレーエッセイ029 大晦日 川村玲子
大晦日の夜は、おせちを作りながら今年一年のクラシックハイライトをみる。自分から進んでは行かないようなコンサートに印象深い曲を発見することがある。タン・ドゥンの交響曲1997「天・地・人」にはこうして出会った。
湖北省の墓から発掘されるまで2400年間地下で眠っていた65個の鐘の音に、天国的な声の子供たちが歌う中国の古い恋歌「ジャスミンの花」、香港で街頭録音された路上歌劇、戦時の苦難の歌、春節の龍の踊りなどがひびきあって、春の扉を叩く鐘の音となってゆく。わが家のささやかな年用意が一段落して、きこえてくる近所のお寺の除夜の鐘も、さかのぼればこの古代の鐘の音とひびきあうものかもしれない。
釜石市に鎮魂と復興の鐘が設置されて、大晦日に打ちはじめられるという。今年は多くの思いが鐘の音と共に、新しい年への峠を越えるのだろう。(きごさい監事、写真=千両)
リレーエッセイ028 歳の市 ランゾウ稲田恵子
リレーエッセイ027 クリスマス 大塚哲也
今、ここに一枚の写真がある。男性ひとり原宿駅前の歩道橋の欄干に手をかけ、こちらを向いている。45年前の亡き父である。彼は紺色のダッフルコートを着ていた。そして、そのダッフルコートを今、私が着ている。
トグルとループが切れてしまい、この冬直しに出した。数週間後に直ったコートを受け取ると、子供の頃にクリスマスプレゼントを受け取った時のような嬉しさがこみあげてきた。45年間という歳月を感じさせるほどの着心地に加え、新しくなったのはトグルとループだけのはずなのに、コートそのものがすべて新しくなったような新鮮さを覚えた。
そういえば父は、私が幼い頃、まるでサンタクロースが届けてくれたように見せるために、腕から手にかけてだけのサンタを作り、枕元に置いたプレゼントともに写真を撮った。私はその写真を見て、作り物だとすぐにわかったが、子供ながらに父の優しさがありがたく、気付いてないふりをした。
あのダッフルコートはそんな父の温かさが今も残っている。私も子供を持ったら、いつかこのコートを譲ろう。その時に、父のように私も温かさを伝えられるだろうか。そうだ、子供へのクリスマスプレゼントにしよう。そんな夢を与えてくれる、ダッフルコートは今日も温かい。(季語歳スタッフ、写真=ダッフルコート)
「歳時記学」第4号ができました
リレーエッセイ026 柚子湯 岩井善子
今年、初めて季語と歳時記の会で子供俳句大会を行った。子供達の俳句は素直で本当に言いたいこと、思ったことをずばりといってくるので、直球を受けたときのように胸にずしんと来る。
寄せられた投句の中で言葉だけでは物足らず紙のあいたところに思いの丈を絵に描いてくる子供たちが何人かいた。パソコンに子供たちの俳句を入力しているうち、ふと案が浮かぶ。冊子のカットに使いたい。表紙はこの絵でいこう。投句の用紙を見ているうちこちらに届くものがある。絵を募集したわけでないので、なかなかスキャンにも技術が必要で大変だったが、子供たちのおかげで良い出来となった。
クリスマスやお正月を前に、家庭行事としても少し影の薄い存在の柚子湯だが、知人の家の子供が言った言葉が忘れられない。「ああ、平和の匂いがする」子供は天性の詩人だ。(季語歳スタッフ、写真=柚子)


